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2008年3月31日 (月)

芭蕉の昼寝

3月31日(月)  雨、曇り

みちくさは休み。

花冷えの1日。

午前中、原稿一本、手紙2通書く。

午後、雨が上がったので、智光山公園まで散歩。稲荷山公園ほどではないにしても、ここも花の名所だ。

   日本列島花の名所は花盛り   ぼんくらカエル

こんなのは俳句とは言えない。俳句風のもので遊んでいるのです。

Mizutani10009 名月や池をめぐりて夜もすがら

と言えばもちろん芭蕉の名句。この句をもじって

   名月の次の日昼寝の芭蕉かな   ぼんくらカエル

と狂句を作り俳句の先輩たちに見せたら、誰かが、

   名月の翌日芭蕉昼寝をし   花森安治

という句があると言うことでした。花森安治の随筆の中に出てくるのだそうです。すると私のは類句と言うことになる。俳句はわずか17文字で、季語を入れるという約束もある。仮に季語で5文字くらい使うとすれば、残り12文字。似たような表現が出てくることは避けがたい。川柳としては、花森安治の方がすぐれているようです。先に類句があれば、あとの人は引き下がるのが筋というものでしょうね。花森安治も私も、名月の夜、芭蕉は夜もすがら池のまわりをまわっていたなら、次の日は寝不足で、きっと昼寝をしただろう、と言う冷やかしです。

上の絵は、家の中で芭蕉が昼寝をしているところ。

では、まともな句

   花の下ポップコーンが止まらない  ぼんくらカエル

ポップコーンは食べ始めたら止まらない。幾らでも食べられる。やはりこれは川柳かな。

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2008年3月30日 (日)

日本の歳時記

3月30日(日)  曇り、雨

小学館から、週刊「日本の歳時記」が発行された。第1回の発売日が4月8日で、最終回が来年の3月31日である。女優の樋口可南子がテレビのコマーシャルで

   さまざまなこと思ひ出す桜かな

と言う芭蕉の句を口ずさんでいる。芭蕉の有名な句ではある。メクラ蛇に怖じずで言うけれども、この句、そんなに良い句だとは思えない。だいたい、「さまざまなこと思い出す」なんて書きだしたら、下の句に何をつけようとも、名句になどなりはしないと私は思っている。「名句だなどというのは、芭蕉の句だからでしょう」と言うのがぼんくらカエルのぼんくら意見。

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2008年3月29日 (土)

墓参

3月29日(土)  晴れ

墓参。わが家の霊園は、八王子にある都営の霊園である。この霊園は、墓石の形、大きさが決められていて、墓の個性というものはあまりない。石の種類は違うけれども、区画の大きさも同じで、さっぱりとした芝生墓地である。墓碑には、たいてい「○○家」と書いてある。中には「祈」だったり十字架の「十」だったりするものもある。

妻の命日が4月1日なので、春は彼岸を外して、少し遅めにいくことにしている。

わが家の墓の前に、決まり切った墓石も立てずに、小さな木の柱だけを立てている墓があった。どうも墓参に来ている様子もない。それで、私は墓参に行くたびに、わが家の墓のために持ってきた花と線香を、少しだけお裾分けしていた。しかし、今日は、その柱も取り払われていた。墓を移転したのか、無縁仏として処理されたのか。おそらく後者だろう。それはそれでいいのだ。誰だっていつかは、無縁仏になるのである。私が墓参に行くのも、父や母、妻や弟を、私が生きているうちに無縁仏には出来ないと思っているからである。本当は、死んだ人が私の墓参を喜んでいるわけでもなかろう。墓参は、生きているものためなのだ。

どこの墓地でもそうだが、桜などが植えてある。わが家の墓は高尾なので、桜はまだと思っていたが、5分咲きくらいにはなっていた。

帰路、高尾駅近くに、桜の保存林があるので、そこに寄る。正式には「多摩森林学園」というらしい。その中に桜の保存林があって、全国から集められた約250種の桜1.700本が植えられているらしい。3月から5月くらいまで、何らかの桜が咲いているようだ。春の墓参のあとで毎年寄っているので、巡回コースも、かって知ったる道、と言う感じである。

「多摩森林学園」の本当の見頃は、1~2週間あとと思いますが、今日でも、それなりにいろいろ咲いていました(私のブログは「だ、である」調と、「です、ます」調を、意識して混在させています)。ここは青梅の梅の公園と同じで、山を巡回するようなコースになっているのが、私の好みに合っています。たった一つの欠点は、園内でお酒を飲めないこと! 元来、研究のための施設だからだそうです。

なお、園内はスミレの盛りでした。

狭山に着いたら稲荷山公園で花見をしようと思っていたのですが、電車が、新所沢で打ちきりになり、しばらく動きませんでした。狭山と入曽の間で人身事故があったと言うことです。新所沢で待ちぼうけを喰っている間に、稲荷山公園にいく気がなくなりました。

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2008年3月28日 (金)

読めません

3月28日(金)  晴れ、曇り、雨

水彩画の会。例によって、童画風の絵を描く。誰かが、谷内六郎の絵みたいだといってけれど、そんなに上手ではありません。

読めません

少し俳句の悪口でも書きましょう。65歳から俳句を始めたが、若い頃からやっている人とは違って、まあ、ものにはならないでしょう。65歳までは俳句と無縁で過ごしたものだから、どうしても俳句を外から見るような気分になります。

まず、俳句で使われる字、難しい字が多いですね。「霾」。この字、読めますか? 春の季語です。俳句をやらない人でこの字を読めたら、漢字マニアですね。「ツチフル」と読むのです。読めたところで、こんどは意味が分かりませんよね。「黄砂」のことです。中国大陸から飛んでくる、砂漠の砂ですね。最近、日本に飛んでくる黄砂が汚染されていると話題になりました。「昔は黄砂なんてなかったんじゃないの」とテレビで言った人がいましたが、黄砂自体は昔からありました。その証拠に、こんな季語があるわけです。

では「潦 」はどうでしょう? これ「ニワタズミ」というのだそうです。「なに、それ?」って言いたくなりますよね。水たまりのことです。「水たまり」などという平凡な言葉を使っては、俳人の沽券に係わるのでしょうか。

このまえは「彳〒」という言葉が出てきました。「テキチャク」と読んで、佇むことを言います。小鳥などがちょこちょこと少しだけ動いてから立ち止まる、と言う意味があるそうで、それなりの言葉とは思いますが、読めませんよね。

「衣替え」は「更衣」と書きます。確かに意味は合っていますが、わざわざ読みにくい方を選んで使っているような気がします。「更衣」は、普通は「コウイ」と読んで、「更衣室」などと使うと思います。訓で読ませたいときは「衣替え」と書くのが普通だと思います。

広辞苑やかなり厚い漢和辞典に出ていないような字も使います。「ヒツジ」と言うのですが、私のパソコンでは「手書き入力」にしても出すことが出来ません。「櫓」という字の、木偏の部分を禾編にすれば、「ヒツジ」という字になります。稲刈りが終わったあとの切り株から、ヒコバエが出てくることがありますよね。あれを「ヒツジ」と言うようです。

