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2008年4月30日 (水)

怪我その後  私の年金問題

4月30日

怪我その後

夕方Tさんから電話で怪我のことを聞いてくるまだブログに書いただけで、誰にも知らせていない。Tさんがこのブログを読んでくれていることが分かる。

昨日ブログを書いたときは、病院から帰って以来、まだ一度も鏡を見ていなかった。普通は気になってすぐに自分の顔を見るのだろうが、私はその辺りはかなり投げやりで、やっちゃたことはしょうがない、顔の様子を確かめたところで早くなおるわけではなし、なんて考える。だから晩ご飯を作り、食べ、ブログを書いてから鏡で顔を見た。

なんとおでこの大部分が包帯で隠れていて、さらに鼻もほぼ全部絆創膏で抑えてある。とても絆創膏の大親分が貼ってあるなんて状態ではない。道理で眼鏡が掛けられなかったわけだ。

今日また病院へ。狭山病院石心会の、今日は外来。状況はいいようだ。大きな包帯は外されたが、まだ傷口を押さえておく方がよいということで、現在、丹下左膳状態。

丹下左膳ってこれで良かったのかなあ。目ではないけれど、左のおでこから鼻の一番低いところに向けて、太い絆創膏が斜めに貼ってある。

私の年金問題

午後、所沢の社会保険事務所へ。やはり納得のいく回答はない。

私の場合、どこが問題なのかを書いておく。これから先は、私個人の考えを整理するために書くもので、読んでもおもしろくないでしょう。

①、私は昭和11年生まれである。貧しかったので、義務教育終了後すぐ仕事を始めた。初めのうちは、いくつか仕事を変えている。

②、昭和27年Hというメッキ工場に就職。9ヶ月間勤務。ここで厚生年金に入る。

③、昭和28年職業訓練所を経て、K楽器店の入社。琴作りをはじめる。この会社では法律に反して、私たちは厚生年金に入らせて貰えなかった。しかし労働基準監督署などの度重なる調査に耐えられず、昭和30年頃4~5人一緒に厚生年金にはいる。このとき私はメッキ屋で作った厚生年金証書を提出しそれに棒接ぎして貰った。

④、2~3ヶ月すると、会社側は、やはり厚生年金は止めるといいだし、そのように手続きした。

⑤、さらに数ヶ月後、やはり入ると言うことで、会社は前の厚生年金証書の提出を求めた。

⑥、昭和31年厚生年金に再加入。このとき会社は、「同じ人が同時にやめ、同時にはいるというのは変だから、厚生年金証書は新しくした。前のものは捨てた」といった。無茶なことをすると思ったが、当時は会社の方針に反することは言えなかった。

⑦、このときの厚生年金は昭和33年にやめている。私は一人前の職人として、勤務時間に関係なく、完全出来高制の賃金になったからである。厚生年金に入っていた期間は32ヶ月である。

⑧、その後、昭和35年に再々加入。

⑨、その後も変化はあるが、昭和53年退社し、独立。川越社会保険事務所に寄れば、私の厚生年金加入期間は18年1ヶ月であるという。当時は20年厚生年金を掛けていれば定年後年金を貰える権利があるとのことだった。あと少しの人には、救済処置として、自分で払うことが出来るという。そのため私は、普通ならば会社の負担する分も含めて23ヶ月分払い込んだ。払い込み終了は昭和55年9月である。

⑩、国民年金、厚生年金など出たり入ったりしているけれども、今問題となっているのは、⑦の32ヶ月分と⑨の23ヶ月分である。

⑪、川越社会保険事務所から、厚生年金の権利を得るためには23ヶ月分不足だと言われて払い込んだのだが、これは川越社会保健所の間違いで、実際は足りていたというのである。⑦の32ヶ月分がもれていたためで、本来払う必要がなかったという。

⑫、現在私は7の32ヶ月分と9の23ヶ月分も含めて厚生年金をもらっているのだが、この23ヶ月分は余分なものであり、本来はもらう権利がないというのである。

⑬、こんど新しく②のメッキ工場の保険加入2ヶ月分が出てきたが、これを請求すると⑨の23ヶ月分もらっているものを返さなくてはならなくなる。

⑭、こんな理屈が納得できるだろうか。私は、自分に落ち度はなかったと思っている。23ヶ月分払ったのが間違いだったといわれても、社会保険事務所の指導によってやったことだ。その払い込みが終わったのが昭和55年で、法律関係はもう確定しているのではないか。新しく出てきた2ヶ月分などはどのみち大した額ではないけれど、何とも納得できない仕打ちである。本来ならば裁判ものだが、その2ヶ月分のために23ヶ月分がふいになる危険があるとなると、おいそれと出来ない。

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コメント

年金問題は、根が深い。年金・医療・税・食などなど将来の人口動態をわかっているのに、政治家・公務員はなにをしているのだpunch 私は高校卒で働こうと考え、国家公務員試験に受かり、2箇所の省庁面接に行ったが、何か私には合わないと。
専門学校へ。その後、国の政策に疑問を持ちながら、多少は
政治活動に参加してきた。だから今の国家の状況になお、腹が立つ。資本主義の最たるアメリカに迎合し、国民一人一人を
ないがしろにしてきた日本は、本当にこれからどうなるので
しょうね。自分の支払った税が、どのように使われているか
国民が監視する気持ちがまず足りないと思います。
そして、当選した人は、任期切れまでは、安穏としていられる
体制にも。

投稿: 五十路 | 2008年5月 1日 (木) 11時03分

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