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2008年6月26日 (木)

屍舞い踊る

6月26日(木)

定例会(ぼんくら日記)

午前、ボラグループ定例会

午後、老人介護施設K。

屍舞い踊る(狗波利子・通算25回)

山崎の庄屋、宗五郎という者の妻は、河内の国(大阪府)高安の里の者である。性格はだらしなく、恥知らずである。死後のことなど、少しも考えない。結婚して何年もたつが、子供は居ない。生家は日蓮宗だが、題目一つ唱えたことはない。

家のこと、田畑のこと、牛馬のことなど気に懸けることもなく、使用人たちには辛くあたり、ずけづけとものを言い、怒鳴り散らす。優しさがまるで感じられない。

死後のことも気に懸けなさいと忠告した人には、見ることも出来ないあの世のことより、この世の方が大事だ。人に頼って死後の心配などをするのは無駄なことだ。と、口から出任せに恐ろしいことを言う。その下で使われる者、百姓たちは、みんな彼女を憎んだ。

そんな女にも寿命はある。宗五郎の妻は、文禄2年(1593年)、ちょっと病気をして、そのまま亡くなってしまった。葬儀は明日と言うことにして、疎遠だった者も含めて、人々がその家に詰めかけた。枕元には香をたき、通夜をしていると、何とはなしにもの悲しくなってくる。

そんな折、遙か西の方から音楽が聞こえだし、だんだん近づいてくる。そしてとうとう庭から聞こえるようになった。人々が不思議に思っているうちに、死体が動き出した。音楽は、もう、家の中から聞こえるようである。

死体は音楽の調子に合わせて起き上がり、手を上げ、足を踏んで踊り出した。人々はびっくりして後ずさりしていると、音楽は、また、家の外に出て行った。音楽が門の外に出ると、死体も倒れたり転がったりしながら、門の外に出る。そして、音楽に合わせて動いていく。

家中の者は畏れ、騒いで、やれ松明だ、やれ灯火だと言いつのる。月の暗い夜だった。

主の宗五郎もあきれ、とまどうが、どうも出来ない。庭の前に生えている桑の木の枝を、手頃な大きさに切って杖を作り、酒の酔いにまかせて死体の後を追って行く。

2キロばかり先の野原に墓地がある。そこに生えている松の当たりから音楽の音が聞こえる。宗五郎が近づいてみると、松の根元に火が燃えていて、屍はその前で踊っている。宗五郎は持ってきた杖で、屍を打ち据えた。すると、屍は倒れ、灯が消え、音楽もはたと止んだ。宗五郎は屍を持ち帰り、葬った。

なぜそんなことが起きたのかは、分からない。

                       終わり

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