こんな難しい字を知っているから俳人は偉い、などとは思いません。むしろ、「良くまあ、そんな字を使うよ」といった冷やかし気分で見てしまいます。

俳句を始めて6年たちますが、まだ俳句を外から見る気分が抜けません。上手くならないわけですなあ。

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2008年3月27日 (木)

ブログの日記

3月27日(木)  晴れ

ボランティアグループの定例会。

午後、老人介護施設狭山ケアセンターへ。

夜、孫から電話。長女一家、明日からグアムへ行くとのこと。

ブログの日記

日記などと言うものは個人で勝手に書いて、自分で読んでいればいいので、公開することはない、と言う考えは、おそらく正論だと思います。しかし、人間という奴、何か表現欲というものがあるのですね。難しい言葉を使うなら自己顕示欲です。仕事やら何やらで社会的に目立つような人は、日記など書かなくても自己表現は出来ます。しかし平凡な人間は、日記でも書くしかないわけです。

ところが、ここに問題があるのですね。芸能人や有名人の日記は読んでみたいと思う人が多いでしょうけれども、どこの誰やら分からない奴の日記など、読みたいと思う人はあまりいません。

私もそのことは意識していますから、ブログのアドレスなどは、知人にもほとんど教えていません。ごく少数の人に教えましたが、その数は、片手の指を折るだけで間に合います。

そんなブログをなんで書いているのか? 

それは、第一にこのブログは子どもたちへのメッセージなのです。ぼんくらカエルには2匹のオタマジャクシがいました。女の子です。いつまでもオタマジャクシで居るのかと思っていたら、いつの間にかカエルになって、彼氏をつくって出て行きました。今日電話をくれたのは、長女の家のオタマジャクシです。長女のところには、女のオタマジャクシが2匹います。

長女も次女も家庭を持って、ケロケロ、ガーガーとやっているわけで、なかなか親のところに来るわけにもいきません。長女は泊まりがけで来なければならない地方に住んでいます。ましてそのオタマジャクシが学校に通っていて、ケロンオア、ケロンパ、ケロケロ、ブンガーなどと鳴いているわけですから、学校が休みの時しか来られないのです。次女のところも夫婦共に働いていて、ケ、ケケケ、ケケケケ、ク、パッパッワなどと頑張っているわけで、親のところになぞ、ちょっとやそっとで来るわけにはいかないのです。

かくいうぼんくらカエルは、71歳で元気なようでも、いつ死んでもおかしくない歳だと思っています。妻に死に別れてまもなく10年になろうという老カエルが、車にひかれることもなく、水不足で干からびることもなく、なんとか生きているのですが、突然死だってあり得ます。だから子どもたちには、時々電話をよこせといっているのですが、なかなか生活のケロケロが忙しくて、実行してくれません。

そこで考えたのがブログです。私は毎日ブログを書くから、おまえたちはそれを見ろと言いました。なんの断りもなしにブログを二日も休むことがあったら、何かがあったときだ。親が死んで、何ヶ月も気がつかなかったなんてことがあったら、子どもたちの方だって嫌だろう、というのが、ぼんくらカエルのココロ。

ついでにないしょのココロを言えば、ぼんくらカエルのブログに、どんなにつまらないものであっても、自分の思想や物の考え方を書いておこうと思いました。否定されるにしろなんにしろ、それを子どもたちに伝えたいと思ったのです。

しかし、親の心子知らずですね。子どもたち、ブログチェックはしているようですが、中味は読んでいないみたいです。ぼんくらカエルとしては、ケロケロ、ガガガア!

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2008年3月26日 (水)

秩父散歩  第1回衆議院選挙

3月26日(水)  曇り

秩父散歩

ある施設のボラがしばらくないことで、暇が随分増えたような気がする。以前だと、こんな時に良く秩父に行って、車の通らないような路地を散歩するのが好きだった。しかし、今はそれが出来ない。地元の人しか通らないような路地を、得体の知れない奴がぼけーっと歩いていたら、不審者に思われる。

路地の散歩は出来ないから、駅に置いてあるパンフレットの散歩コースを一つ歩いてみた。

西武秩父駅~羊山公園~札所5番語歌堂~札所4番金昌寺~札所10番大慈寺~西武秩父駅。

羊山公園は近ごろ芝桜で有名だが、芝桜の隣の丘、桜のある方。ここに武甲山資料館と、やまと美術館がある。やまと美術館は棟方志功の版画を中心に展示しているらしい。入ろうとしたが靴を脱がなければならないと言うことで、やめにした。登山靴を履いていたからである。実を言うと、棟方志功は登山靴を脱いで入るほど好きではないのだ。それで、武甲山資料館に入った。まあこちらも、どうって言うことはないですね。花の写真と、動物の縫いぐるみ、熊とかオコジョとかのね。それに石灰石。

語歌堂と大慈寺ははじめて。金昌寺は3回目くらいかな。前2回は、ハイキングで、丸山から下りてきた。今日は舗装道路だけの歩き。

取り立てて感激と言うこともなかったけれど、何となくふわふわ歩くには、秩父はいい。

第一回衆議院選挙

秩父への往復、西武線の車中で『天下之記者~奇人山田一郎とその時代』(高島俊夫著、文芸春秋社)を読む。

主人公「山田一郎」よりも、「その時代」の方が私には興味があった。おおざっぱではあるが、東京大学が出来た事情、早稲田大学誕生前後の話など、へえーそうだったの、という感じ。

第一回衆議院選についても書かれている。

ニワトリは三歩あるけば出来事を忘れると言うが、近ごろ私もニワトリに近くなって、今日の記憶は明日に持ち越さない。だから、第一回衆議院選に書かれていたことの幾つかを、後の記憶のために書いておこうと思う。

明治23年、初めての国政選挙。

議員定数は300人。人口12万人に一人を目安に選挙区が決められた。選挙権が与えられたのは、税金を1年に15円以上納めている25歳以上の男子。当時、25歳以上の男子は1125万人で、有権者は45万人。だいたい25人に一人の割合。

当時、人口が一番多かったのが新潟県で166万人、2位東京府155万人、3位兵庫県152万人、4位愛知県144万人。

有権者が一番多かったのが兵庫県の22.200人、2位愛知県18.700人、3位埼玉県18.000人、4位新潟県17.700人。

もっとも裕福なのは滋賀県で、たとえば滋賀2区では、有権者が4.000人を超える。もっとも貧しいのが東京府で、東京9区は有権者数182人。

滋賀県や埼玉県は、人口が少ないのに有権者が多かったと言うことになる。埼玉も豊かだったんだ・・・。

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2008年3月25日 (火)

河川敷の散歩

3月25日(火)  晴れ

ぽかぽか陽気なので、こたつを仕舞うことにした。代わりに電気カーペットを出す。2畳分の小さな物で、1畳ずつ暖房できるようになっている。

こたつ掛けなども含めて、洗濯。

入間川河川敷の散歩。この前自転車で川越方面に行ったので、今日は有料橋から入間市方面に向けて歩く。

まさに春たけなわ。さまざまな花が咲いている。たとえば木の花では、桜、梅、白木蓮、辛夷、ユキヤナギ、レンギョウ。草の花では、芝桜、菜の花、ハハコグサ、ホトケノザ、イヌフグリ、なずな、タンポポ、水仙、すみれ、など。その他、名前は分からないが白い菊のような花、オレンジの花も見かけました。土手には、ヨモギを摘む人、野蒜を積む人もいたりして、春ですねえ。

