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2008年2月29日 (金)

福祉と天下り法人

2月29日(金)  晴

特養さくらへ。今日は3Fの新館。ここにいるのは認知症の人たちである。いつものように、手品だの切り絵だのでは興味を持ってくれない。

仮にAさんと呼ぶことにするが、この人は私が行くと、独り占めにしたがる。手をつないで、20分くらい廊下を往復する。でも、一人だけを相手にするわけにも行かないので、他の人とも接触する。それが気に入らないらしく、帰る頃には少しすねていた。

認知症といっても、何もかも分からなくなるわけではない。私は自分を称して「まだら惚け」というのだが、認知症の人も、だいたいそんな始まり方をする。

その人を、仮にBさんとする。Bさんはいつも何か叫んでいる。何を言っているのかよく分からなかったのだが、耳が慣れてくると「帰してください」と行っているように思える。しばらく、Bさんにつきあうことにして、その話を聞いてみた。かなり聞き取りにくいところもあるが、おおよそ次のようなことが分かった。

Bさんは栃木県の、今は市になっているある村で生まれた。継母だったので家にいるのも辛くて、義務教育を終わると、すぐに家を出た。初めの仕事は、ある弁護士の家の食事作りだった。家族や使用人などが大勢いて、10人以上の食事を作らなければならなかった。いじめられもして辛いこともあったけれど、家に帰ってもいる場所がないから、我慢して仕事を続けた。10年くらいして、結婚するのでその仕事をやめた。その時旦那(弁護士)が「困ったことがあったらいつでもうちへ来なさい。相談にのりますよ」と言ってくれた。

その後、家庭に入ってももBさんは仕事を続けてきた。今は施設にいるのだが、こんなことをしてはいられない仕事をしなくては、という思いがあるようだ。家に帰って仕事をしたい、ということなのである。だから「帰してください」と言い続けるのである。実際のBさんは、足も手も不自由で仕事の出来る状態ではないのだが、なにもしないでいることに絶えられない気持ちがあるようだ。

老人ホームや、介護施設などでは、家に帰りたくても帰れない人が多い。家族の都合で出帰れない人もいる。家族の都合にもいろいろあって、本当にやむを得ない場合や、取りあえず面倒だから預けちゃえ、といったたぐいのものまで、さまざまである。身寄りのない人もいる。

ではそれらの人が施設に入っていれば安心かと言えば、必ずしもそうではない。たいていの施設は、人手不足で悩んでいる。仕事がきつく、給料は安いというのが、このような施設で働く人の現状らしい。

施設ばかりではない。障害者にとっても、高齢者にとっても、環境は厳しくなるばかりだ。政府や行政は、いったい何をやっているんだと言いたくなる。ワーキングプアーも放っておいて、障害者からリハビリの機会を奪いながら、いまだに、税金の無駄遣いをしている特殊法人の整理が出来ないでいる。天下りの役人が、無駄遣いをしながら高給をはんでいる。国民に自助努力を求めながら、自分たちは何をしているのだ。天下り法人に使うような金は、福祉に回すべきではないか。

天下りで高給をはむ役人は、それを恥とは思わないんだろうね。良い学校を出て、難しい試験に合格をして、国のために仕事をしてきたと思っているんだろうね。自分たちは人の上に立つべき人間だと思っているんだろうね。天下って平気なんだから、役人の時は、きっと役人風を吹かせていたのだろう。

だけど、人間の価値なんて、その人が自分の地位にふさわしい仕事をしているかどうかということが重要なのだ。ただ、役人をやっていたと言うだけなら、別に大工や運転手より偉いわけではない。将校は、将校としてすぐれていなければ、だだの一兵卒と同じである。すぐれた一兵卒は、すぐれた将校と同等である、と私は思う。

「敵の弾の飛び交う塹壕の上に、毅然として立つ将校は人々の称賛を受ける。しかしその前の日に、人夫がわずかな賃金でその塹壕を掘っている」というようなことを、どこかでモンティーニュが書いていたなあ。役人というのは、まわりの人がやってくれる上にのっているだけ、なんてこともあるからね。すぐれた人も多いとは思うけれども、そうでもないのも多いんだよね。

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2008年2月28日 (木)

無題

2月28日(木)  晴

ボランティアグループ定例会。

3月1日にケアセンターのひな祭りを手伝うため、いわば振り替え休日のように、今日のボラは休み。

山の会の総会の準備のため、班長会。ココスでお茶を飲みながら。3月の定例会には、ブログを教えるような人が来るという。そういう人が入ってくれたら、私などは助かるなあ。

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2008年2月27日 (水)

古季語歳時記

2月27日(水)  晴

私は65歳の2月から俳句を始めた。現在は71歳だから、ちょうど6年になる。昨日都幾川や毛呂山に行ったTさんの勧めによるものである。

俳句でどうこうと言う気持ちはないけれど、ここまでやってきて、どうしても気になるのが季語である。

俳句を始めたとき、季語があって定型であるという以上の知識はなかった。ところがこの季語について、結社や人によって、考え方は天と地ほど違う。俳句とは季語を詠うものだという人から、季語を気にしない人までいる。季語については、人に教えて貰おうとしても、統一見解などというものはないから、駄目である。自分で考えるしかない。

季語絶対派の中には、歳時記に載っていないものは季語ではない、という考え方がある。あるいはこれが主流なのかも知れない。しかし私には、これは奇妙な考えに思える。それなら、広辞苑に載っていないものは言葉ではないのか、と反論したくなるのである。歳時記に載っていようがいなかろうが、季感を表す言葉は季語であると私は思う。

歳時記に載っていたって、変な季語はありますよ。「甘酒」が、夏の季語なのです。これは何も私が言わなくても、多くの人が指摘しているのだから、あらためて書けば、その尻馬に乗っているだけと思われそうです。でも、おかしいと言えばおかしいですよね。いまの人にとって、甘酒は冬のものでしょう。

昔、清涼飲料水などのなかった頃、水泳のあとで甘酒を飲んだりしました。かくいう私も、海水浴に行って、甘酒を飲んだ記憶があります。「甘酒」の本意はそれだと言われても、いまでは納得できません。

