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2007年11月30日 (金)

彩の会

11月30日(金)   雨、曇り

彩の会(水彩画の会)。

子供の四季シリーズ。スキーの図。

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2007年11月29日 (木)

在宅時こそ鍵を

11月29日(木)   曇り

狭山ケアセンターへ。

じつは、Y男さんに車で送ってもらうはずだったが、私は時間を忘れて、出て行かなかった。Yをさんは不審に思い、わざわざ私のマンションの4階まで上がってきて、わが家のドアを開けたらしい。そして声をかけたのだという。しかし、何の返事もないので車まで帰り、もう1度上がってきて、同じようにしたらしい。それでも返事がなかったので、自分だけでケアセンターに向かったと言うことだ。

その時私は何をしていたかといえば、CDromに収録された、瀬戸内寂聴の法話を聞いていたと思う。1時半に迎えに来ることになっていたが、その時は、まだ12時半だと思っていた。Y男さんのことだから、ドアを開けて私の名前を呼んだと言っても、上品な声で、穏やかに呼んだのだろう。ところが私ときたら、少し耳が遠いし、がさつな性格である。全然気がつかなかった。

ややあって、私は時間を間違えていたことに気づき、自転車でケアセンターに行った。もちろん、活動をはじめる約束に時間には遅れている。今日のケアセンターは、Y男さん、H子さんと私である。どうやら二人は3Fに入ったらしい。で、私は2Fに入る。2階では例によって紙切りをしたが、今回は、「餅つきをするウサギ」と、「雪だるま」の、折り曲げると浮き上がるしかけの紙切りを、あらかじめ用意していた。これは好評。

しかしながら、ケアセンターのことよりも問題なのは、Y男さんが2度にわたってわが家のドアを開け、私の名を呼んだのに、私が何も気づかなかったことだ。Y男さんならばかまわないが、どこかの怪しげなやつがそんなことをしたら大変である。物騒な世の中なのだ。

仮に、私の留守中に、わが家に泥棒が入っても、金目の物など何もない。せいぜいデスクトップのこのパソコンと、新しく変わる放送の用意もしていない、古いタイプのテレビくらいのものだ。現金は、当座使う分くらいしか置いていないし、入った泥棒の方が気の毒がって、握り飯の1つくらい置いていこうかと思うくらいのものだ。

そんなわけだから、問題は、私が自宅にいるときなのである。いるときこそ、不用心ではいけない。泥棒がわが家に入ったとして、私がいなければ、小便の一つもして帰るくらいの被害しかないだろう。しかし、在宅時なら、何をされるか分からないのである。在宅時こそ鍵をかけていなければならない。これが今日の教訓である。

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2007年11月28日 (水)

柳家小三治

11月28日(水)  曇り

このところしばらくの間、ブログに書きたいことがあって、夜、デスクトップのパソコンの前に座るとき、その日書くべきものが決まっていた。ところが、今日は事情が少し違って、パソコンの前に座ってから、さて、なにを書こうかと考えた。最近のほうが少し特殊で、パソコンの前でなにを書こうかと考える方が普通なのだけれども・・・。そしたら、小三治の俳句を見た。

毎日インターネットでチェックするホームページがいくつかあって、その一つが、清水哲男の「増殖する俳句歳時記」である。今日はそこに、柳家小三治の俳句が載っていた。

小三治って、落語が上手いんだよね。何がおもしろいのかってな顔をして、含み笑いを誘うような笑いをさせる。志ん朝が亡くなった今、談誌と共に、現代の落語を背負う人だと思っている。

その小三治、俳句もやるんですね。「増殖する俳句歳時記」によれば、俳号を「土茶(どちゃ)」というのだそうだ。その俳句、

   ひといきに葱ひんむいた白さかな

うまいねえ。

「増殖する俳句歳時記」は去年までは清水哲男一人でやっていたが、今は曜日によって人が違う。今日の担当は“八木忠栄”である。そこに紹介されている小三治の言葉。

「俳句ですか。うまくなるわけないよ。うまいい人は初めから上手いの。長くやっているからってうまくならないの。達者になるだけよ。(中略)これからの私は下手でいいから自分に正直な句を作ろうと考えています。ところが、これが難しいんだよね」。