イタドリは赤い芽を出しているし、柳の芽は風に揺れているし、うーん、やっぱり春ですねえ。

そうそう、忘れてはいけないことが一つ。イタチを見ました。土手を歩いていると、一瞬、水際の辺りに動く物、イタチのようでした。そこから4-5分歩いて、護岸のコンクリートに座り、昼食としました。そこに、なんと、さっきのイタチが出てきたのです。そして、私の前を通りすぎました。ご丁寧にも、私の目の前で立ち止まってさえくれたのです。鞄からデジカメを取り出そうとしたのですが、そこまで待ってはくれませんでした。残念。あのとき、デジカメを手にしていればナア。

そんなこともありましたが、とにかくのんきな散歩。適当なところで休み、鉛筆だけのスケッチをしたり、ワンカップを飲んだり、鴨の泳ぐ姿を見たりして良い散歩でした。

鴨の鳴き声

チィッ、チィッ、キィ、ピー、ピー、ピー、ピーオ、キィッ、ピィッ、グゥェ、グゥェ。

そういえば、草野心平は蛙の鳴き声だけで詩を作っていたっけ。5・7調ではなかったが、リズム感のある詩だった。

   春風に蝶の魂もらいけり   ぼんくらカエル

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2008年3月24日 (月)

いろいろ

3月24日(月)  雨、曇り

P1010071 我がマンションの玄関から見える辛夷の花。この画像では、何がなんだか分からないけれど、屋根の上に見える花で、大木だと言うことは、分かって貰えるでしょう。

精障者作業所「みちくさ」へ。

じつはみちくさへ出かけるとき、マンションの入り口に喪服の人が数人立っていた。9階のSさんが亡くなり、これから出棺なのだという。知らなかった。マンションのような住まいは、隣は何をする人ぞで、集合住宅なのに、どこで何が起こっているのかを知らずに過ごす。そこに良さも悪さもあるわけだ。

みちくさから、早めに帰る。

こぶし福祉会の理事長が、会いたいという電話。なんのことかと思ったが、われわれのボランティアグループの心配をしているようだ。私は今会長になる意志はないし、この先もないことを伝える。年齢から行っても、もうほどほどで引きたいのである。

夜、NHKテレビの、本田美奈子の歌に感激。病床で、岩谷時子を励ますためにうたった歌。本当に魂の歌だ。

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2008年3月23日 (日)

本  喜多院

2月23日(日)  晴れ

川越紀伊国屋に本を買いに行く。

近ごろは昔ほど本を読まないけれど、新聞の書評は注意して読む方だ。評を読んで気になる本は、新聞を切り抜くかメモしておくことが多い。今日の毎日新聞の書評欄には、気になる本が幾つも出た。で、切り抜きを持って出かけた。

紀伊国屋で買ったのは3冊で、うち2冊は書評にあった物、他の1冊は書店で出会った物である。

しかし、本は高くなりましたね。新書版も含む3冊で4.500円。往復の電車賃まで入れたら、ほぼ5.000円の出費だ。痛いなあ。

本当は、書評で気になった本で、1冊4.000円以上の物があったが、これは最初から諦めた。ビンボー人には、諦めも肝心です。図書館などをねらいましょう。とはいうものの、読書量自体が落ちているから、読みたい本を全部読めるというわけでもない。

川越に来たついでに、喜多院にまわる。喜多院の裏に、「清月橋」とか「どろぼう橋」という橋がある。私はこちらから入ることが多い。喜多院はいつも賑やかですね。桜もぼちぼち(ちらほらという方が桜らしいかな)と咲いていた。

本堂の横の小高い丘に「慈眼院」という建物があり、その裏に喜多院歴代住職の墓所がある。僧侶の墓にしては馬鹿に立派な物があったりして、どうもそぐわないように思う。「色は匂えど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ」。それを一番判っているのが僧侶のはずだろう。墓なんぞ大きくするのは、この世への執着の大きさに思える。もっとも、墓は、死んだ人が作るのではないけどね。墓も葬式も、生きている人間のための物だ。

ところでこの丘、前方後円墳と気づく人は少ない。墓所の中には入れないが、その入り口あたりに立って自分の立っている丘の様子を見れば、前方後円墳であることが分かる。

喜多院から中院に向かう。喜多院に比べると静かなたたずまいなのだが、近ごろは、前に比べると人も多くなった。しだれ桜が、もう咲いていた。河津桜のしだれだそうだ。けっこう大木である。

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2008年3月22日 (土)

捕鯨、続き  自転車道

3月22日(土)  晴れ

捕鯨、続き

捕鯨のことは、これ以上書いても、誰かさんの想像通りの結論にしかならない。つまり、自分たちは牛を喰っているのに、鯨を食べることを否定するのはけしからん・・・。テナことですね。

大昔の人間は、食えると分かれば何でも食ったでしょうね。人間は、もともと残酷な生き物です。洋の東西を問いません。それがいくらか豊かになって、あれこれ選ぶようになったのでしょう。イギリスあたりでは、犬と馬が食べない動物として選ばれました。インドでは、牛が選ばれました。イスラムでは、豚が、選ばれると言うよりは汚れた動物として、食料から外されました。今、鯨が選ばれようとしています。

鯨を殺すのは残酷だとか言いますが、牛を殺すのが残酷ではないと思っているのでしょうか。牛は神から人間に与えられた食料だ、なんて思っていそうです。ヒンズー教徒が欧米に行って、神聖な牛を喰うとは何事だ、などと牧場の牛を逃がしたりしたら、牧場主はなんと言うんでしょうね。

川越狭山自転車道

入間川の土手を、狭山市の根岸の辺りから荒川の合流点まで、約22キロの川越狭山自転車道がある。何度か自転車を走らせたことがあるが、陽気が良かったので、久しぶりに行ってみた。

山歩きや散歩もいいが、バランス感覚を落とさぬようにするには、自転車がいいそうだ。私は持久力はまだあるような気がするが、柔軟性やバランス感覚が落ちている。バランス感覚や柔軟性がなくなると、山歩きしていても転びやすい。これからは、もう少し自転車に乗ろうかと思っている。

有料橋の辺りから自転車道に乗り入れ、安比奈公園を越えると、土手に菜の花が多くなって、これがきれいでした。ただ、自転車道としては、狭山側の手入れの方がいいようです。道だけではなく、入間川に架かる橋の名前なども、狭山側の自転車道には標識もありますが、川越側にはありません。又、狭山市側は土手の上を通ることが多く、見晴らしもいいのですが、川越の方は、土手の下で、川が見えないようなところが長々と続きます。川越にはいると、自転車道がS字型の急カーブがいくつかあり、しかも急勾配で、自転車を降りなければならなかったりします。