私は季感を表す言葉は、歳時記にあろうがなかろうが季語だと考えます。また、季語がなくても、俳句全体で季節を現していれば、その俳句は「有季」だと思います。

辞書に、「現代国語辞典」と「古語辞典」があるように、歳時記にも、「現代歳時記」と「古季語歳時記」があったらいいのに、と私は思います。「甘酒」などは、「古季語歳時記」では夏、「現代歳時記」では冬に分類すればいいのです。「古季語歳時記」というようなものがあれば、発句、俳諧を理解しやすくなると思うのですがどうでしょうか。こんなことは、だれもいっていないような気がしますが、どうでしょうかね。

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鎌倉街道

2月26日(火)  曇り

車椅子のTさんにつきあって、都幾川町に行く。Tさんの運転である。Tさん、このところ、すっかり鎌倉街道にこっている。鎌倉時代、奥州や信濃から「いざ鎌倉」という時のために整備された道だという。その道で、奥州へ行くために入間川を渡河する地点が現在の狭山市にあった。埼玉県には、東村山あたりで入り、高崎の方へ抜けていったようだ。その道を調べているのである。

狭山市内にもその名残はあるのだが、もはや道とは言えない状態のところが多い。いつぞや郷土史の研究者と尋ねたjことがある。林の中の、昔は道だったらしいという感じのところがほとんどで、中には土地の所有者に、入るのを断られたところもあった。

今日もところによっては、「鎌倉街道跡」などという標識の建っているところもあったが、多くは不明の状態だ。Tさんは何度も来ているらしく、市役所、町役場、資料館などで話を聞き、資料を集めたりしているようだ。車を走らせながら、林の中の何となく道らしいところを指して、「どうも、これがそうだと思うんだ」などという。

今日私を誘ったのは、車椅子では写真を撮りに行けないようなところの写真を撮ってほしいと言うことだ。階段で登れない寺とか、砂利を敷いてあって近づけない神社などの写真を撮るためだ。

前にもブログで書いたことはあるが、江戸時代の初めまで、都からの旅人は、狭山市で入間川を渡るのが普通だった。そのころまで利根川は関東平野を通り、東京湾近くで、隅田川と合流していた。荒川は、利根川の支流だった。そして隅田川は入間川の下流なのである。現在の都心の方は湿地帯だったらしく、旅人は避けて通ったようだ。そのため、武蔵野を通って、狭山市にいたり、入間川を渡河するというのがメインロードだったわけだ。

しかし鎌倉街道というものも、ほとんど分からなくなっているのが現状で、入間川の渡河点も、実ははっきりしていないのである。入間川町を中心にして出来たのが狭山市であり、入間川原で打たれたという志水冠者義高(源義仲の子)を祭る神社が近くにあることなど、いくつかの状況証拠で、狭山市あたりから川を渡ったと思われている。狭山市の歴史愛好家が鎌倉街道に興味を持つゆえんである。

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2008年2月25日 (月)

風の道

2月25日(月)  晴

マンションの度ドアは隙間がなくて、機密性が高いものと思っていたが、一昨日、昨日の風で、玄関に砂が舞い込み、床が真っ黒になっていた。我がマンションは、前の細い道を挟んで、向かい側に何軒か家が並んでいるが、その先は畑が続いている。畑から我がマンションまで、高い家はなにもない。だから畑の砂が直接吹き込んでくる。

このマンションは、風の通り道に建っているようだ。少しの風でも、よく通り、夏は思いのほか涼しい。無風だとどうにもならないが、そんな意味では比較的住みやすいかも知れない。しかし、風が通ると言うことは、埃も入ると言うことで、玄関と同じ向きにある風呂場は、風の日はうかつに窓を開けることが出来ない。昨日ほどの強い風でなくても、風呂場の中が砂だらけになるのである。窓を閉めてばかりいたら、湿気でかびが生えるだろうし、日を選んで開けている。

精障者小規模作業所「みちくさ」へ。畑、草履作り、商品の整理、話し相手など。

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2008年2月24日 (日)

ウイルス対策

2月24日(日)  晴、強風

昨日に引き続き、突風が吹く。

私のウイルス対策は、ウイルスバスターである。その有効期限が、今月いっぱいで切れる。で、更新しなければと思っていたのだが、次女夫婦が利用しているのもウイルスバスターで、それはパソコン3台利用できるものだという。夫婦で2題使うから、あと一台分は私のパソコンに入れてやると、今日わが家へ来る。

私は何に寄らずお金のかからないことは大歓迎だから、喜んでインストールして貰う。同じウイルスバスターでも、更新するのではなく、一度アンインストールしてから始めなければならなかったようだ。

今日は、マンションから一歩も外に出なかった。ウイルスバスターの入れ替えも娘たちにやって貰ったし、本当になにもしない1日だった。無為に過ごす、というのも良いですなあ。

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2008年2月23日 (土)

春一番 ぺどろ

2月23日(土)  晴、強風

春一番

関東地方で日記を毎日更新している人なら、たいていこれを取り上げると思う。午後から、とにかくすごい風。買い物に行こうとして外に出ると、突風で砂埃が舞い上がり、2-3百メートル先が見えなくなるほどだった。まともに目を開けて進むことさえできない。マルエツまで行くつもりだったが、突風に恐れをなし、距離が近いベルクの方にした。帰ってくると、肩や背中が、首筋から入った砂でちくちくした。

首都圏の鉄道、運転見合わせが相次ぐ。春は強風の季節だけれど、台風以外でこれほどの風、あまり記憶にない。近くの薬局では、店のシャッターを半分下ろしていた。

ペドロ

昨日、藁草履(わらぞうり)と草鞋(わらじ)の違いについて書いたが、これはその続き。

Mizutani10009 左は私の田舎(秋田県南部)で「ペドロ」と呼んでいた藁で出来た履き物。「ペドロ」とは方言でしょうが、こんなものに標準語があるとも思えない。雪道、といっても、多くの人が歩いて踏み固められたような道用の履き物です。

雪草鞋というものもありました。ペドロとは違い、雪草鞋は下にかんじきをつければ、山の中でもどこでも行けました。昨日紹介した草鞋と、このペドロを組み合わせたような形をしています。

私が田舎にいた頃、冬になると、縄綯い、草履作り、草鞋、ペドロ、雪草鞋作りなどをしました。絵本などに描かれているように、囲炉裏端の仕事でした。私が今できるのは、縄綯いと草履作りくらいで、あとは忘れてしまいました。ペドロなどを作れたらおもしろいのにナア、と思います。