全くその通りだ。私は初心者だと言っていたが、もう5年もたつ。才能があれば、とっくに芽が出ているはずですな。

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2007年11月27日 (火)

男やもめにウジが湧く

11月27日(火)  曇り

今日やった1番の大仕事は掃除である。

つまり、無為な1日という事だ。

昔から、「男やもめにウジが湧く、女やもめに花が咲く」という。最もこの場合、私などより若い世代のことを言うのだろうな。落語なら、私などは「横町のご隠居さん」だ。これも本当は、もう少し金持ちでなくてはいけない。

掃除、洗濯、炊事が、日常の家事の、最も大切なものであろう。炊事は、やらなければ食べられないのだから、男やもめの私でも毎日やる。外食ばかりでは家計が持たないし、買ってきた総菜ばかりでは味気ない。先日のクラス会で、「カレーライスとチャーハンだけじゃないのか」と冷やかされたが、別にそんなことはない。面倒な物は作らないが、料理に多少の興味はある。

洗濯も、やらないわけにはいかない。やらなければ着る物が無くなってしまう。下着が1束もあるわけではないのだ。そうそう「一束」は「いっそく」と読んで100のことだ。。「ひとたば」ではない。だいぶ溜めはするが、昨日はいた下着を着るのは嫌だし、洗濯しないわけにはいかないのである。

その点、掃除は、かなりの期間、しなくてもすませる。坂口安吾は「1寸のゴミの中に端然と座る女」を理想とするようなことをどこかに書いていたと思うけれども、私は男だし、端然と座りもしないから、理想とはほど遠いことになる。

「ゴミで死ぬものはいない」と言うが、ごみばかりの部屋というのは、気持ちの良いものではない。幾ら私が掃除嫌いだといっても、時々テレビで放送される、「ゴミ屋敷の主」や、「片付けられない女」のようなことは出来ない。

万年床をするようになりたくない、という自戒はあるので、布団の上げ下ろしは毎日する。しかし、布団のまわりが片づかない。読みかけの本があり、新聞があり、テレビのリモコン、メモ用紙、筆記具、はさみ、爪切り、ティッシュペーパー、ハンドクリームに目薬など、さまざまなものが散乱している。たまに片付けはするけれど、2,3日もすれば、同じ状態になる。

12月は大掃除の季節。それを思うと気が重くなる。トイレ、風呂場、台所、冷蔵庫、戸棚、窓ふき、そして、最も嫌いな拭き掃除、あー嫌だ。1年に1回くらい、しないわけにはいかないし・・・。12月に入ったら、ぼつぼつやるしかないね・・・。

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2007年11月26日 (月)

欠き菜が枯れそう

11月26日(月)  晴れ

精障者作業所「みちくさ」へ。先週植えた欠き菜が枯れそうになっている。急遽、Sさんに車で水を運んで貰う。これで持ち直すかどうか。キャベツの方は元気だ。二十日大根は、来週あたり間引きをすれば、つまみ菜として、おひたしくらいにはなるかも知れない。

「みちくさ」で、布草履を2足作る。余所では1500円くらいで売っているそうだ。私も慣れてきたので、昔を思い出し、かなり上手になったが、まだ1500円のにはかなわない(だろう?)。リサイクルショップの「みちくさ」だし、500円くらいにしておくかな。私はボランティアなので、何をどうしても、1円も貰うわけではない。幾らに売ろうと私には関係のないことだけれども・・・。

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2007年11月25日 (日)

行田市内めぐり

11月25日(日)  晴れ

自治会の企画で、行田市内めぐり。参加者が50名を超え、西武バスの車庫から大型バスで行く。

コース

西武バス車庫~利根大堰~さきたま資料館~さきたま古墳群~行田市郷土博物館~横田酒造~西武バス車庫

利根大堰では、堰を作った意義、などの説明を受ける。堰の両側に、鮭を遡上させるための魚道があり、そこも見物。魚道を空ける時間は限られているらしいが、数匹の鮭が魚道を越えようとしているのを見る。去年は3000匹以上が遡上したという。川をきれいにしたり、稚魚を放流したりの努力が実を結びはじめているのだろう。