なんでこんなことを長々と書いたかと言えば、そのS字型の急勾配で転んで、膝をすりむいたからです。その恨みですナ。ここでも、バランス感覚が落ちていることが証明されちゃった。困ったもんです。

家を出て、自転車道終点まで、1時間15分。特に飛ばしたわけではないが、ゆっくり自転車を漕いだというわけでもない。ハーフマラソンくらいの距離を、自転車で行っても、このくらいかかる。マラソン選手って、すごいねえ。

川越狭山自転車道の終点に接するようにして、荒川自転車道がある。ここは乗り入れてすぐ、両側にゴルフコースがあり、柳の木が多く、芝生と柳と菜の花で、まことに春だなーという感じ。はじめからここまで来るのが目的だった。ここで、缶ビールとおにぎり。

帰りは、疲れたし膝も痛いので、のんびりと自転車を漕ぐ。鉛筆スケッチ1枚だけ。

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2008年3月21日 (金)

捕鯨について

3月21日(金)  雨、曇り

狭山台胃腸科外科へ。いつもの血圧検査。

いつも行く特養老人ホームでノロウイルスが発生し、しばらくの間、ボランティアは中止。イベントも延期。

昨日から続く雨のせいか、ボラ中止のせいか、何となくテンションが上がらず、昼食を作る気にもならなくて、近くのジョナサンへ食べに行く。外で食べるときは、いつもならビールを飲むのだが、その気にもならず、日替わり定食だけを食べる。

午後、気持ちを鼓舞して、次の水彩画教室の下絵(鉛筆の線がき)を描く。去年から私は写実をやめ、童画風の物を描きだしたので、構成やらなにやら考えなければならない。われわれの絵画教室の中で、私は下手な方で1,2を争うが、早く描くことでも1,2を争う。つまり拙速と言うことだ。けれども、写実を離れてしまうと、構成に一番時間がかかるようになった。

捕鯨について

捕鯨については、日本人なら誰でも似たようなことを書くでしょう。私もそうなのですが、仕事として鯨の骨を使っていた人間なので、ほんの少しだけ個性的なことも書きます。

私は琴を作る職人でしたが、その仕事で鯨の骨を使いました。琴の本体(ボディ)は桐を使いますが、他に、機能上必要なところや、装飾のため、少しだけ鯨の骨を使いました。最高級品になると象牙を使うわけですが、それ以外の物は鯨を使いました。

私たちが使ったのは鯨のあごの骨です。初めのうちは、シロナガスクジラの骨を使っていました。が、シロナガスクジラを穫れなくなったりして、他の鯨の骨も使いました。

使っていると分かるのですが、鯨の骨にも良い物も悪いものもあって、悪いものだと、スが入っていたりします。あれは鯨の骨粗鬆症ですね。

45~6年も前でしょうか、東京のデパートに和楽器を卸している会社の新人養成講座で、琴作りに関する話をしたことがあります。その時、「上野の科学博物館の前に、シロナガスクジラの骨が展示されているので、気になる人は見てくるように」と言いました。2~3日して、「行ってみたけど、なかった」という反応がありました。私は見ていたので、そんな馬鹿な、と思ったのですが、これは本当にないのでした。その頃から捕鯨問題はうるさくなっていたので、鯨の骨は撤去したのでしょう。

琴は伝統工芸品ですから、寸法などは尺貫法で測られていました。その方が何かと便利だったのです。1㍍は3尺3寸という、曲尺(かねじゃく)の寸法です。

当時、尺貫法で長さを測るのは、曲尺のほかに、鯨尺というものがありました。鯨尺の1尺は曲尺の1尺2寸5分です。これは裁縫などで使いました。本当か嘘か分かりませんが、はじめは鯨の髭で作ったので鯨尺と呼ぶそうです。この場合の髭とは、鼻の下にある髭ではなく、髭鯨の歯のこと。髭鯨とは、シロナガスクジラ、ナガスクジラなど、歯が髭のようになっている鯨です。

同じ尺と行っても、いろいろあったのですね。ちなみに曲尺の裏目の寸法は、ルート2になっています。数学で習いましたね、1.41421356を「人世人世に人見ごろ」なんて覚えたあれです。裏目で丸太の木口の直径を測れば、どのくらいの柱が取れるか分かります。

脱線ついでにもう一つ。昔の公共事業、大きな神社仏閣を建てるときは、大勢の親方や職人たちが集められました。その時まず最初に行ったのは、「物差し合わせ」だったそうです。親方によって、1尺の長さが違っていたりしたので、統一しなければならなかったわけです。

少し長くなりました。今日はこれくらいにして、また続きを書きます。

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2008年3月20日 (木)

餃子はどうなったの?

3月20日(水)  雨

この季節になると、桜の花が気になる。近くの交番の前の道路の中央分離帯に、何本かの桜が並んでいる。毎年、そのうちの1本だけ、一足先に花をつける。今年も、もう咲き始めていた。

今年、梅は遅かったが、桜は早いらしい。雨の中、1キロばかり先に買い物に出たが、辛夷や白木蓮が、もうどこでも咲いている。

餃子はどうなったの

中国ではチベットの暴動が続いている。まだ治まっていないようだ。今、そのニュースで持ちきりだけれど、冷凍餃子の方はどうなったんだろうね。このままうやむやで終わるのかな?

私は何でも安いものが好きだけれども(安いものしか買えないけれど)、安全を犠牲にしてまでも食べたくはない。しかし、あらゆる物に中国産の食物が混ざっているから、中国産のものを食べないでいるなんて、不可能に近いんだってね。

アメリカ産の牛肉は食べないようにしているけれど、これも避けきれないんだろうなあ。

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2008年3月19日 (水)

精神医療講演会  山の会総会

3月19日(水)  曇り、雨

精神科医療講演会

狭山保健所に講演会を聞きに行く。講師、神奈川県厚木市家族会 「フレッシュ厚木」理事、上森得男

自分の長男が統合失調症で長い間苦しんだこと、その長男が41才の今は通常の生活が出来るまでに回復し、仕事をしていることなど、具体的な話で、分かりやすい講演でした。

外国にも講演に行ったりする人のようですが、偉ぶったところはなく、帰りなど、会場の外にいる私に向かって、講師の方から声をかけてくれたりしました。

医者の問題、患者の問題、家族の問題、薬の問題、どれも具体的でした。聞いている人に希望を持たせるような話し方で、家族や患者本人たちは、ずいぶんと救われた気持ちになったのではないかと思います。

統合失調症も、正しい治療をすれば、普通の生活が出来るほど治るという結論。

山の会の総会

思わぬことに、会長をもう1年引き受けることになってしまった。司会をして貰うNさんとの打ち合わせで、この問題はこう答えよう、あの問題にはああ答えようなどと相談していたが、今年の役員はもう1年やれ、などと言われるとは、全くの想定外。

全体としては、もめ事なく終わる。

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散歩

3月18日(火)  晴れ

ぼんくら日記は、原則として、その日の夜寝る前に書いている。ところがこの日記は、19日の夜になってしまった。ココログのメンテナンスで、昨日は書き込むことが出来なかったせいである。