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2008年2月22日 (金)

草履と草鞋

2月22日(金)  晴

精障者授産施設「リバーサイド」で、利用者さんとの懇親会。参加は、利用者12人、ボランティア4人、職員4人。お茶を飲んで、ケーキを食べて、話をして、といった案配で終わる。

草履と草鞋

もう20年以上前になるかも知れないが、そのころ時々文章を発表していた雑誌に、「いまでは藁草履と草鞋の違いが分からない人が増えた」という意味のことを書いた。すると九州の人から「こちらでは昔から、藁草履のことを草鞋と言っていた」という反応があった。

その後、気になったので、草鞋と藁草履の違いが分かるかどうか、まわりの人に聞く癖が出来た。

これまでに聞いた人の数は、まだ100人に満たないと思う。だから、統計上はこうだ、というような結論は出せない。何となく感じたことを言えば、東北育ちの人は60歳くらいでも、草鞋と藁草履の違いを知っている人が多いことである。その他の地方の人は、70歳くらいでも、違いの分からない人が多い。たいていは、藁草履のことを草鞋と思っているのである。

Mizutani10009 藁草履については説明の必要もないだろうけれどMizutani10010も、草鞋はここに載せた画像のようなものである。地方によって、作り方に多少の違いはあるらしい。上も下も同じ形のものだが、上の方は、草鞋から出ている紐(縄)を通した状態だ。下の絵で、長い紐の出ている方が前。この絵のようにして履く。テレビドラマの、水戸黄門御一行様が履いているのは、草鞋ですョ。長い旅は、草履では不便なのだ。昔の旅人は、皆草鞋を履いていたのです。わらぞうりで旅をしたなどとは思わないでください。松尾芭蕉は、草履で旅をしたのではなく、草鞋で旅をしたのだ。他の人も同じ。

駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人、なんてね。軒下に自分の作った草鞋を吊しておいて、旅人に買って貰い、日銭を稼ぐような人もいたらしい。草鞋はなんと言っても藁で出来ているから、靴などとは違って、傷みが早かったのだ。

旅人が宿にはいるときは、草鞋を脱ぐ、とか草鞋の紐を解く。といいます。長い旅を終えて、どこかに落ち着くことも、同じような言い方をします。たとえ藁草履であっても、草履の紐は解けませんからね。

何かの理由で自分の土地に帰れなくなる状態、たとえば犯罪を犯して逃げなければならないときなどに、「長い草鞋を履く」という言い方もあったようです。長い旅路といえば、ちょっとロマンチックだけれども、長い草鞋は辛いんだね。

「楽しきはビール、苦しきは旅路」という古代シュメールのことわざがあるそうだ。シュメールほど古くなくても、元来旅は苦しいものだったのである。行き倒れになったり、他人の飯を食ったりするのが旅である。その旅を続けなければならないのが「長い草鞋を履く」事だ。日本で旅が楽しいものに代わるのは、江戸時代以降でしょうね。それまでは、水杯を交わすのが旅です。生きて帰れるかどうか分からないから、水杯を交わすのです。

「可愛い子には旅をさせろ」というのは、旅は辛いものだから、可愛い子供に苦労をさせて、人間を磨かせなさい、世間というものを分からせなさい、という意味があった。旅をすれば、他人の飯を食うこともある、他人の飯には棘があるといわれたのです。旅をさせろとは、その棘のある飯を食ってこいと言うことだ。玉磨かざれば光無しで、可愛いからこそ苦労をさせろ、という意味だった。ところがいまでは、「可愛い子には旅をさせろ」という意味を、可愛いからこそ楽しい思いをさせろ、という意味に取るんだそうですね。平和だなあ。豊かだなあ。軟弱だなあ。

草鞋と藁草履について書くつもりだったのが、随分脱線しちゃった。まあいいや。自分には甘いんです。私も軟弱だなあ。                 

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2008年2月21日 (木)

迷うところ

2月21日(木)  晴

さてなにを書きましょうか。パソコンの前に座っても、これと言って、話題を思いつきません。何をどう書いたらいいか、迷ってしまいます。

狭山ケアセンターへ行きました。私は2Fで手品などをしました。今日は大勢の利用者さんが私を取り囲み、まるで本職の手品師のようでした。でも、時々失敗します。仕方ありませんよね、木戸銭を貰ってないのだから。みんなが笑ってくれたのが救いです。

深遠な話をすればいいのだけれど、今日はこんなところでお茶を濁しておきます。

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2008年2月20日 (水)

本妻の立場

2月20日(水)  晴

源平の争いについて、少し調べものをする。B5の用紙2枚分の書き物。

本妻の立場

テレビで、宮城まり子のねむの木学園についての放送。宮城まり子と吉行淳之介のことについても。

ねむの木学園の子どもたちの絵は、すばらしい。私も絵を描くが、子どもたちの絵の足元にも及ばないと思う。山下潔の文章だって、私の文章よりは魅力があります。な私にはまじいろいろな概念があるからいけないのです。

宮城まり子と吉行淳之介の愛についても、二人の生き方についても、私は尊敬します。

しかし、それはそれとして、このような放送を見ると、どうしても気になってしまうのは、吉行淳之介の妻の立場です。どんな人なのか私は知りません。最後まで離婚しなかった理由も分かりません。しかし、このような放送があるとき、どのような思いに駆られるのでしょうか。宮城まり子が褒め称えられるとき、その気持ちはどうなのだろう。そんな想像をされることは迷惑かも知れないけれど、どうしても、吉行淳之介の妻の気持ちを思いやってしまうのです。上にも書きましたが、宮城まり子を尊敬してはいるのです。けして非難するつもりはないのですが、妻のつらさも考えてしまうのです。

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2008年2月19日 (火)

手相、足相、人相

2月19日(火)   晴

手相と人相は昔からあるけれど、足相なんてのはあんまりありませんね。あんまりないと書いたのは、全くないのではなくて、怪しげな新興宗教の教祖が、足相を見るなどと言って、女性の信者になにやら怪しげな事をして、訴えられたなんて記事をみたことがあるからです。

