« 人物スケッチ・他  原隼人佐謫仙 | トップページ | 銃後の写真  原隼人佐謫仙 »

2008年6月 2日 (月)

またやっちゃった 原隼人佐謫仙2

6月2日(月)

またやっちゃった(ぼんくら日記)

ぼんくら日記を書いて「狗波利子」も書いて、そのブログを消しちゃった。萎えるなあ。

Mizutani10009 今日も新聞写真のスケッチ。これは気分次第で載せたり載せなかったりする予定。描き続けるかどうかも、気分次第。

精障者作業所Mへ。先週植えたサツマイモの苗は、根付いているようだ。

梅雨入りだそうです。夜になって、雨。

原隼人佐謫仙 2(狗波利子 通算18回)

    原作・浅井了意  現代語訳・ぼんくらカエル

(前回のあらすじ。原隼人佐の母は、妊娠期間が16ヶ月も続いて亡くなった。隼人佐は墓の中で生まれた。彼は容貌、才能、共に人に優れ、武田信玄は彼の才能を愛し、武士としてのあり方を説いて聞かせた。)

隼人佐は武勇才覚人に優れていたが、原家には、他家にない特色があった。父加賀守は軍陣の立て方が上手で、ホラ貝や太鼓などの楽器を使って、兵士の士気を高める方法をを始めた人である。そのため、たびたび軍功があった。

父は隼人佐に、「侍は戦に際して、何か一つ得意なものを持たなければいけない」

と、常々言い聞かせていた。

そのせいなのか、隼人佐は他国に攻め入っても、どこに陣を敷き、どこで戦をするかという見極めが人に優れていた。その国の案内者などに聞かなくても、隼人佐の言うことに間違いはなく、誰もが彼の判断に従った。

その昔、平家が落ちのびて一ノ谷に籠もったとき、源九郎義経は鵯越から攻めたとき、

「この山の中を案内できる者はいるか」

と聞いたところ、武蔵の国の住人、平山李重が進み出て、

「私が案内しましょう」

といった。土肥、畠山などの武将は、

「武蔵の国の人間が、初めて来たこの山の中で、道案内など出来るはずがない」

と笑った。しかし、平山は反論する。

                           続く

|

« 人物スケッチ・他  原隼人佐謫仙 | トップページ | 銃後の写真  原隼人佐謫仙 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/118203/21367043

この記事へのトラックバック一覧です: またやっちゃった 原隼人佐謫仙2:

« 人物スケッチ・他  原隼人佐謫仙 | トップページ | 銃後の写真  原隼人佐謫仙 »