昨晩は、なにを書くつもりだったか忘れてしまった。それで、何をしたかを思い出してみる。

久しぶりに散歩に出かけた。ケーヨーデーツーで鉛筆だけで書くつもりの小さいスケッチブックを買い、ベルクでワンカップとつまみ、軽い昼食を買う。智光山公園に向かい、途中の有料橋の手前で右側の土手に曲がる。そして、サンパーク奥富の裏の公園にはいる。そこのベンチで昼食。小さな桜が何本も植えられていて、ピンクの花をつけている。おそらく河津桜だろう。早速鉛筆のスケッチを一枚。

その後、智光山公園に向かう。ここでも、池を見ながらスケッチを1枚。こんどは、ワンカップをちびりちびりとやりながら。

帰り、サンパーク奥富で、風呂に入って帰る。

出来の悪い小学生の作文、「朝、顔を洗って、ご飯を食べて、学校へ行きました」式の日記です。

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2008年3月17日 (月)

辛夷の花

3月17日(月)  晴れ

今朝、精障者作業所「みちくさ」へ行くために、マンションのドアを開けたら、いきなり辛夷の花が目に飛び込んできた。玄関から見て左手の少し奥まった家の庭に大きな辛夷の木があって、毎年今頃の朝、突然、辛夷が咲いていることに気がつく。かなりの大木である。普段はそんなところに大きな木があるなどと言うことに気がつかずにいるのだが、花を見ることでその存在をあらためて知る。

この辛夷が散る頃には、桜が咲き出す。もう、本当の春だ。

   白ければ画布に溢れる花辛夷    ぼんくらカエル

   大樹とはかくのごとしと辛夷咲く     〃

   咲くまでは無視されている辛夷の樹  〃

1句目が一昨年、2句目が去年、3句目が今年の俳句。なんのことはない、段々悪くなっている。  

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2008年3月16日 (日)

青二才昨日の続き

3月16日(日)  晴れ

青二才昨日の続き

昨日の続きという代にはしたが、青二才については、昨日ですんでいる。ただ、青二才の「青」について少し書き加えます。

青二才という時の青は、青臭いの青で、あまり良い意味ではない。しかし、元来「青」という言葉には、プラスのイメージの方が多いように思う。

「青春」、「青年」、「青雲の志」。皆、未来を持っている者のための言葉である。これらの言葉の語源も、昨日書いた「蒙古斑」と関連づけて考えることも出来ると思うが、どうでしょうか。

中国の五行では、「青」は「東」、「春」、「少年」などの意味に用いるのだそうです。青春や青年など、そこから来ていると言えるでしょうが、少年などを含むところを見ると、蒙古斑と無縁ではないようにも思える。(五行 中国古来の哲理で、万物は、木、火、土、金、水から出来ているのだそうだ。色なども、東西南北天などで決まっているらしく、青は東なのだそうです。この部分は読み囓り、詳しいことは分かりません)。

「青」を含む字、「晴」、「清」、「静」、「精」など、みんな良いイメージがありますね。そういえば「睛眼」の「睛」もありました。

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2008年3月15日 (土)

つばさ会  青二才

3月15日(土)  晴れ

俳句の会。私は全くふるいませんでした。

   残雪に木漏れ日あたる棒ノ嶺

青二才

実は、青二才について書くのは2度目です。その時と結論は同じで、少し余分なことも書き足します。

もう去年のことですが、NHKテレビの言葉のおじさんが「青二才の語源は分からない」と言いました。私は青二才の語源を知っているつもりだったので「え?」と思いました。

その後、YAHOOの知恵袋で青二才の語源が取り上げられたりしているようです。

「青二才」の意味は、若くて経験の浅い未熟者ということですね。これについては異論がないでしょう。語源について、ヤフー知恵袋の回答では、たとえば次のような具合です。

「青」は青臭いや青侍などに用いられるように、未熟なものを差す接頭語。「2才」は2通りの説があり正確な語源は不詳。一つは若者組(現在の青年団)ニューフェイスを「新背」といい、転訛して「二才」になったとする説。もう一つはボラなどの稚魚を「二才魚」「二才子」「二才」と呼ぶことからたとえ「青二才」となったとする説。一般的にはこの説が青二才の語源として有力とされている。

しかし、私はこれらの説に同意できない。私は別の考えを持っている。

結論から言うならば、青の才の「青」の語源は「蒙古斑」だと思っている。蒙古斑はモンゴロイドの臀部や背中に現れるものである。日本人の一歳児では99.5%尻や背中が青いそうだ。しかし、成人するまでには消える。白人や黒人には現れないらしい。

私などの若い頃は、少し大人びたことを言うと「まだケツメドが青いくせに、生意気なことを言うな」と叱られたものだ。「くちばしが黄色い」、「尻が青い」という言葉は、未熟者を批判する言葉だった。友人が結婚するとき、親代わりだった兄が「本人はまだ尻の青い人間です」と挨拶したことを覚えている。

そんなわけで、青二才の青が、尻の青さ、つまり蒙古斑と考えたのは、私にとってはごく自然なことだ。むしろ、それを言う人がいないというのが不思議なくらいだ。語源を考えるような人は、みんな上品な暮らしをしているのでしょうかね。だから、「ケツメドが青い」なんて言われたことがないのかな。

「二才」は文字通り「二歳」、子供、未熟者のことだと思う。私の考えの方が正しいと思うのだけれども、どうでしょうかね。

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飲み会

3月14日(金)  曇り、雨

水彩画の会。

終わって、飲み会。先生、Nさん、Tさんに私。Nさんの企画で、なぜか私も加わることに。

Nさんは話のおもしろい人で、狭山のことをよく知っている。大野松茂と同級生で、学校時代はNさんの方が頭が良かったみたい。ずっと級長だったらしい。昨日、20人ばかり連れて国会に行き、大野松茂にあったとか。

大野松茂とは、車椅子と仲間の会が国会見学に行くときに同行し、会っている。上杉鷹山を尊敬しているとかで、その小冊子をくれた。

そういえば、大沢正一さんのリーダーで国会見学の時も、大野松茂が顔を出したような気がする。このときは、園田天光光に会い、中国大使館などを訪問したのだった。その大沢さんも今は亡い。

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2008年3月13日 (木)

うつ病

3月13日(木)  晴れ

ボランティアグループの定例会。

Yさんが今月いっぱいでやめるそうだ。正直に言って、われわれのボランティア・グループの女性で、Yさんが一番好きだった。真面目で、誠実に努力する人。

リバーサイド、かすみがわ食堂では、Hさんが今月いっぱいでやめる。食堂の主任としてやっていた。この人も私は好きだったなあ。

山の会では、いずれTさんがやめるのだろうと思っている。しばらくはこの会にとどまると言うことだけれども、今から、残念だと思っている。Tさんと知り合えたことは、私の財産。

うつ病

午後、サンパーク奥富で講演会。演題は「うつ病と自殺」。講師は所沢慈光病院長、鈴木隆晴氏。

全体としては分かりやすい話で良かったのだけれども、講演を聴いて疑問が増えたことも・・・。

うつ病とは気分の病気、人間の感情には気分と情動があり、情動は瞬間的なもの、気分はある程度の期間続くもの・・・なるほど。

うつ病の主症状、感情としては抑鬱気分。・・・そうでしょう、そうでしょう。

思考は、思考停止、微少妄想。ん?、微少妄想? それはなに? 妄想は統合失調症にものと思っていたのだが、鬱にもあるんだ? 微少と言うからには小さいのだけれど、統合失調症の妄想とどう違うのだろう?