さきたま資料館では、館内で係の人の説明を受ける。古墳群は2度目なので、丸墓山古墳の上に登った以外は、風景を楽しむことに主力を置いた。鉄剣が出たことで有名な稲荷山古墳や、将軍山古墳に廻るには、自由時間が少なすぎた。

一寸一(ちょっといち)という変な名前の料理屋で昼食。

行田市郷土資料館は忍城址にある。ここでも、忍城の歴史について説明を受ける。それと、行田の足袋について。

横田酒造。全国新酒鑑評会で12回金賞を受けているとか。最近の10年会では9回。関東甲信越の品評会で、今年は1位だったそうだ。

聞き酒で飲んだ大吟醸は、確かに旨い。しかし高くて買う気がしない。他の酒との落差は大きかった。横田酒造、普通の酒も旨くなくては愛飲は出来ない。

帰路、どこか忘れたが、道の駅に立ち寄る。バスを降りて、大きな月が上がっているのが見えた。黄色くて、昔小学校の唱歌で習った、「盆のような月」である。「あれを見ろ」とバスの人々の注意を喚起したが、みんなは、私ほど興味を持たなかった。

あんな良い月を見ないのはもったいない。昨日15夜だったと言うことだから、今日は16夜ということになる。しかし、今日の方が15夜のような感じがする。中秋の名月とは違うだろうが、よい月であった。

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2007年11月24日 (土)

渡り職人

11月24日(土)  晴れ

あるいは、職人の起源は、渡り職人だったのかも知れない。かなり古い時代から、渡り職人というものが存在した。旅は危険なもので、出発に当たっては水杯を交わすような時代でも、食い詰めた者たちは村を出て、各地を放浪した。そのような人々の中に、河原乞食と呼ばれるような芸能者、得度も受けていない乞食坊主、そして職人もいた。

貧しい昔のことだ、どの村へ行って何を作っても、需要は限られている。その村で必要な量を作ってしまえば、職人は余所へ行かなければならないのである。

世の中が多少豊かになり、集落が大きくなってくると、職種によっては、一定の土地に住みついて仕事をするものが出てくる。これが親方になる。この親方のもとに、渡り職人が身を寄せた。各地で技を身につけた職人の中には、かなりの腕のものがいたようだ。食い詰めて、器用さにまかせただけの職人もいたわけだから、渡り職人も、ピンからキリまであった。

渡り職人などといえば、ずいぶん昔だけのことと思われそうだが、案外、そうでもない。私なども若いころは、渡りの経験のある人に、けっこう会っている。

昭和の初めくらいまで、家具作りでは、東京の港区芝の職人が、最も腕がよいとされていた。明治の開国以来、国会議事堂やら迎賓館やら、その他諸々の西洋式建造物のために、家具を作る人が必要とされた。しかし、日本にはまだ、西洋家具を作れる職人は少なかった。そこで、全国から腕のよい指物師や建具屋を集めて、家具を作らせたという。その人々が芝に住みついたのである。

その後、各地で、県庁やらなにやら、それらしい建物を造るときには、芝の職人に声がかかったものらしい。各地に飛んだ職人は、2,3年後には芝に帰ってくるのだから、これも渡り職人である。

ある椅子職人が静岡へ行き、そこで何年か仕事をし、奥さんに洋裁屋の店を出させた。すると親方は、この分では東京に帰るつもりはないのだろうと考え、手間を下げたいといったらしい。その職人は「馬鹿にするな」と啖呵を切って、奥さんには店をたたませ、東京に帰ってきてしまった。これはその職人から直接聞いた話である。

家具に限らず、このように求められて各地を渡る職人を、当時は「侍」と呼んだ。侍は地元の職人の三倍くらいの手間をとったものらしい。

昭和の初期、芝に「仏のTさん」と呼ばれる家具職人がいた。「仏の」と冠詞がつくくらいだから、温厚な人柄だったのだろう。「Tさん」のことは、孫弟子のMさんから聞いた。そのMさんも今は亡い。もっとしっかり聞いておくのだったと後悔している。「Tさん」については、裏のとれない、風聞みたいな話になってしまう。

Tさんは、もちろん侍である。孫弟子ではあるが、Mさんも何回かは会ったことがあるらしい。その頃はすでに高齢で、自分で地方に出かけることはなかった。しかしTさんのもとには、腕のよい職人を派遣してくれという要請が、全国から寄せられていたようだ。Tさんは要請を受けると、弟子や仲間の中から、その仕事に向きそうな人を斡旋した。

