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2008年1月19日 (土)

狂言入間川

1月19日(土)  晴れ

市民会館で大蔵流山本会の狂言を観る。「狂言入間川を観る会」が毎年行っているもので、今年は14回目だという。実を言うと、今回は観ないつもりだったのだが、券を持っているHさんが急にいけなくなったと言うことで、私が譲り受けた。

演目は、狂言として「入間川」「布施無経」「河原太郎」、小舞「御田」。「入間川」以外は、始めて観る演目である。それに山本東次朗の特別講演「狂言のこころ」。

「入間川」は入間川の逆さ言葉をモチーフにしたもの。「布施無経」はお布施を出し忘れている檀家と、お布施を貰いたい坊さんのやりとり。「河原太郎」は、売り物の酒を飲みたい亭主と飲ませたくない女房との駆け引き。

芸術院会員、人間国宝や、紫綬褒章その他の賞を貰った人たちの舞台なので、私などはめったに観ることが出来ないものだろうが、山本会は狭山市に縁のある人たちなので、毎年演じてくれるのである。

ここで、知ったかぶりのウンチク。

狭山市は入間川町とその周辺の村が集まって出来た市である。市の中心を入間川が流れている。中世、京や鎌倉から奥州へ行くのは、入間川町あたりで川を渡るのが、メインロードだった。現在の東京駅周辺は湿地帯で、旅人は避けて通ったのである。内陸の道以外では海上の道があって、鎌倉から三浦半島を通り、船で房総半島に渡るものだ。土地の名前に、上とか下とかつく場合には、都に近い方が上になる。房総半島では、半島の先の方から、安房、上総、下総となるのはそのためである。

内陸の道がなぜ入間川を通ったのかは、当時の地理を知れば納得がいく。当時、利根川は武蔵野を流れて河口近くで隅田川に合流し、東京湾に注いでいた。さらに、荒川は利根川の支流であった。利根川や荒川が現在の姿になるのは、江戸時代初期の工事によってである。利根川は鬼怒川につながれて太平洋に注ぐことになったし、荒川は入間川につながれて、現在の形になった。江戸時代って、結構大規模な工事をやっているんですね。今、荒川と呼ばれているのは、元来は入間川の流れなのである。東京の中心部が湿地帯だったこともあって、旅人は、入間川を渡って奥州へ行ったのである。

まあそんなわけで、入間川というのは、古くから都に知られた地名であり、川の名前であった。狂言や、相撲部屋にその名が残っている。

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