うつ病は神経伝達物質の出が少なくて、神経と神経の間の隙間にその物質を溜めるため受け手の神経の入り口を塞いで少なくする・・・。待て、待て待て。いつぞや、「統合失調症がここまで分かった」という講演を聴いたときには、確か神経伝達物質が多く出過ぎるので、受け手の神経の入り口に蓋をすると聞いたぞ・・・。うーん、分からなくなってきた。

神経というのは、たとえば手で冷たいものを触ったとき、その信号を脳まで伝える役割をする。神経は、人間の細胞の中では、最も大きい細胞だが、手で触った感触を、手から脳まで、いくつかの細胞を伝言ゲームのように伝えながら進んでいく。

神経細胞と、次の神経細胞との間にはわずかの隙間があって、感触は直接は伝わらず、初めの細胞から次の細胞へは、神経伝達物質を出すことによって伝わると言われる。その神経伝達物質が、正しく出されることと、正しく受け取ることが出来なければ精神障害になるわけである。

伝言ゲームの途中の人が、前の人と違ったことを後ろの人に伝えれば、最終の人は正しい答えを出すことが出来ないわけだ。先に聞いた統合失調症の場合は、神経伝達物質が出過ぎることが統合失調症の原因と言い、今日の話では神経伝達物質の出が悪いのがうつ病の原因という。その治療薬は共に、神経伝達物質の受け取りを制限することだという。どうも、何かしっくり来ない。私が、何か聞き違えているのか?

待てよ。私の神経伝達物質は正しく出ているのかな?

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2008年3月12日 (水)

大持山

3月12日(水)  曇り

山行、大持山。

S、H、A、Kさんに、ぼんくらカエルといういつものメンバー。Kさんが名付けて「水曜会」。

コース。飯能からバスで名郷へ。名郷~大鳩園~白岩~鳥首峠~ウノタワ~大持山~妻坂峠~山中~大鳩園~名郷。歩行、約5時間。

予報よりは天気が悪く、ガスっていて遠目は利かない状態。深くはないが残雪も多く、滑りやすかった。道も濡れ、どろんこ状態で、下山中は、何度か転んでお尻を泥だらけにした人が二人。私も滑ったが、幸いなことに片手をついただけですんだ。鳥首峠から大持山への道は、広い高原状の尾根もあり、なかなか良い感じ。

下山後、Aさん、花粉症に悩まされる。山の中ではそれほどでもなかったのに・・・。狭山で、例によって反省会。

昨日買った登山靴は、なんの問題もなく、快適に歩くことが出来た。足に異常なし。

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2008年3月11日 (火)

登山靴

3月11日(火)  晴れ

池袋へ、登山靴を買いに行く。

はじめに行った秀山荘では、私の足に合う靴はなかった。私の足は指の付け根のあたりが広くて、逆三角形型、原始人の足に近い。なかなか既製品では合う靴がないのである。秀山荘で、これが一番広いと行って薦めてくれた靴も、私には狭かった。

次に、好日山荘へ行く。ここでは4種類の靴を薦められ、試しに履いてみると、一つだけ、ぴったりと思うものがあった。登山靴に限らず、靴選びで、こんな経験はまず無い。しかも、その靴が一番安いのである。もちろんそれに決める。

明日、山に行く予定である。早速試し履きだ。足へのフィット感からいって、初めてでも、足が痛くなるようなことは無いだろうと思っている。

帰路、江古田で途中下車。デンマークの童話作家の名前を店の名にした洋菓子屋(これではバレバレだね)に寄る。経営者が中学の同級生なのである。家も、隣と言っていいほど近かった。前から店に寄れと言われていたのだが、実際に寄ったのは今日はじめて。

自宅に呼ばれて、しばらく雑談。われわれの同級生の中では、経済的には、最も成功した人だろう。「おれは運のいい男だ。やることなすことすべて上手く運んだ」という。土地やらビルやらマンションやら(私のように一部屋だけ持っているという意味ではない。一棟のことだ)いろいろ持っていて、その財を1代で築いた。「おれのまわりにはもっとすごいのがいるから、人に自慢はしない」という形で自慢話。

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2008年3月10日 (月)

3月10日 新聞紙

3月10日(月)  雨、曇り

こぶし福祉会の街頭募金の日だったが、雨で中止。

午後から、こぶし福祉会後援会の交流会。後援会会長、各施設から1名、家族会から1名、ボランティア2名、事務局1名計9名の会議。これは後援会の会議としては第2回目になる。この手の会議としては、割に活発な意見が出たし、具体的な提案も幾つか出た。○○交流会、○○懇談会というものは、得てしてどうでもいいようなことを話しあう場合が多いものだ。

3月10日

3月10日のブログに、「3月10日」と題を付けるのも変だが、年配の人は、ははあと思うだろう。東京大空襲の日である。

私は子供だったから、もちろん銃を取って戦ったことはない。空襲自体は何度も経験しているが、、大空襲は疎開しているので経験がない。しかし、大空襲にあった人たちは大勢知っている。私自身の経験や、大空襲にあった人の話を聞いて、「本のないお話」という童話を書き、このブログの初めの方に載せた。私はその話を、本当に泣きながら書いた。戦争だけはしてはいけない。戦争は絶対悪である。

新聞紙

戦後まもなくは、新聞紙も貴重な財産だった。初めは2ページ、後に4ページになった新聞は、読んだあとも、弁当の包み紙などに使われた。

弁当の真ん中に、ご飯が悪くならないように梅干しを入れられることが多かった。梅干ししかおかずがなかったとも言える。その梅干しの酸のために、蓋が融けて、梅干しの当たるところに穴があいたりしたものだ。穴があいたからと行って、新しいものを買うことも出来ず、その弁当箱を使い続けたものだ。

それを読み古しの新聞紙で包むのである。新聞紙には沢庵のしみなども付いたりするが、しみが付いても、同じ新聞紙を何回かは使い続けたものだ。何回か使い続けた後に、それは焚き付けの紙になった。竈や七輪に火を熾し、ご飯やみそ汁を作ったのだから、焚き付けるための紙が必要だったのである。

ここまで書いて、少し心配になってきた。若い人に、焚き付けるという意味が分かるだろうか? 新聞だけでご飯を作るというのではなくて、細かく割った薪に火をつけるために、新聞を燃やすのである。マッチ、新聞、細かく割った薪、普通の薪、と言う順番で火を大きくしていくのである。

新聞紙も、そこまで使ったと言うことだ。そういえば、新聞で包んだ弁当箱を、風呂敷に包んだのだが、その風呂敷が、日の丸の国旗だったりしたなあ、あのころは。戦争中はどこの家にも国旗があった。戦後、国旗を掲げることが無くなって、風呂敷に応用したのだった。

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2008年3月 9日 (日)