Tさんは酒を飲まなかった。しかし、近所のカフェかどこかに腕のよい職人達のたまり場があって、各地の仕事内容や、技術などの情報を話しあったものだという。そして、その中心にTさんがいた。

高齢とはいえ、腕がよくて人望も厚いTさんだから、仕事は幾らでも来た。しかし、自分の仕事を弟子達に手伝わせることは少なかった。Tさんが弟子達に望んだのは、各地の親方達に望まれて、自分の名前で渡っていけるような職人になれ、ということだった。

私がMさんの話を聞いたころ、Mさんはすでに70歳を超えていた。Mさんは、使い古しのノートを見せながら、

「ここに、今まで渡ってきた親方や会社のことが書いてある。もう100以上になっている。気に入らなきゃすぐにやめちゃうから、こんなになっちゃった。中には、会って話をして、昼飯をごちそうになって、丁重に断られたなんて言うのもあるけどね。長いところで3年くらいかな。おれは自分の腕の安売りはしないんだ。どんな仕事でも、それを始める前に親方と話しあって、手間を決める。話が合わなければ、さよならだ」

といった。

「ずいぶん渡ったものですね」

「うん。だけど、まだ2つや3ッつ渡っても良いよ」

「同じ親方のところに長く勤める人もいるじゃないですか」

「そう言う人たちとは、派が違うんだね」

職人は、腕がよければ、道具箱を担いでどこにでも渡っていけた。お天道様と米の飯は、俺について回る、というのが職人の誇りだった。確かにMさんには、職人の自由があった。

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2007年11月23日 (金)

勤労感謝の日

11月23日(金)  晴れ

勤労感謝の日。勤労している人に感謝するのか、勤労できることを感謝するのか、よく分からないが、とにかく感謝の日だ。

昔は「新嘗祭」と言った。新しくとれた米や麦などの穀物を、神に感謝しする日だった。この方が分かるね。今は。感謝して米を食べるなんて事はなくなったけどね。本当の飢えを知る人は、今ではごくわずかだ。それもまもなく無くなる。その後で、また、本当の飢えがやってくるかも知れない。きっと、やってくる。

私の所にはさっぱり廻ってこないけれども、世の中、金余りなんですってね。だからその金が、投資のために米やら大豆やら、石油に廻るんだそうだ。余った金が、チューリップの球根の値を上げているなら良いけれど、生活必需品の値を上げて、貧乏人が苦しむなんて図式はおかしい。マルクス主義は負けたようだけれど、資本主義だって、もう、おかしいんじゃないのかなあ。

普通の人間が普通に働いて、普通の生活が出来るというのが、普通の世の中じゃないんですかね。普通の人がどんどん落ちこぼれていく社会、勝ち組だけがむやみやたらに贅沢をして、セレブなんて言われて、ちやほやされる社会、おかしいと思うけどね。

金持ちが、もっと金を儲けたいと思うことは、本当は下品な話だと思うけれども、こんなことを言うのは、負け犬の遠吠えと思われるだけなんだよね。

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2007年11月22日 (木)

袋田の滝

11月22日(木)  晴れ

たけのこの会の旅行。

コース   狭山市駅前~袋田の滝~西山荘~那珂湊~狭山市駅前

袋田の滝

見事な滝である。観瀑台からは3段の滝の真ん中の段がよく見える。幅広く、幾条かに分かれて滑るように落ちてくる滝。観瀑台以外にも滝を見ながら巡るいくつかのコースがある。滝からは遠くなるが、すばらしい遊歩道になっている。大きな岩山があり、紅葉もある。紅葉はもう遅いかと思っていたのだが、なんとか間に合ったという感じ。

西山荘

水戸黄門でおなじみ水戸光圀の隠居所。西山と号したので西山荘。家来の、助さん格さんのうち、助さんに住居跡もある。水戸黄門漫遊記が架空の物語だと言うことは知っていたが、格さんも架空の人物であるらしい。水戸黄門の住んだ家やまわりの自然が守られていて、美しい景色である。

