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2008年6月12日 (木)

猪熊の神子

6月12日(木)

猪熊の神子(狗波利子・通算25回)

     原作・浅井了意  現代語訳・ぼんくらカエル

元和(1615-1623年)の終わりごろ、京都四条猪熊に、一人の娘を持つ、年取った神子がいた。

神子とは言いながらも、神道のことなど何も分からず、神のお告げだといいながら、金銭を取り、賭け事をした。愚かな女をだまし、雨が降っても風が吹いても、祈祷をさせる。神のお告げを口実に、衣類や帯までのだまし取った。

仏法のことなど耳にも入れずに世を渡ってきたが、さすがに70歳を過ぎて、心身共に衰えてきた。娘はさる高貴な方に家に宮仕えをしているし、頼るべきものもなく、行く先も短い。来世のことも気にかかる。といって、これまでしてきたことは、仇やおろそかではない。

過去を悔いながら、北野の朝日寺に参詣した。

・・・私は身過ぎ世過ぎのために神仏の教えに背き、人をたぶらかし、へつらい、偽りをいい、正直の道に背いて、自分が得をすることばかりを求めてきました。願わくば、私の死後、身から出た恥を隠し、魂を助けてください。

と、涙ながらに祈った。その後は、暇を見つけては朝日寺に通った。

こうして年月を重ねているうちに、神子はにわかに重い病気になった。自分の死を悟った神子は、娘に使いをやった。日頃は、神子のくせに娘がいるなどと言われるのが嫌で、隠し通していたのだが、このたびは命の瀬戸際なので、早く帰ってきてほしいと伝えた。

娘は驚いて、急いで帰ったところ、神子は喜び、嬉しげに娘を見ながら、そのまま息を引き取った。

娘はまだ若かったので、このような時、どうすればよいか分からない。人里離れたところなので、簡単に人に聞くことも出来ない。ただ泣き崩れていると、夕方に若い法師が4、5人来て、

・・・この方は朝日寺に常に見える人です。死んだときは、遺体の処理をお願いしますと頼まれていました。

と、かいがいしく働いた。遺体を棺に収め、阿弥陀ヶ峰で火葬にした。

・・・この方の来世は心配ありません。我々が後を弔います。

と僧たちがいう。悲しさの中にも、娘はありがたく、白い薄絹に包んだ蒔絵の香合を差し上げながら、

・・・お坊様方は、どこのお寺の、なんというお名前の方々ですか?

と聞いたところ、

・・・朝日寺の正観坊を尋ねてきなさい。

といって帰った。次の日、朝日寺に行き尋ねてみたけれども、そのような僧はいない、ということだった。

不思議に思いながら堂内を拝みまわっていたところ、観音様が昨日差し上げた薄衣をつけておられた。膝には、香合がおかれている。

娘は、畏れかしこみ、思わず手を合わせた。ご本尊様が母を弔ってくださったのは、もはや間違いない。来世も救ってくださるだろう。観音様の大慈悲にありがたく涙を流した。

その後は、暇を見ては朝日寺に参り、母の菩提を弔った。

娘にも良いことがあった。和泉のあたりの人と結婚し、子供も多く生まれ、家は栄えたという。

                       終わり

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