人相というのは、何となく分かります。人の良さそうな顔、意地悪そうな顔、神経質そうな顔、私のように鈍感そうな顔、等々、みんなそれぞれ、自分なりに判断して他人の顔を見たりしています。その判断が、はずれたりすることも多いのですけれどもね。

手相診断なんて言うにも、昔からありますね。いつだったか手相の本をみていたら、有名人の手の写真がが沢山でていて、私の手の指のバランス、長さなどは、パブロ、ピカソに最も似ていました。手なんかにないで、才能が似ていればいいのに・・・。

足相というのがあるとすれば、私の足は原始人の足に似ています。というのは、かかとの幅に比べると、足の指の付け根あたりの幅が、非常に広いからです。極端に言えば、足の裏の形が、三角形をしています。

Sさんが、「幅が広すぎて履くことが出来ない」といって私にくれた靴を、今日、試し履きしました。入間市のコナミスポーツクラブの入浴券を貰っていたので、家から入間市まで、その登山靴を履いて往復。ま、往復はしたけれど、コナミスポーツクラブ、今日は休館でした。調べてくるんだった。

かんじんの靴と足の関係ですが、長い間はいていると、両足とも薬指のが靴と仲良くなれないみたい。薬指が靴と喧嘩する。つまり、足の薬指(足指でもそう呼んで良いのかな?)が靴に当たるのです。しかし、靴擦れが出来るところまでは行かなかったので、まあまあかな。一度、山で履いてみないといけないんだろうな。

若い頃は、新しい靴を履けば、必ず靴擦れが出来た。誰でも新しい靴を履けば、靴擦れが出来るものだと思っていた。私の足相は、相当に悪いのである。人相も、よくはないけどね。

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2008年2月18日 (月)

鳥にツツかれるキャベツ

2月18日(月)   晴

精障者作業所みちくさへ。いつもまず、最初に畑へ行く。残っていた20日大根をすべて抜く。しばらく来ないうちに、キャベツが鳥にツツかれて、さんざんな状態になっている。もともと農家のキャベツのようには育っていなかったのだが、どの株も鳥にツツかれて、まともなものは一つもない。雪が降ったりして餌が少なかったのだろう。一番被害の少なかったものを一株だけ収穫し、二十日大根と合わせて、おひたしにする。味は、まあまあ。

二十日大根を植えていた畝に、消石灰を撒いておく。

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2008年2月17日 (日)

孫たち帰る

2月17日(日)   晴

学校があるので、孫たち、帰る。朝食後、宿題などをして、公文などもやる。

上野の科学博物館によってから帰ると言うことで、午前中に家を出る。

その後、東京マラソンをみて過ごす。ニューヒーローの誕生。藤原とか言うこれまで無名の選手が、日本人トップの2位でゴール。

でもナア、女子でヒーローとなるのは世界の選手を相手にしての優勝者だったりするのだけれど、男子だと、日本人トップ、だもんネ。この国の女は強い。あるいは、男は弱い。

テナ事を言ったって、こっちは見てる立場で、自分ではナンニモ出来はしない。

一般参加者には義足で完走した人が二人。一人は片足の義足、もう一人は両足義足で、2本の杖をつきながらの完走だ。スゴイ。ただただカンシンするばかり。

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2008年2月16日 (土)

俳句の会 孫たち来る

2月16日(土)  晴

俳句の会定例会

われわれの会は20人程度の小さな会だが、俳句総合誌にたびたび登場する人や、高野ムツオによって昨年の俳句界の秀句第1に選ばれた人、都庁俳句の流れを汲む70人の会員を率いる人などがいる。横浜の釜が先(といったかな)の日雇い労働者の俳句指導を続けてきた人なども同人で、本当は程度が高いようだ。私などは、なにも分からず、ただくっついてやっている。

その恩恵を受けているので、少しくらいはお返しをしなければと思って、昨年から会計を引き受けている。その会計報告を、今日行う。Mさんなどの会計監査を受け、無事同人たちの報告できた。このMさんも、何度か総合誌に登場している。

とにかくこれで、一区切り。

長女一家、孫たち来る

福島の長女一家、デイズニーシーをみて、狭山に来る。学校もあるので、今日一日泊まるだけだが、子や孫の顔を見るのは嬉しい。長女の夫も、よく気を使ってくれる。孫やその親たち、疲れて、いまは眠っている。

おじいちゃんだけ、まだ起きている。

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2008年2月15日 (金)

雪踏み

2月15日(金)   晴

P1010048 これは私の田舎での雪踏みの記憶を絵にしたものです。俵の上のサンダラボッチを外したようなものを足に履いて(手には履かない!)、新雪の上を踏みます。雪の降った日、朝食前に、家の前から隣の家の前までを踏むのです。この絵を描こうとして、インターネットで調べるまで、雪国ではどこでも、このようにして雪踏みをするものだと思っていました。しかし、雪踏みの方法は、土地によって違いがあるようです。

秋田県横手盆地あたりの昔の習慣です。

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2008年2月14日 (木)

登山靴 定例会

2月14日(木)  晴

登山靴

朝、Sさんから電話あり。登山靴を持って行くからもう一度履いてみろというもの。

昨日蕨山から下山後、軽く飲み会を行ったが、その席で「登山靴を買うつもりの金がガステーブルに変わった」話をした。するとSさんが、「靴の幅が広くなりすぎて履けない登山靴がある」という。「半貼りをしたばかりで捨てられもせず、倉庫に起きっぱなしだ。足に合えば上げる」という話になり、履いてみることにした。Sさんは飲み屋から電話して、才媛の誉れ高い奥さんにその靴を持ってきて貰った。私は恐縮してしまった。Sさん、奥さんについてなんのかんのと言うが、本当は仲が良いのだなあ。

残念ながら足に合わず、話はそれで終わりと思っていた。ところが今朝の電話で、「足に合わないため、中敷きを5枚も入れていた」のだという。こんどはそれを取って持って行くからもう一度履いてみろというわけだ。

5分後に我がマンションの前まで行くというので、私は登山用の靴下をはいて待つ。履いてみると、こんどはぴったりである。戴くことにした。助かりますね。

ボランティアグループ定例会

全く惚けてしまった。私はケアセンターの誕生会に行くことになっていたのに、その日はすっかり忘れていた。私ばかりでなく、なんと3人も忘れたらしい。それにしても、私の忘れ方がひどい。忘れたことさえ忘れていたのだから・・・。