天狗岩

3月9日(日)  晴れ

山の会の例会日。

行き先は青梅市の天狗岩。天狗岩というのは、どこにでもありますね。今日は、里山歩き。なめてかかっていたら、それなりに疲れました。

下山後、吉野梅郷の梅の公園に寄る。ここは何度か来たことがあり、私の好きな公園である。ただ、梅はまだ満開になっていなかった。それと、梅の時期と杉花粉の時期が重なり、花粉症の人は苦労をする。この付近、杉も多いのだ。何人かの会員が、花粉に恐れをなして、公園には入らずに帰る。

解散後、10人くらいが新所沢の「ぎょうざの満州」で食事。お酒も戴きました。

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2008年3月 8日 (土)

ルパイヤート

3月8日(土)  晴れ

大和の湯で散髪。顔は剃らず散髪だけなら1.000円で出来る。最近はもっぱら大和の湯で散髪する。そのあと、当然風呂にはいる。そしてビール。これが旨い。

2日ばかり続けて宗教について書いたが、イスラム教のことなども考えたせいか、ビールを飲みながら、オマル・ハイヤームの4行詩「ルパイヤート」を思い出した。

家に帰ってから、早速詩集を開いてみる。オマル・ハイヤームは11世紀イランの科学者。オマル・ハイヤーム時代と言われるほどの業績を残しているらしい。その詩集「ルパイヤート」が知られたのは死後と言うことだ。酒を愛した詩で、私の記憶に残っていた。その幾つかを書いてみる。

訳は、黒柳恒男。

  哀しみをこらえて、酒杯を手にし、

  盃をかさねて、心豊かになろう。 

  理性と信仰に三行り半を書き、 

  葡萄樹の娘を妻にめとろう。

    ○  

  神よ、そなたは我が酒盃を砕き、

  愉しみの扉を閉ざして、

  紅の酒を地にこぼした、 

  酔っているのか、おお神よ。

    ○

  一片の小麦とパンがあり、

  一瓠の酒、一切れの羊肉があり、

  荒野で月の乙女と共におれるなら、

  王者も及ばぬこの栄華。

このような詩が、私の持っている詩集では296編。これを読むと、その頃のイランでは酒を飲むことが出来たらしいと分かる。今では、イスラム世界では酒は飲めないと聞いているのだが・・・。当時イランは、セルジューク朝の時代で、すでにイスラム教にはなっていたらしいのである。この詩からも分かるように、オマル・ハイヤームは、神を信じていなかったようだ。

ここに引いた詩編のうち、二つ目の一部「紅の酒を地にこぼした、 酔っているのか、 おお神よ」の部分だけが記憶に残っていた。

 

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2008年3月 7日 (金)

確定申告

3月7日(金)  晴 夜雨

市役所に、確定申告に行く。申告に行って深刻になったなんて平凡なだじゃれを言っても仕方がないか。

私はわずかな年金しか収入はないけれども、いくらかは所得税も払っている。だいたい数字を見ると頭が痛くなる方だから、自分で計算しても、どこかで間違える。それでも去年まではなんとか自分で書いていったが、今年は面倒くさくて、資料を持って行って、お任せですませた。こうして段々頭を使わなくなるのです。危ないなあ。

珍しく昼間からパソコンの前に座り、あれやこれや入力する。ついでに、山の会の総会資料も作る。最もこれは、ついでと言うより、どうしても作らなければいけないもだったけれど。

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2008年3月 6日 (木)

宗教について(昨日の続き)

3月6日(木)  晴れ

老人介護施設、狭山ケアセンターへ。3Fフロアー。歌、手品、紙切り。

宗教について(昨日の続き)

昨日は創価学会についてだけ書いてしまったので、別のことを書き加えます。

多くの人が言っていることですが、一神教というのは、砂漠で生まれた宗教だと、私は思います。キリスト教はユダヤ教から生まれ、イスラム教はユダヤ教とキリスト教を母体にして生まれました。砂漠の民が生んだ宗教で、ただ一神だけが正しく、他の神を信じてはいけない宗教です。この三つの宗教は親戚関係にあるのですが、お互いに他を認めません。

唯一の神ということから、二者択一の思想が生まれるのでしょう。何事も、正しいか正しくないかであって、中間は認めません。味方か敵かはありますが、どっちつかずはないのです。味方でなければ敵と言うことですね。あってもなくても良いものは、ない方が良いと言うことになるのです。あってもなくても良いからあっても良い、などという考え方は認められないのです。

違う宗教ならばともかく、ヨーロッパでは同じキリスト教でも、プロテスタントが誕生したとき、多くの国で内乱が起こりました。どちらかが正しくなければならなかったのです。国は国同士、町は町同士で争いました。血で血を洗うような争いで、人口が3分の1になったなどと言う都市も少なくないようです。たとえば日本で、日蓮宗と浄土宗で内乱をはじめるなどと言うことが考えられたでしょうか。

コロンブスがアメリカを発見し(もちろんコロンブスなどよりもずっと前に、インデアンが発見しているのですが)原住民を連れ帰りました。その時、ヨーロッパ中で大論争が起きました。「インデアンは人間か?」という問題です。人間ならばアダムとイブの子孫のはずである。あんな遠くに昔の人間が行けるはずはない。彼らはアダムとイブの子孫とは違うのではないか。つまり人間とは違うのではないか、と言う論争です。ローマ法王が「彼らも又アダムとイブの子孫である」と宣言したことで論争は治まりました。

驚きますね。日本なら、変な人間がいるという話題にはなるでしょうが「人間か?」なんて言う疑問は持たないでしょう。彼らを捕まえて見せ物にするような残酷さは持ち合わせていますけどね。

アメリカのブッシュさんが属しているキリスト教の一派は、いまだに進化論を認めない宗派だそうです。二者択一的な思想に凝り固まっているから、自分の正義を疑うことはないのでしょう。自分の正義のために戦争を輸出しました。テロは野蛮です。だからといって、戦争を仕掛けることが野蛮ではないと言えるでしょうか。

湿潤なインドや東南アジア、日本で発達した宗教は、多神教です。ヒンズー教や仏教、あるいは日本の神道など、神々や仏が沢山います。あらゆる物に神性を認めるアニミズムに近いわけで、原始宗教のようだと言えるかも知れません。しかし、木を敬い山を敬い、自然を敬うそのあり方が、日本人の性格を作ってきたとも言えるでしょう。われわれの国では、あってもなくても良い物は、文字通り、あってもなくても良いのです。

私は、一神教と多神教のどちらが良いとは言いません。それぞれに、良さも悪さもあると思います。たとえば何かを絶対正しいと信じたとき、たとえ一人になっても、その信念を貫く強さのようなものは、一神教を信じる人の中に多くあるように思います。神と契約しているのですね。神と自分なのです。神の前で自分が正しいと言えることならば、まわりが反対でも良いのでしょう。多くの日本人は違いますね。人との関係の中で生きています。なかなか絶対の信念という物は持ちにくいのです。ちょっと弱いのですね。

それにしてもこれからの世界は、他者との違いを否定するのではなく、認めながらやっていくしかないのだと思います。

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2008年3月 5日 (水)