那珂湊

那珂湊は、今年3度目である。水産物を買うにも、量が多すぎて、迷ったが、鮭の切り身とほっけを、Sさんと分けあうことにして買う。

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2007年11月21日 (水)

布草履教室

11月21日(水)   晴れ

フラワーヒルの中本邸で、にわか布草履教室。というのは大げさだが、習う人が4人くらいで、私が教える役。山楽会T子さんの車に、K子さん。H子さんと同乗し、N氏邸へ。N氏の奥さんも加わって、布草履を作る。

本当は、今日こぶし福祉会の評議委員会があり、そちらを欠席して布草履を教えていた。不謹慎といえば不謹慎だが、そちらの方は、私などいなくても、なんと言うことはない。こちらの方は、私がいなければ出来ないのである。

2時間から3時間くらいで、全員作れたので、まずはよかった。みんななかなかの出来である。休憩中にT子さんがきて、一緒に雑談。

午前、マルエツで買い物をしての帰り、たけのこの会計をしているK子さんに会う。明日のたけのこの旅行費用を武銀に卸にきたらしい。

夜、S男さんから電話あり。やはり明日の話。袋田の滝あたり、予報の最高気温が9℃だとか。

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2007年11月20日 (火)

テントウ虫

11月20日(火)   晴れ

テントウ虫は成虫で越冬するらしい。

昔、奥武蔵の低山帯を歩いていたとき、日の当たる岩陰に、何千匹ものテントウ虫が、集団になって越冬しているのを見たことがある。

まだ娘達が家にいるころの話なので、10年以上前になるが、わが家にテントウ虫が住みついたことがある。

11月ごろだったと思う。

「うちにテントウ虫がいるよ」

と次女が言った。

「そうそう、住みついているみたい」

と長女が相づちを打つ。

季節はずれなので、私は半信半疑だったのだが、、晩酌の時、テントウ虫がどこからか飛んできて、コップを持つ手に止まった。見ると、左右の羽根に一つずつ星のあるやつだ。

集団で越冬するはずなのに、わが家のテントウ虫は、少しばかり間抜けなやつだ。何か思い違いをして、わが家に入ってしまったらしい。

果たしたこのテントウ虫が、わが家で生き続けられるかどうか、気になった。しかしその後も、電灯の笠の上や、南側の窓の、カーテンの襞の間に隠れているのを見たことがあった。どうやら、心配はないらしい。わが家でも水くらいは飲めるし、外よりは暖かいので、何とか過ごせるのだろう。

ところが、年末の大掃除の時、妻は私の反対を押し切って、テントウ虫を外に出した。ベランダの鉢に這わせて、

「これで大丈夫。死にはしない」

と主張する。私の判断は妻と違う。夕方、妻には内緒で、テントウ虫をもう一度家の中に入れた。

ゴキブリや蠅などは、見つけしだい叩き潰そうとするのに、こちらが悪意を持っていない虫が相手だと、何とか助けようと思う。それを助けることで、自分を、優しい心の持ち主だと思ったりする。私は、気が向けば博愛主義者となり、都合によっては殺戮者になるのである。

これまで私が虐殺したり、残虐行為を加えた昆虫や小動物は、数知れない。

たとえば子供のころ、トンボの尻尾をちょん切り、代わりに麦わらを差し込んで飛ばした。麦わらをカエルの尻に突っ込み、空気を吹き入れて、あんこ型の力士のようなカエルを作った。ミツバチの尾を引き抜いて、胴の付け根付近にある蜜袋の蜜を吸った。引き抜かれた尾にまだ生命力が残っていて、唇を射されたこともある。

徳川5代将軍綱吉は『生類哀れみの令』で有名である。神坂次郎著の『元禄御畳奉行の日記』によれば、頬に止まった蚊を叩き潰したために流罪となった人の例が出ている。その時代に私が生きていれば、当然死罪である。

このように冷酷無比な私であるから、たまに仏心をおこしても、得てしてちぐはぐな結果になる。

ある時、仕事場の前で飛び跳ねているムクドリを見つけた。何事かと思って近づくと、ムクドリはその私から逃げようとする。しかし飛ぶことは出来ないようだ。私はかまわず近づいて、ムクドリを拾い上げた。見ると、片足が折れている。足が折れると飛べなくなるのか、翼にも異常があったのかよく分からない。私はそのムクドリを、人目につかぬように近くの藪に運んで、そこに離した。

