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2008年5月22日 (木)

注意力散漫 守江の海に迷う魂

5月22日(木)

注意力散漫

ボランティアグループ定例会

守江の海に迷う魂(狗波利子 7)

豊後の国(大分県)の守江の浦には、亡霊がでて、たびたび人を悩ませている。その昔、慶長5年(1600年)9月関ヶ原の戦いがあり、石田三成側西軍は、東軍に打ちのめされ、ちりじりに逃げた。

西軍の将、黒田長政は、瀬戸内海に数十艘の船を出し、東軍を逃がさないようにと見張りをした。折しも、闇に乗じて島津の船が逃げようとした。長政の軍勢が、それを止めようとしたが、島津の船は聞かず、戦になった。

島津の船が砲弾、火矢を発したが、手元が狂って味方の船に落ちてしまった。その船の者38人が船と共に焼け沈んだ。その中にいた中村新衛門という者が亡霊になり、沖を通る船の人々を悩ませると言うことである。

寛永(16224-1628)の終わりごろ、広島倉橋の去る身分ある者の娘が、長らく宮崎の佐土原と云うところに住んでいたが、国に帰ろうとして、この沖を通った。その船の中で、娘は何かの物の怪にとりつかれ、あらぬ事を口走るようになった。供の者が、

「こんな沖の船のなかまできて、人にとりついたりする、おまえは何者だ」

と問いただしたところ、娘の口を借りて、

「吾はこの沖で、戦のため海に沈んだ中村新衛門という者なり。魂はいまだに浮かばれず、この海に浮きつ沈みつしている。その苦しみのために、こうしてこの娘にとりついた。私のために法事を営んでほしい」

といい、涙を流した。船中の者は驚いて港に船をつけ、浦人に聞いてみた。すると、同じようなことがたびたびあるという。

それでは、ということで、僧を呼び、三日二晩の法事を行ったところ、娘の口を借りて、中村新衛門は、関ヶ原のこと、この沖の戦いのことなどを物語った。聞く者はその哀れさに涙を流した。

法事が済むと、

「ありがたや、これで苦しみもなくなった」

といって、娘は正常に戻った。

それより後は、沖を通る船にとりつく亡霊はなくなったということである。

                           終わり

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