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2007年11月 8日 (木)

定例会  「忘れない」

11月8日(木)  晴れ

たけのこの会(ボランティアグループ)定例会。

午後、車椅子と仲間の会のT氏に会う。T氏の紀行文「渡瀬紀行」の添削、アドバイスなど。

この一編

私が琴作りの現役だったころ、音を調べるとき以外は、一日中ラジオをつけっぱなしにして仕事をしていた。私は一日中一人で、話し相手もなく仕事をしていた。そんな私に、ラジオは友であった。ほとんど聞き流していたのだが、いくつかは気に入りの番組もあった。

なんといっても楽しかったのは、「子供電話室」という番組である。あれは今でもあるのだろうか。「ミミズの身長は、ミミズが伸びたときに計るのですか、それとも縮んだ時に計るのですか」などという質問が飛び出す。どんな回答者だって、目を白黒させるだろう。

特にどの番組というのではなく、ラジオではよく視聴者の便りを放送する。聞き流しているだけだから、たいていは気にもとめないが、中には、しみじみと人生を感じさせるものがある。その幾つかを、書き止めていた。

たとえば次の話はどうだろう。

……私の母は料理が上手でした。特に茶碗蒸しが得意でした。私も母に教えられて、茶碗蒸しは得意になりました。先日茶碗蒸しを作っていると、茶碗の蓋に、ぼんやりとした黒いしみが見えました。よく見ると「ば」の字のようでした。母が生前、茶碗蒸しを作るときに、歯の悪い自分用に、一つだけ柔らかく作って、間違わないように、蓋に“おばあさん”の「ば」の字を書いていたのです。

また、こんな便りもあった。

……戦争中、私の住んでいた家の裏庭には、竹藪がありました。庭に向こうはグランドで、そこには兵舎がありました。人の噂では、特攻隊員の兵舎だということでした。私と姉は、時々裏庭に出ていたので、自然に顔なじみになる兵隊さんもいました。しかしその人たちも、いつの間にか飛び立っていきました。

……やがて戦争が終わり、兵舎も空になりました。ある日、久しぶりに裏庭に出て竹を見ていると、その一本に、何か文字のようなものが見えました。若竹の時に小刀などで彫ったものらしく、かすれているが「○子サマ(姉の名) アス タチマス スキデシタコトヲ イエズニ タチマス」と判読できました。

現役を離れてから、ラジオを聞くことはほとんどなくなった。その頃のラジオの役割をしているのは、テレビと新聞である。新聞では、ニュースもさることながら、コラム欄が好きである。私は「毎日新聞」を読んでいるのだが、「女の気持ち」という投書欄がある。これも好んで読む。

先日(2007年11月5日)『忘れない』という題で、大要、次のような投書が載った。

……先日、私の兄が亡くなった。

……私(投書者)は6歳で父を亡くし、その後1年半くらいの間に長兄と母もなくなり、次兄と私だけが残された。その後、私たちは別々の農家に預けられた。

……兄は義務教育を終えるとすぐに仕事に出、帰りはバスに乗って私が預けられている家の前を通った。その時間になると私はゴミを捨てに行くふりをして、ちり取りを持って家の前に出た。すると兄は、バスの窓から身を乗り出して、仕事先で貰った芋や餅の入った紙包みを落としてくれた。 

……私が義務教育を終えると、兄は私を引き取り、3畳の間借りで二人の生活が始まる。ところが私は足が腫れて歩けなくなり、兄は仕事の合間を見て、私を、接骨院まで毎日運んでくれた。

そしてこの投書は、次のように終わる。

……「昭兄ちゃん、今までありがとう。私たち、なき両親に胸張れるような生き方をしてきたよね。恩忘れないよ」

この投書を読んで、私はしばらく、涙が止まらなかった。これを書いている今も、涙が溢れる。歳をとって、涙腺が緩んだためばかりではないだろう。ここ数日、テレビも新聞も、民主党の小沢一郎が、代表を辞めるとか辞めないとかのニュースで持ちきりだが、私の心にもっとも残った記事は、この一編である。

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