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2008年4月12日 (土)

聖火リレー

4月12日(土)  晴れ

小幡歯科へ、定期検診。今のところ新しい虫歯はないけれど、左上の歯茎が炎症を起こしかけている。しばらく、その治療に通うことになる。

聖火リレー

ルース・ベネジィクトの『菊と刀』を読んだのは、何十年前だろうか。日本と戦争をしていたアメリカが、戦争に勝ったあとで日本をどう治めるかの参考にするため、文化人類学者のルース・ベネジィクトに日本を研究させた。その研究結果を書いた本、と言うことだった。

なんと言ったってこの本で有名なのは、西欧諸国を「罪の文化」と捉え、日本を「恥の文化」と捉えたことだ。確かにこの指摘は鋭かったので、その後の日本文化を語るとき、必ずと言っていいほど取り上げられる。

「罪」というのは、絶対者の神に対する罪でしょう。「恥」というのは、神を持たない日本人の、世間に対する反応だと思います。日本にも、神に代わって「天」という言葉がありますが、この場合でも「天に向かって恥じない」と使いますね。

『菊と刀』に寄れば、日本人が自分を大切にすると言うことは、周囲と摩擦を起こさないように慎重に行動すると言うことです。アメリカ人の場合は、周囲と衝突しても自分の意志や意見を通すと言うことです。この点が、まるで違うんですね。

ベネジィクトは「恥の文化」についてもその価値を認めていたと思いますが、「罪の文化」の方が、より高度であるように書いていた記憶があります。そして、中国もまた、「罪の文化」を持っているように記述していたと思います。

「恥の文化」と「罪の文化」のに高低があるというのは、どうなのかな。

それはともかく、中国は「罪の文化」なのかねえ。オリンピックの聖火リレーを、中国の威信にかけてもやりたいわけでしょう。チベットの暴動を、自国の威信にかけて鎮圧したいわけでしょう。中国人にとって一番大切なのは「メンツ」でしょう? 私のごく少ない中国人とのつきあいでも、それを感じたことはあります。「メンツ」って、罪と恥に分類したら「恥」の方ですよね。恥は恥でも、日本人とは違った現れ方をすると思います。

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