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2008年2月13日 (水)

雪の蕨山

2月13日(水)   晴

月いち、水曜日、いつもの仲間と蕨山へ。Hさん、Sさん、Kさん、Aさん、Iさん。

奥武蔵の山でも蕨山の雪は深いと前から聞いていた。その通りだった。飯能からのバスの終点、名郷から登る。この冬何度か雪が降っているが、日の当たるところ以外は、まだ深く積もったままだ。大方は踏み跡があって、それをたどればいいのだが、滑りやすく、アイゼンをつけても、なかなか疲れる。Hさんを先頭に、私はしんがりで進む。

蕨山山頂まであと0.7キロの標識を過ぎたあたりから、踏み跡が消える。雪国の人ならば知っていることだが、風通しのよいところでは、強い風に煽られて雪が横に降り、踏み跡などを消してしまうことがある。ちょうどその状態である。頂上が目の前にあるのに、ここで引き返すのは残念なので、ラッセルをして進む。大方はSさんがラッセル、一部私がラッセルで、どうやら頂上にたどりつく。雪はちょっとした地形や風向きの違いで、深くなったり浅くなったりする。場所によっては腰近くまでの積雪があった。

頂上で昼食。風が強く寒かったが、この辺で昼飯にしないと、腹が減ってかなわない。ややあって、感じの良い中年女性(おばさん)の二人組が登ってくる。「ラッセルがあったので楽をした」というのは本音だろう。しかし、かなり山慣れているように見受けられた。

頂上からは道がついていて、それ以後下山するまで、踏み跡が消えることはなかった。名郷から蕨山を経て河又まで、歩行時間は約6時間。雪道なので時間がかかる。綿のごとき疲れ。

例によって狭山で反省会(?)。

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2008年2月12日 (火)

記憶力と判断力

2月12日(火)   雨

2月の9日だったと思うが「わが祖国」で、古い記憶を披露した。半世紀以上も前に一度だけ習った歌を覚えていたことが自分でも以外で、ブログに書いただけでなく、千葉の花嫁街道にハイキングに行ったときに、仲間にも話した。すると、仲間に言われた。

「ああ、それは惚け初めだ。昔のことを覚えていて昨日のことが分からないのは、惚け初めだ」

ガーン。自分でだって、少しは心配しているのだ。いろいろ忘れることが多い。加齢によるものだと納得したいのだが、本当はどうなのか。

アルツハイマーの診断で、よく、時計の時間を絵に描かせるんだそうですね。たとえば9時15分の時計の絵とかをね。それならまだ大丈夫だけど・・・。

若い頃から何回も読んだ本と言えばモンティーニュの「エセー」がある。こんな本を座右の書なんて言えば、何となく格好が良いみたいだけれど、なに、分かって読んでいるわけではない。それでも、複眼的にものを見る癖は、この本から得たのかも知れない。もう一度通して読みたいと思っているが、なにぶんにも大部なので、なかなか出来ないでいる。

昨日その「エセー」を拾い読みしていたら、

「すぐれた記憶力は弱い判断力と結びつきやすいものだ」

という言葉を見つけてしまった。私がこれまで接した人々のことを考えれば、納得できるところもある。しかし、2-3日前の日記で、自分の記憶力に感心したばかりなのだ。参りましたね。

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2008年2月11日 (月)

ガステーブル

2月11日(月)   晴

ガステーブルを買った。本当は随分前から調子が悪かったが、大きな買い物は出来るだけ控えるビンボー人だから、今日まで我慢していた。しかし、いつまで我慢してもしょうがないので、近くのケーヨーデイツーで買った。私が買うのだから、もちろん安いものである。それでもグリルがついているから、魚を焼くには便利だろう。一応は日本製である。

これまでのガステーブルは、いつから使っているのか記憶がないほど古い。妻が9年前になくなっているが、その妻が調子が悪いとこぼしていたものだ。20年か、それ以上使っていると思う。

グリルを引き出せるようにするためには、ガステーブル前の棚を少し移動させなければならず、それを直すだけでも、少しは時間がかかる。ガステーブルを買って、持ってきて、古いのと取り替え、棚の位置を少しずらしただけで、何となく疲れた気分になった。こんなことで、一仕事やったような気分になってしまう。だらしがないね。

早速ホタテと葱の炒め物を作ってみた。ちゃんと出来ました。当たり前だけれど・・・。明日あたり、グリルも使ってみましょう。昨日千葉から買ってきた、カマスの干物がある。明日の朝のおかず、決まりだ。

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2008年2月10日 (日)

花嫁街道・花婿コース

2月10日(日)   晴

狭山山楽会山行

南房総の低い山何を一周して出発点に戻る4時間ほどのハイキングコース。最高点の烏場山で265㍍。

狭山市駅前をマイクロバスで7時出発。参加者17名。昨夜からの雪で電車が止まり来られなかった人一名、待ち合わせ場所の思い違いで参加できなかった人一名。

出発点から烏場山までを花嫁街道と呼び、烏場山から烏場山から出発点に戻るまでを花婿コースと呼ぶようだ。今日は菜の花祭りで、歩こう会というグループがこのコースの参加を呼びかけ、多くの人々が参加していた。私たちはそんなことを知らずに参加する形になった。登山口と下山口には、ボランティアの人たちが、コース整備の資金にするためと称して、蜜柑や杖、菜の花やせりなどの野菜、花、をごく安い値段で売っていた。また、下山口で、つみれ汁、ホッと牛乳のサービルも。両方とも、おいしかったです。蜜柑、食用菜の花、せりを買いました。多くの人はそんな買い物をしましたがS・Yさんが幾つも花束を買い、かえってみんなに冷やかされていました。

山道は雨や雪のせいでぬかるんで、少し歩きにくかったですね。とは言っても、標高からも分かる通り、楽なコース。海も明るくてなかなかよかったのですが、遠くは霞んで、たとえば水平線は見えませんでした。富士山も無理でしたね。

狭山に比べると、麓の風景は、いかにも南国風。もう菜の花が満開で、緋寒桜も咲いています。棕櫚の木も大きく、沢山ありました。サーフィンをしている人もいました。

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2008年2月 9日 (土)

