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2008年3月 5日 (水)

宗教について

3月5日(水)  晴

私はなんの宗教も信じていない。だからといって、宗教を軽んじようという気持ちはないし、若い頃から宗教を知ろうという気持ちはあった。しかし、宗教を知ろうと思うことと、宗教を信じることの間には、越えられない溝があるようだ。

若い頃、創価学会の機関誌「聖教新聞」の日曜版を、頼んだわけではないのに、1~2年続けてわが家に送られてきた。

中学時代の同級生が送っていたらしい。ある時、ちょっと出かけようと誘われていったところが、創価学会の会合の場だった。その時、そのような会合にはじめて連れてこられた人が、私のほかにもう一人いて、彼らは私たちを折伏しようとしたのである。

折伏の方法というのも、研究しているのでしょうね。私たち二人は引き離され、それぞれに信者たちの輪の中に囲まれた。そこで、この教義を信じろとか、信じられなければ半年間、だまされたと思ってお題目を唱えろとか説得されたわけです。

私などはなかなか納得しないものだから、そのうちに「おまえはなんのために生きている」などと言う意味の質問を受けた。そういわれれば、何かのために生きているという実感はないので、「そういうあなた達はなんのために生きるという目的はあるのですか?」逆に質問してみた。すると「目的はある」というのです。「その目的はなんだ」と聞くと「幸せになることだ」という。うまいですねえ。反論のしようがない。

私と引き離された輪の中で、もう一人の人は、段々折伏されていきます。私は隣の輪にまで声をかけられず、歯がゆい思いでそれを聞いていた。

「幸せになるために生きている」まではよかったのですが、その後、彼らは失敗しました。富士山に登るには、この道が一番よいという道がある、と言いだしたのです。そんなものは、あるはずがないのです。なるべく短時間で登りたい人もいれば、時間はかかっても体に負担の少ない方法で登りたい人もいるでしょう。景色や自然を観察したい人もいるでしょう。そもそも、頂上にたどりつくことを目的にしない人だっているのです。要するにそんな論理ですから、私は納得するわけには行きません。

その時、同級生が言った。創価学会はこれから何年間とかで、世界の3分の1を信者にする、もう3分の1を同調者にする、のこりの3分の1は最後まで反対者だ。おまえは最後まで反対する人間だ。

実は、送られてきた「聖教新聞」を読むまでは、創価学会をもう少し尊敬していたのです。ところが送られてきた新聞を読むと、信仰のおかげで商売繁盛したとか、病気が治ったとか言う話が沢山掲載されている。あほらしいと思いました。

日本人はクリスチャンでもないのにクリスマスを祝い、仏教徒だと言いながら神社に初詣をする。神も仏も見境無く拝んだり、祝ったりします。それを矛盾していると言い、宗教心がないという。私は違うと思っている。むしろそれが日本人の良さだと思っているのである。しかし、一神教のヨーロッパ思想を正しいものとして、仏教にもそれを取り入れたのが創価学会で、神棚を壊させたりするのですね。一見矛盾が無くて良さそうですが、二者択一の思想だけでは世の中は救えないと考えています。その点でも、創価学会の考え方に私は反対なのです。

本当は、宗教一般について書くつもりだったのに、創価学会だけになってしまいました。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、そして仏教やヒンズー教などについて、私の貧しい考えを書いておこうと思ったのですが、またの機会にします。

創価学会については、書くことがタブーのような気もしますが、書いてしまいました。

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コメント

宗教、いろいろ考え方は、ありますよね。
信教の自由は、憲法で保障されてますが、中には入信すると
その色に染まるのか?周りが見えなくなってる人々がいますね。
あと、自分の宗教が絶対とし、世界中で他を排他し、争いの元になったり、理解できません。

投稿: 五十路 | 2008年3月 6日 (木) 19時14分

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