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2008年5月29日 (木)

Kの後援会 武庫山の女仙

5月29日(木)

福祉法人Kの後援会総会(ぼんくら日記)

だいたいこういうのはシャンシャン大会、異議なしで終わり。言いたいこともあるにはあるが、もっと少人数の会で言おうと思う。こういうの、卑怯なのかなあ。

総会の後、先日のK福祉会役員会の書記と言うことになっているので、その書類について、Hさんより話あり。

小幡歯科へ。歯磨きなどいい加減だから、歯の手入れも何ヶ月かかかる。

これから訳す「武庫山の女仙」は、これまでの訳した『狗波利子』の中では、もっともおもしろいかなと思います。

武庫山の女仙(狗波利子 通算14)

   原作 浅井了意 ・ 現代語訳 ぼんくらカエル

天正(1573-1586)年間に、京都七条の辺りに小野民部少輔という、もとは身分のあった人の子孫が住んでいた。しかし落ちぶれて、京に住み続けるのも物憂くなり、知人を頼り、兵庫県の冠の里というところに引っ越した。そこは淋しい田舎で、自分と似たような境遇の友達もなかった。

ある春の日、うららかな日ざしに誘われて、あてもなく歩くうちに、武庫山(現在の六甲山)の麓に辿り着いた。

    見渡せばすみのえ遠しむこ山の 

           浦づたいして出る船人

などと詠み、さらに歩いて、谷を越え茂みの中に入っていった。

すると、二十歳を過ぎたくらいの女が一人で立っていた。花を尋ねてそぞろ歩いているようにも見えないし、薪を拾っているような貧しい女にも見えない。木の葉の着物で身を纏いながら、どことなく品がある。

民部は不思議に思い、近寄って問いかけた。

「あなたはなんで、こんな山の中に、一人でいるのですか?」

女は笑って答えた。

「私はこの山に長年住んでいます。昔の話を、お聞かせしましょう」

と、次のような話をした。

・・・大昔、神功皇后(西暦170年-269年・14代、仲哀天皇〈ヤマトタケルの子供〉の后。天皇の崩御ののち新羅を制して凱旋したとされる)は、朝鮮半島や中国をうち従えて、この国に帰ってきた。その時、弓、矢、矛、剣、鎧、兜など、あらゆる武器をこの山に埋めた。そして、この山を「武庫山」と名付けた。

・・・そののち天長天皇(在位・824-832)の側室がこの山に入り、如意輪観音を奉じられた。そのためこの方を、如意の尼と申し奉る。

・・・ここは弁財天の住み給うところです。広田神社(兵庫県の神社)の神が常に守り給います。神は形を変えて白い龍になり、その龍が石となってその形を今に残しておられます。

・・・空海和尚がこの山で如意宝珠の法を修めたとき、弁財天が現れて、「私はこの山にとどまり、あらゆる貧しい人のために、宝を与えよう」と誓われました。

・・・如意の尼は、伽藍を建て、如意輪の経を誦し、空海和尚を招き、受戒をされました。

                             続く

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