わが祖国

2月9日(土)   曇り、雪

昼近く、車椅子のTさんから電話あり。「つばさ誌への出句を忘れていた。K・Sさんから催促されたので、これから届けに行きたい。つきあってくれ」とのこと。で、一緒に出かける。K・Sさんは入間市の人、本当は俳句では全国区の先生と呼ぶべき人である。留守のようだったので、出句をポストに入れて帰る。

孫から電話。長女一家が来週末に来るという。

わが祖国

昨日だったか一昨日だったか、都立高校の式典で、国歌斉唱の時起立しなかった先生がくびになり、再雇用されなかったのは違法だ、という裁判所の判決があった。その判決について、とやかく言うのではない。ふと、思い出すことがあったので、それを書く。

多分戦争が負けた次の年だったと思う。私は小学校4年生だった。

ある日先生が、「こんど国歌が変わるかも知れない。『わが祖国』という歌が国歌になるかも知れないので、みんなに教えておく」といった。その歌詞は、次のようなものである。

   海原の緑の中に

   永久(とこしえ)の平和求めて

   新しき国生まれたり

   愛の力広くあめねく

   燃ゆるなる わが祖国 

これが一番で、二番もあったのだが、思い出せない。この歌がどの程度本気に国歌として考えられたのかは知らない。どのような組織が提唱したのかも知らない。ただ、戦後すぐには、国歌を変えようという動きもあったということだけは確かだろう。

この歌のことなどほとんど知っている人はいないと思うので、一応は証言のつもりで書いておく。

ところで、この歌詞を記憶していたというのには自分でも驚くが、さらに驚くことに、私はこの歌をまだ歌えるのである。先生は一度しか教えてくれなかったと思う。その後この歌を耳にすることもなかったはずである。それなのに、つぶやいてみたら、ちゃんと歌えるのである。子供の頃の記憶ってのはすごいなあ。いまでは昨日のことだって覚えてないのに・・・。                                              

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2008年2月 8日 (金)

ボランティアについて

2月8日(金)   晴

特別養護老人ホーム「さくら」へ。Y・Yさん、YAさんと。私のしたことは、紙切り、手品、おやつの世話、話し相手。

終わって、A氏の友愛訪問、Y・Aさんと。

ボランティアについて

私はボランティアなどもしているわけだが、たいして深い考えもなく、そのことを人に言う。それを、はしたないとか、奥ゆかしくないとか思う人がいる。私は確かに奥ゆかしくはないし、はしたないところもあるだろう。そういう批判をする人も、ボランティアをやっている人である。

どうも、私とは考え方が違うんだなあ。私がやっている程度のボランティアなんて、たいしたことだと思っていない。コンビニでものを買ったり、ジョナサンで食事をしたり、映画を見に行ったりすることと同列のことだと思っている。やりたいことをやっているだけで、山へ行くことを隠す必要がないように、ボランティアも隠す必要がないと思っているのである。

自分のボランティア活動を隠す人は、その方が奥ゆかしいというわけです。よほど崇高なことをやっているんだろう。私のように、当たり前のことしかやらない人間とは違うんだろうね。

私は当たり前のことしかやってこなかったし、これからも当たり前のことをやっていく。だから、当たり前のこととして人にも喋る。

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2008年2月 7日 (木)

不言実行 大言壮語

2月7日(木)  晴

昨日の雪は、1センチくらい積もったのかな。今日は良い天気。

入間市のスポーツクラブの入浴券を貰ったので、自宅から歩いて行ってみる。私の足で1時間のコース。入浴し、昼食を取り、それなりに満足して帰る。

入浴前に量った体重が68.6キロ。え? 1週間前に72キロ有ったんだよ。特にダイエットもしていないのに、1週間で3キロ以上減るなんて、これは病気だね。でも、病気の気分ではないしね。

いま現在、テレビで「鞍馬天狗」をやっている。私は昔映画で見た杉作少年が、映画のために作られたキャラクターなのかどうかだけ、興味がある。杉作少年は、売り出し中の子役、美空ひばりがやっていた。今日のテレビには出てこなかった。あれは映画用に作られたんだろうな。

不言実行 大言壮語

ことわざというのは、人生や社会の真実を寸言で捉える、なかなか良いものではあるけれど、時には、正反対のことわざがあったりする。たとえば、「君子危うきに近寄らず」と「虎穴にいらずんば虎児を得ず」のようなものだ。

あるいは、同じことわざが、反対の意味に解されるときもある。「情けは人のためならず」というのは、元来は、人に情けをかけるのは、廻り廻って自分に返ってくるのだから、人には情けをかけてあげなさいという意味だった。それがいまでは、なまじ情けをかけるのは、その人の依頼心を強くするから、情けなどかけない方がよい、という意味に取る人が増えた。

「かわいい子には旅をさせろ」ということわざも、本当は、旅には辛いことがつきものである、他人の飯には棘があるとも言われる、その他人の飯を食ってこい、世間を広く見る目を持つようになれ、そのために辛い思いをしてこい、という意味があった。ところが、可愛いんだから楽しい思いをさせてやれ、という意味に取る人も出てきたのである。旅が、辛いものから楽しいものに代わったのだ。

昔の旅といまの旅の違いを書こうとすれば、私の知識でも、それだけで1冊の本が出来るだろうから、これだけでやめる。

ことわざだの熟語だのの解釈は、いろいろあるのですね。「空前絶後」という熟語の意味を大学の試験に出したところ、「午前中に何も食べなかったので、午後になって息絶えた」という回答があったそうです。私なら、この回答に100点上げたいなあ。

「三つ子の魂百まで」の「三つ子」を、双子とか五つ子とか云う意味の三つ子と考えた学生もいたそうだ。なるほどねえ。

「転石苔を生ぜず」ということわざが英語にはあるそうだ。元来は、転がるような石には苔が集まらない、だからじっとしていなさい、というような意味だったらしい。「石の上にも三年」というような意味あいである。ところがいまでは、「じっとしていると垢のようなものがついてしまうから、常に新鮮でいるために、積極的に動きなさい」という意味に取られるようになったという。「犬も歩けば棒に当たる」というのと同じですね。外なんぞ歩き回ると棒にぶつかってしまうから、動き回るのはやめなさい、というのが、動き回れば棒に出会うこともありますよ、という意味に取る人もいるようになった。

