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2008年7月 2日 (水)

科学と迷信 木島加伯・2

7月2日(水)

科学と迷信(ぼんくら日記)

またまた、題が大げさです。

私は今、パソコンでブログを書いている。ローマ字入力でキーを打つと、ディスプレーの画面にひらがなが出てきて、変換キーを押して、文章を作る。にこれを保存すると、外部に公開できる。

なんでそうなるのかは、とんと分からない。

今は科学が発達して、生活していく上で、大変便利である。電気もテレビも電話も、大いに利用しているけれども、それが利用可能な理由など、私には全然分からない。

私は地球が太陽のまわりをまわっていることを知っている。しかし誰かが、多少の天文学の知識を持って、太陽が地球をまわっているのだと、理路整然と主張したら、私は彼に、有効な反論を言うことが出来ない。科学者は地球が回っていると言っているとか、学校で習ったとか、しか言えない。

専門知識は何もないけれど、地球は太陽を回っていると信じているのである。これ、迷信の信じ方と同じではないだろうか。

私は、血液型で性格を判断する、などと言うことは信じない。生まれた日によってどうだとか、姓名判断だとか、厄日とか、厄年だとかを信じない。狐が人を化かすとは思わない。死者の呪いで生きている者に不幸がおこるとは思わない。

私は、進化論を信じる。天動説を信じる。物質は分子で出来ていることを信じる。地球にも寿命があることを信じる。生物に遺伝子があることを信じる。ビッグバンがあったのだろうと思う。相対性理論は正しいのだろうと思う。

Mizutani10009 けれども、それらを信じるのは、理解しているからではない。理解しようとしったって、理解できないことも多い。それでも、科学で正しいとされていることだから、正しいのだろうと思う。

何も分からず信じているのである。これ、迷信の信じ方と同じじゃないのかなあ。どこが違うんだろう。

画像は、智光山公園です。現場で鉛筆スケッチ、家で彩色。

木島加伯・2(狗春子・通算38回)

(前回のあらすじ。京都に、子供を亡くした人がお参りをする、安養寺という寺がある。一方、木島加伯という欲張りがいて、子や孫に死なれたものだから、有り余る財産を夫婦だけで使っていた。鬼が来て、それを咎めた)

その後も、やれ花だ、やれ月だと、美食をし酒に溺れていたら、また、鬼がやってきて、加伯を責めた。加伯はしょうがなくて、高僧に相談した。

「欲深く、法外な財産をむさぼるように使うのは、仏の道に背くものだ。神の掟にも反する。そんなことをしていては、この世でもあの世でも、身の置き所が無くなる。必ず災いが来るだろう。憂いや悲しみが絶えることはない。慈悲の心で物を恵み、仏と、仏の教えと、僧侶を敬いなさい。後生のことを考えて、これまでのことを悔やみ、心をあらためなさい」

高僧の言葉に、夫婦ともこれまでのことを悔い、懺悔した。

その後、都に上り、誓願時にお参りし、堂塔を修繕した。また安養寺に懸けられた地獄の絵を見て、いよいよ後生が大事と思い、夫婦して髪を切り、自分たちの座像を作らせた。そしてそれを壇に飾った。

今もそのことを語り伝え、木造を見て、仏門に入る人がいると言うことだ。

                           終わり

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コメント

 、子供の頃、母親が何時も言ってましたが、晴れの日は全て、大安吉日だって。こんな考え方ってどう?

投稿: ニケ | 2008年7月 3日 (木) 23時13分

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