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2008年2月29日 (金)

福祉と天下り法人

2月29日(金)  晴

特養さくらへ。今日は3Fの新館。ここにいるのは認知症の人たちである。いつものように、手品だの切り絵だのでは興味を持ってくれない。

仮にAさんと呼ぶことにするが、この人は私が行くと、独り占めにしたがる。手をつないで、20分くらい廊下を往復する。でも、一人だけを相手にするわけにも行かないので、他の人とも接触する。それが気に入らないらしく、帰る頃には少しすねていた。

認知症といっても、何もかも分からなくなるわけではない。私は自分を称して「まだら惚け」というのだが、認知症の人も、だいたいそんな始まり方をする。

その人を、仮にBさんとする。Bさんはいつも何か叫んでいる。何を言っているのかよく分からなかったのだが、耳が慣れてくると「帰してください」と行っているように思える。しばらく、Bさんにつきあうことにして、その話を聞いてみた。かなり聞き取りにくいところもあるが、おおよそ次のようなことが分かった。

Bさんは栃木県の、今は市になっているある村で生まれた。継母だったので家にいるのも辛くて、義務教育を終わると、すぐに家を出た。初めの仕事は、ある弁護士の家の食事作りだった。家族や使用人などが大勢いて、10人以上の食事を作らなければならなかった。いじめられもして辛いこともあったけれど、家に帰ってもいる場所がないから、我慢して仕事を続けた。10年くらいして、結婚するのでその仕事をやめた。その時旦那(弁護士)が「困ったことがあったらいつでもうちへ来なさい。相談にのりますよ」と言ってくれた。

その後、家庭に入ってももBさんは仕事を続けてきた。今は施設にいるのだが、こんなことをしてはいられない仕事をしなくては、という思いがあるようだ。家に帰って仕事をしたい、ということなのである。だから「帰してください」と言い続けるのである。実際のBさんは、足も手も不自由で仕事の出来る状態ではないのだが、なにもしないでいることに絶えられない気持ちがあるようだ。

老人ホームや、介護施設などでは、家に帰りたくても帰れない人が多い。家族の都合で出帰れない人もいる。家族の都合にもいろいろあって、本当にやむを得ない場合や、取りあえず面倒だから預けちゃえ、といったたぐいのものまで、さまざまである。身寄りのない人もいる。

ではそれらの人が施設に入っていれば安心かと言えば、必ずしもそうではない。たいていの施設は、人手不足で悩んでいる。仕事がきつく、給料は安いというのが、このような施設で働く人の現状らしい。

施設ばかりではない。障害者にとっても、高齢者にとっても、環境は厳しくなるばかりだ。政府や行政は、いったい何をやっているんだと言いたくなる。ワーキングプアーも放っておいて、障害者からリハビリの機会を奪いながら、いまだに、税金の無駄遣いをしている特殊法人の整理が出来ないでいる。天下りの役人が、無駄遣いをしながら高給をはんでいる。国民に自助努力を求めながら、自分たちは何をしているのだ。天下り法人に使うような金は、福祉に回すべきではないか。

天下りで高給をはむ役人は、それを恥とは思わないんだろうね。良い学校を出て、難しい試験に合格をして、国のために仕事をしてきたと思っているんだろうね。自分たちは人の上に立つべき人間だと思っているんだろうね。天下って平気なんだから、役人の時は、きっと役人風を吹かせていたのだろう。

だけど、人間の価値なんて、その人が自分の地位にふさわしい仕事をしているかどうかということが重要なのだ。ただ、役人をやっていたと言うだけなら、別に大工や運転手より偉いわけではない。将校は、将校としてすぐれていなければ、だだの一兵卒と同じである。すぐれた一兵卒は、すぐれた将校と同等である、と私は思う。

「敵の弾の飛び交う塹壕の上に、毅然として立つ将校は人々の称賛を受ける。しかしその前の日に、人夫がわずかな賃金でその塹壕を掘っている」というようなことを、どこかでモンティーニュが書いていたなあ。役人というのは、まわりの人がやってくれる上にのっているだけ、なんてこともあるからね。すぐれた人も多いとは思うけれども、そうでもないのも多いんだよね。

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