棒に似たもので、杭というものがある。その杭に関して「出る杭は打たれる」ということわざがある。近ごろは、「出る釘は打たれる」と思っている人もいるが、この場合は、杭でも釘でも、意味するところは大きく違わないようだ。才能のある人は、どうしても人より上に出てしまいがちだが、出れば打たれますよ、だからあまり出なさんな、というのがもとの意味である。しかし、打たれるのは覚悟の上で出なさい、焼き餅を焼いて打つような奴のことなど気にするな、というとらえ方をする人も出てきた。

ことわざも、考え方も、時代と共に変わるのである。

仮に、「不言実行」と「大言壮語」という熟語を考えた場合、日本人が好むのは「不言実行」の方でしょうね。

しかし、どうも、不言実行というのは、西洋や中国向きではないのですね。有言実行でなければいけないようです。西洋にも、「雄弁は銀、沈黙は金」などということわざもあるが「沈黙は愚か者の知恵」なんてのもあるんだってね。「不言実行」なんて云って済ましていられないのが、世の中の動きというものなのでしょう。

「大言壮語」というのは、あまり良い響きを持っていない。「一丈を言うものは一尺を行う」などとも言う。一丈とは一尺の十倍である。一尺は約30センチだが、そんなことはどうでも良くて、「大言壮語」するものは、その10分の1くらいを実行すると云うことに意味がある。10分の1しかやらないと取るか、10分の1くらいはやると取るか、ウーン。

これからは、大言壮語する方がよい時代が来るのかも・・・。

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2008年2月 6日 (水)

上田秋成

2月6日(水)   曇り、雪

天気は怪しかったけれど、洗濯。

俳句の会の会計帳簿を精査して、誤りに気づく。その訂正に半日がかりだ。

終わって外出。外出先で家の前のパン屋さんに会い、帰りは車に同乗させて貰う。

3時頃帰宅し、その頃から雪が降り始めた。慌てて洗濯物を室内の移す。

上田秋成(胆大小心録)

「雨月物語」や「春雨物語」で有名な上田秋成には、「胆大小心録」という随想録がある。最もこれは、生前に出版されたものではない。しかし写本などが残っているので、生前にまとめられてはいたのだろう。なお、「胆大小心録」の「胆」は本当は「膽」である。

若い頃これを読んで、幾つか記憶に残っている言葉がある。鎌倉幕府が倒れて室町時代を迎える戦乱の頃、戦いに敗れた方の下級の大将も処刑されることになった。その「佐介なにがしと云う武士」が歌を詠んだ。その歌、

   皆人の世にあるときは数ならでうきにはもれぬわが身也けり

「とよみしは、涙落つることわり也」。

他の人たちが良い思いをしているときには、その数の中にも入れなかったのに、悪いときには一緒に首を切られてしまう、という意味である。

私などは、バブル景気の頃にこれといって良い思いはしなかったけれど、景気が悪くなると、真っ先に苦しくなりますね。まあしかし本当は、私などはまだいい方だ。豊かと云われる日本で、生活苦や看病疲れから自殺する人がいる。働いても働いてもネットカフェから抜け出せない人もいる。この日本で、餓死する人さえいるのである。

設備投資が上向きだから景気が良い、企業が黒字だから景気が良い、などという。嘘をつけ。庶民の生活を苦しめて、何の景気だ。小泉さんあたりから、急におかしくなってきたね。これが豊というのなら、随分ゆがんだ、品のない豊かさだ。

再び「胆大心小録」

「茶は好みて飲めかし。市中に礼服をつけて茶席をよろこぶは、客主共に小児の業なり。古器伝来は賞すべし。価もて求めしは、舜椀といへども、古廃棄なり」

「舜」とは古代中国の伝説の王。大金をはたいて買うのでは、舜王の使った椀だって虚しいと云うこと。ブランドものを追いかけてばかりいる人は耳が痛いはず・・・なんだけど、そんなことは感じないかな。

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2008年2月 5日 (火)

命あるもの

2月5日(火)   晴

精障者授産施設リバーサイドへ。かすみがわ食堂の店員。11時半から1時くらいまで。終わって、包丁研ぎ。ついでに、小規模作業所コパンの包丁も研ぐ。

Iさんの奥さんの通夜。天嶺寺で。行年61歳。若いなあ。

天嶺寺は曹洞宗の禅寺。私たち家族(長女夫婦と孫、次女夫婦)が今年初詣をした寺(寺の場合、初参りというのかな? それだと、お墓参りになっちゃうか)。

命あるもの必ず死す。形あるもの必ず壊れる。常識をわきまえた良い人だった。

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2008年2月 4日 (月)

俳人って変ですね

2月4日(月)   晴

精障者作業所みちくさへ。いつもなら畑に行くのだが、今日は雪が残っているのでパス。Kさんと藁草履作りなど。Sさんに貰った藁があったので、それを使う。藁を柔らかく叩くのが大変。以前、木の枝を利用してそれらしい道具を作っていたので、まあ、何とかなった。

今日は立春。暦の上では今日から春。身近に誕生日の人もいたりして、めでたいと言えばめでたい。暦通りに季節を感じることになっている俳句の方では、もし明日雪が降ったら、春の雪、ということになる。変ですね、俳人って。一般の人の実感と違うことを言って、自分たちの方が正しいと思っている。何しろ暦に従っているのだから、実感なんぞ何のその、だ。一年中で一番寒いときが春で、一番暑いときが残暑なのである。それでも、今日の陽ざしだけを言うなら、春のようだった。関東地方には、「雪の次の日は裸で洗濯」などということわざもある。

夜、4階のGさんから電話あり。Iさんの奥さんが亡くなったという。びっくり。常識をわきまえた感じのいい人だった。私などに比べればまだ若いのに、病気とは知らなかった。明日、通夜。

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2008年2月 3日 (日)

