K福祉会 富士垢離
5月21日(水)
K福祉会役員会 総会
平成19年度、精神障害者支援福祉法人Kの役員会、総会。自立支援法によって起こる様々な問題について、まだ、確とした方針が立てられないでいること。というより、精障者の福祉施設にとっては、ほとんど不可能な要求をされていると言うこと。しかし早急に何らかの方針を立てなければならないことなど、話題になる。
かって、北海道伊達市の知的障害者の福祉施設「太陽の園」を見学したとき、その指導者が言っていたことを思い出す。「施設は有限である。だから他人のふんどしで相撲を取る」、「スタッフは有限である。ボランティアは無限である。だからボランティアの力を借りる。ボランティアを掘り起こす」。この考えを、理事長に言ったことはある。実際に中心になってやっている人は大変だとは思うけれど、まだ余地はあるのではないか。
富士垢離 2(狗波利子 6)
(前回のあらすじ。鳥岡弥二郎は病を得て、医師も匙を投げ出すほどだったのに、行者に頼んで、富士の浅間菩薩に帰依して祈ってもらったところ、全快した。そこで富士詣でをしたが、誤って滑り落ちたところを、老法師に助けられた。)
弥二郎は帰ることも忘れて、老法師身の上話を聞いた。
「私は東国のものです。奥州衣川の辺りに長く住んでいたけれども、心ならずも戦に巻き込まれ、なんとか生き延びて、ここに隠れました。修行に明け暮れて、年のたつのも忘れてしまいました。たまには昔を思い出して、奥州に行ってみることもありますが、もとより隠れて住む身なので、人と話をすることもありません。」
老法師は、白木で作った折り箱のような箱から、くこの葉を混ぜたご飯を勧めた。
「まあ、そんな状態ですから、あなたに何か食べ物をと思っても、こんなものしかありません。」
弥二郎は深く感じ入り、もう一度名を尋ねた。老法師は眉をしかめ、
「名乗りたくはないのだが、私の名は残夢といいます」
さらに言葉を継いだ。
「人との交際がないので、世の中の移り変わりが分かりません。今世の中はどんな状態ですか?」
弥二郎は、おおよそ次のように話した。
昔、足利尊氏が世を治め、13代にわたった。その後、世は乱れ、群雄が割拠するようになった。互いに争い、近隣の国を襲い、自国の領土を広げようとしている。駿河に北条氏康、甲斐に武田晴信、越後に長尾景虎、常陸に佐竹、会津に蘆名、越前に朝倉、周防に陶晴賢、安芸に毛利、出雲に尼子、豊後に大友、肥前に龍造寺、伊勢に師、近江に浅井、佐々木、畿内や南海に三好一族とその家来の松永などがいる。
そのほかにも、全国いたるところで、群雄が争っている。強いものは弱いものを滅ぼし、家来が主人を倒し、親子兄弟でもいさかいを始める。皆、私利私欲に走り、忠孝を忘れ、、運がよければ卑しいものも国の主となり、勢いを失えば貴族も乞食になる。栄枯は入れ替わり、盛衰は日ごとに移ろう。その間に死する者、幾千万人とも知れない。
そんなところに、尾州に織田信長が興り、猛威をふるった。おかげで今のところは静かになったが、この後どうなるかは分からない。
「そうですか。盛衰は運によるものです。知恵や武力や才覚ではどうにもならないこともあります。そのようなことは天地神明にまかせて、自らは慈悲の心を持って、正直に生きるのがいいでしょう」
と、残夢は言い、
「この辺りは夜になると恐ろしいことが起こったりします。もうお帰りになるのがいいでしょう」
と弥二郎を送り出した。
日は傾き、風の音もすさまじい。門を出て振り返ると老法師は見えず、庵もかき消えている。ただ人の叫ぶような声が空から聞こえるばかりであった。
案内人が、
「曇っている日には、ここから地獄の有様が見える」
という。弥二郎は足早に宿に急いだ。
終わり
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