宗教について

3月5日(水)  晴

私はなんの宗教も信じていない。だからといって、宗教を軽んじようという気持ちはないし、若い頃から宗教を知ろうという気持ちはあった。しかし、宗教を知ろうと思うことと、宗教を信じることの間には、越えられない溝があるようだ。

若い頃、創価学会の機関誌「聖教新聞」の日曜版を、頼んだわけではないのに、1~2年続けてわが家に送られてきた。

中学時代の同級生が送っていたらしい。ある時、ちょっと出かけようと誘われていったところが、創価学会の会合の場だった。その時、そのような会合にはじめて連れてこられた人が、私のほかにもう一人いて、彼らは私たちを折伏しようとしたのである。

折伏の方法というのも、研究しているのでしょうね。私たち二人は引き離され、それぞれに信者たちの輪の中に囲まれた。そこで、この教義を信じろとか、信じられなければ半年間、だまされたと思ってお題目を唱えろとか説得されたわけです。

私などはなかなか納得しないものだから、そのうちに「おまえはなんのために生きている」などと言う意味の質問を受けた。そういわれれば、何かのために生きているという実感はないので、「そういうあなた達はなんのために生きるという目的はあるのですか?」逆に質問してみた。すると「目的はある」というのです。「その目的はなんだ」と聞くと「幸せになることだ」という。うまいですねえ。反論のしようがない。

私と引き離された輪の中で、もう一人の人は、段々折伏されていきます。私は隣の輪にまで声をかけられず、歯がゆい思いでそれを聞いていた。

「幸せになるために生きている」まではよかったのですが、その後、彼らは失敗しました。富士山に登るには、この道が一番よいという道がある、と言いだしたのです。そんなものは、あるはずがないのです。なるべく短時間で登りたい人もいれば、時間はかかっても体に負担の少ない方法で登りたい人もいるでしょう。景色や自然を観察したい人もいるでしょう。そもそも、頂上にたどりつくことを目的にしない人だっているのです。要するにそんな論理ですから、私は納得するわけには行きません。

その時、同級生が言った。創価学会はこれから何年間とかで、世界の3分の1を信者にする、もう3分の1を同調者にする、のこりの3分の1は最後まで反対者だ。おまえは最後まで反対する人間だ。

実は、送られてきた「聖教新聞」を読むまでは、創価学会をもう少し尊敬していたのです。ところが送られてきた新聞を読むと、信仰のおかげで商売繁盛したとか、病気が治ったとか言う話が沢山掲載されている。あほらしいと思いました。

日本人はクリスチャンでもないのにクリスマスを祝い、仏教徒だと言いながら神社に初詣をする。神も仏も見境無く拝んだり、祝ったりします。それを矛盾していると言い、宗教心がないという。私は違うと思っている。むしろそれが日本人の良さだと思っているのである。しかし、一神教のヨーロッパ思想を正しいものとして、仏教にもそれを取り入れたのが創価学会で、神棚を壊させたりするのですね。一見矛盾が無くて良さそうですが、二者択一の思想だけでは世の中は救えないと考えています。その点でも、創価学会の考え方に私は反対なのです。

本当は、宗教一般について書くつもりだったのに、創価学会だけになってしまいました。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、そして仏教やヒンズー教などについて、私の貧しい考えを書いておこうと思ったのですが、またの機会にします。

創価学会については、書くことがタブーのような気もしますが、書いてしまいました。

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2008年3月 4日 (火)

つちふる

3月4日(火)  晴

昨日、黄砂が降ったようだ。今日も黄砂が降るという予報だったが、それほどのこともなかったと思う。

黄砂が降ることを、俳句の方では霾(つちふる)というのですね。読めなかったナア、この字。それでも広辞苑にはあるし、漢和辞典にも載っていた。両方にない「ひつじ」よりはましかな。このひつじ、いつかも書いたけれど、櫓という字の木偏の部分を禾編にしたものだ。田んぼの稲を買ったあとの株から、ひこばえが伸びてくる、そのひこばえを言うらしい。こんな字は、私のパソコンでは、手書き入力しても出てきはしない。私の無知と言うことはあるけれど、俳人というのも、難しい漢字を使うものですね。

精障者授産施設リバーサイドへ。食堂の手伝いをして、例によって包丁研ぎ。

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2008年3月 3日 (月)

さてどうしましょうか

3月3日(月)  晴

精障者小規模作業所「みちくさ」へ。畑、布草履作り。

さて今日は何を書きましょうか。書くことがありません。

昨日同じマンションの7階の方が亡くなったようです。私は、名前を聞いても、全然思い出せません。こんな集合住宅に住んでいても、知らない人が随分います。鍵一つ掛ければ、もう別の世界。他とは無干渉。良さも悪さもありますね。壁一つ隔てた隣で何が起こっても、気がつかないような毎日です。

Tさんの原稿の添削。

数独ばかりやらないで、本を読みましょう。これは自戒です。

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2008年3月 2日 (日)

車椅子と仲間の会

3月2日(日)  晴

原則として、昼間はパソコンに向かわないのだが、今日は例外。私の属する山の会の会則と申し合わせ事項を入力。総会の準備である。

車椅子と仲間の会

車椅子と仲間の会の定例会。新年会が雪で流れたので、今年は今日が初会合。

Hさん、久しぶりの出席。Tさんの車で彼の家まで迎えに行き、同道する。しばらく入院していて、又入院する。つかの間の退院である。癌、骨髄腫、足の手術、まさに満身創痍である。再入院すれば、手術が待っている。ただし、手術できるかどうか、まだ分からないのだそうだ。1日20時間も寝るそうで、人間はこんなに寝ることが出来るのかと自分でも驚くと言っていた。「あんなに好きだった俳句の本も読む気がしない」そうだ。

この会には本当に驚くような人が多い。たとえばKさん。両手が義手、片足が義足、それで車を運転し、自分で車椅子を車に積み、義手の2本の指(そう呼べるならば)で食事をする。場合によっては、他の人の車椅子を押しさえする。Tさんはこの人を頑固なところもあるという。それはそうでしょうね。私のように柔な人間だったらここまでは出来ない。

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2008年3月 1日 (土)

ひな祭り

3月1日(土)  晴れ

実は私、ちゃんとしたひな祭りをやったこともなければ、出席したこともない。本当のひな祭りというのは、どんなことをやるのでしょうか?ひな壇に雛を飾るだけで良いのでしょうか?

娘が2人いましたが、団地住まいなので、妻の作って木目込みの内裏様とお姫様をガラスケースに飾っただけです。

今日、いつも行く老人介護施設でひな祭り。1Fのホールで某ボランティアグループによる日本舞踊を鑑賞する。利用者のほか、家族の参加もある。われわれはいつものように、2Fと3Fの利用者の誘導を担当。

利用者Uさんの娘さんが、知り合いのUさんだったことが今日判明。お互いにびっくり。

利用者の某さん、「ここのやり方が大嫌い」だと言う。「なぜ?」と聞くと、「ここには自由がない」という。なるほどと思う。某さんのように、頭がしっかりして、しゃきしゃきしている人にとって、施設での生活は不自由だろうな、と思う。

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