雪ですね

2月3日(日)  雪

朝6時過ぎ、新聞を取りに行って、雪であることを確認。朝寝坊を決め込み、布団に潜る。

8時、電話で起きる。この雪で、車椅子と仲間の会の新年会は中止ということだ。雪の中では、車椅子も動きがとれない。当然の決定。もう一度布団に潜る。

9時、こぶし福祉会のUさんから本棚を加工した事へのお礼の電話。

やむを得ず、ここで本格的に起きることにした。そして、ああ、またも炊飯器のスイッチを入れていなかったのです。これでは毎日だ。すぐ目の前にあるとはいえ、雪の中を白飯買いに出る気もせず、炊飯器のスイッチを入れる。その結果、みそ汁とおかずを先に食べて、ご飯はふりかけだけでとる始末。

雪は1日中降る。午後1時頃が最も激しかった。しめっている雪なので、その割に積もらない。車の通る道などは0センチだ。

子供の頃は、降ってくる雪をよく下から見上げた(この言い方くどいね。上から見上げないもんね)。すると、雪は螺旋状にまわりながら降っていることが分かる。雨は直線的に降る。こんなことは誰でも気づいているのだろうけれど。

   窓開けて雪チラと見る朝厨        ぼんくらカエル

   まぼろしの朱き傘行く雪の朝        同

   ようやくに雪やむ気配出湯の里      同

入間市の風呂の入浴券を貰ったのだが、雪なので行く気がしない。従って、3句目は行ったつもりの句。

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2008年2月 2日 (土)

今日の朝食

2月2日(土)   晴れ、曇り

また、やっちゃいました。

冬の間は、鍋物がおいししい。鍋なら料理は下手でも出来るし、残った汁は冷凍しておいて、カレーライスのベースにすると旨い。

で、今日は朝から張り切って、カレーライスを作ろうとした。先日の鍋の残りと肉と野菜を使って、およそ3食分くらいのカレーを作った。さてできあがって、食べようとしたら、ご飯がなかったのである。近ごろ多いんだよね。

いつもの例で、すぐそばの99円ショップで五穀米のご飯を買う。ここで売っている白飯では、1食分としては少しばかり量が多すぎる。麦飯は山芋でも摺ったときに買うとして、普段はたいてい五穀米の飯を買う。五穀とは何なんだろうと思って、表示を見ると、「麦、あわ、きび、ひえ、アマランサス」と書いてある。さらに「五穀10%」とあるから、米が90%なんだね。「アマランサス」とは、どんな穀物なのかねえ。まあ、それなりにおいしい。

他に今朝食べたものとしては、ホウレンソウのおひたし、とろろ昆布と大根の葉の茎の部分を細かく刻んで入れたみそ汁だ。この大根の茎は、冷凍しておいたもの。野菜が余ったときなど、細かく刻んで冷凍しておけば、好きなときに取り出して、みそ汁などに出来る。木の椀ではなく、瀬戸物の椀に水を入れ、ダシを入れ、味噌を溶いてレンジでチンすれば、簡単に1食分のみそ汁が作れる。

この作り方は、山の会のMさんに習ったと思うのだが、「私ではない」といわれた。ダシを入れてみそ汁を作るなどと言った覚えはないそうだ。ひょっとすると、野菜のあまりを細かく刻んで冷凍するというのはMさんに聞いて、瀬戸物の椀でみそ汁を作るというのは、私の知恵だったかも知れない。余ったみそ汁を瀬戸物の椀に入れてレンジにかけるという方法は、前からやっていたからだ。

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2008年2月 1日 (金)

スローガンに酔うな

2月1日(金)   晴れ

ボランティア懇談会

精障者作業時みちくさで、スタッフとボランティアの懇談会。

私はみちくさのメンバーさん達については、以前は全員知っていたが、いまは一部しか分からない。メンバーの入れ替わりがあり、私は原則として、週1度しかいっていないからである。

なんと言ってもこの病気、体調などの波が大きいのだ。スタッフの悩みの一つである。

ボランティアとしては、他の障害者や高齢者を相手にしたときのような、達成感が持ちにくい、ということがある。たとえば、車椅子を押せば、ボランティアをしたのだという実感がある。しかし、五体満足な人と話をしているだけで過ごすような時間は、これでいいのかな、と思ってしまう。本当は、精神障害者の話し相手になることは、足の悪い人の車椅子を押すようなものなのだけれど・・・。

水彩画の会

遅刻していく。雪国の子供が雪踏みをしている絵を描こうとしたのだが、早描きの私も、さすがに1時間弱では描ききれなかった。

スローガンに酔うな

戦争が何によって起こるのか、それぞれに何か原因があるのだろうけれど、私などには分からないことが多い。ただ、誰かが旗を振って、スローガンを叫んでいると、必ずそのスローガンに酔う人が出てくる。どの戦争でも、指導者だけでは出来なかったはずである。

こんなことを考えるのは、昨日「母べえ」を観たからだけれども、先の戦争でも、スローガンを叫んで旗を振る人がいた。その旗に靡き、そのスローガンに酔う人がいた。頼まれもしないのに、大義名分を叫び、正義感に駆られて人を戦争に駆り立てるような人がいた。ただ付和雷同しているだけなのに、ただお先棒を担いでいるだけなのに、自分は正義を主張していると信じ込んでいたのだ。マスコミも、それを煽った。

インテリはそんなことをしないなどと思うのは間違いである。頭のいい人間は付和雷同しない、などと思うのは間違いである。どんな人間が付和雷同し、どんな人間が冷静でいられるのか、それが私には分からない。ただ、スローガンに酔うタイプ、というものはあるような気がする。しかし、私が付和雷同しないとは言い切れない。用心しなくてはいけない。

私は、世の中の人が同じ方向を向いて、同じことを言い出したら危ないと思っている。われわれは、ちょっとしたことで、すぐそうなるのである。

相撲の朝青龍問題などがそうだ。朝青龍はずる休みをしただけである。確かに横綱たるもの、ずる休みなどすべきではない。朝青龍は批判されるべきであり、処分をされるべきである。しかし、あれほど大騒ぎするようなことだったのか。マスコミがこぞってたたき、テレビや新聞で、識者といわれるような人々が、口を極めて批判した。

同じ相撲界なら、時津部屋のリンチ殺人事件の方が、ずっと重大で、それこそ同じ土俵では論じられないほどなのに、世間やマスコミの扱いは逆だった。

相撲だったから良かったけれど、これが戦争の話だったら大変である。われわれは、一定の方向を見がちなのである。そういえば、小泉人気だって、どこか共通していたと私は思う。

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