次の朝、その藪の近くに行くと、小鳥たちの声がいやにうるさい。藪の下に、羽毛が散乱している。猫にやられたらしい。しまった! と思ったが、後の祭りである。

まずはそんな具合だ。私が手を出したからには、テントウ虫の運命も、どうなるか知れたものではない。

年が明けて、2月ごろ、私は引っ越しをした。引っ越しの当日、私の首筋にテントウ虫が止まり、すぐに飛び去っていった。まるで名残を惜しむようだ。テントウ虫は、この家のどこかに残るのだろうと私は思った。

随筆としては、ここで終わってもいいのである。「名残を惜しむように首筋に止まった」で終われば、いかにも随筆風ではないか。ところが、このテントウ虫に後日談がある。間抜けなやつだ。

新居に移って半月くらいたったころ、本を読んでいる私の手に、テントウ虫が止まった。テントウ虫の人相(虫相?)は分からないが、星が二つだったから、同じ虫に違いない。どうやら、荷物と一緒に来たらしい。私は何となく嬉しくなった。

子どもたちは、その後もテントウ虫を見たという。しかし、桜のころになって、わが家から姿を消したらしい。春風に浮かれて出て行ったのだろう。

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2007年11月19日 (月)

筋肉痛、かき菜、他

11月19日(月)  晴れ

昨日から約束されていたことだが、筋肉痛である。山歩きの後とは痛む場所が微妙に違う。山歩きの後の筋肉痛は、ふくらはぎと、ももの前の部分が痛む。今日の筋肉痛は、お尻とももの後ろ側だ。山歩きと草刈りの違いだ。

Tさんが、「この前あげたかき菜の苗は、じつはキャベツだった。こんどは本当のかき菜の苗をあげる」というので、精障者小規模作業所「みちくさ」に行く前に、Tさんの畑にいく。

苗を10株程貰ってみちくさへ。みちくさで、体操、掃除、朝のミーティングの後、畑へ。しゃがむと、筋肉痛に響くが、しゃがまないわけにも行かない。少しばかり無理の利く体であることを感謝する。誰に感謝しているのかは分からないが・・。

みちくさはリサイクルショップをしているので、売れ残った衣類などは、時々廃棄する。その、廃棄する衣類から、布草履を作れそうな布を選び出す。それが今日の仕事。一足だけ、布草履を作る。

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2007年11月18日 (日)

マンションの清掃日

11月18日(日)  晴れ

マンションの清掃日。自主管理なので、何でも自分たちでやるのが、ぼんくらカエルの住むマンションである。

清掃といっても、今日は建物の中ではなくて、庭やマンションまわりである。芝刈り、生け垣の刈り込み、樹木の剪定などだ。

ここ何年か、私は生け垣の刈り込みをすることが多い。何でもこういう事は一生懸命やる方だから、やはり疲れる。疲れても、なお頑張ってしまうのが、私の性格だ。明日あたり、肩や足腰がかなり痛むだろう。

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2007年11月17日 (土)

古稀を祝うクラス会

11月18日(土)  晴れ

銀座で、中学時代のクラス会。出席者16名。卒業生は50数名いたが、今連絡が取れるのは29名だったと幹事のT男くん。私は惚けてきたので、出席の16名を思い出せるかどうか。書いてみる。

H男くん、A男くん、Y男くん、H男くん、H男くん、O男くん、S男くん、H男くん、幹事のT男くん、S子さん、I子さん、Z子さん、K子さん、H子さん、K子さん、それにぼんくらカエル。バンザイ、16人になっている。

中学くらいの同級生とは、お互いに利害関係なく、上下関係もない。自由に話せるのがなによりだ。

A男くんは江古田の「アンデルセンと」という洋菓子屋さんの経営者で、ある意味で出世頭だ。匿名で書いているが、こう書くと、分かる人には分かる。「あそびにこい」というので、「行ったら、お前なんか知らないよ」と言われそうだ」と答えると。「そんなことはない、来る前に電話をくれ」と、名刺を渡された。台湾の最高のウーロン茶、というのを、おみやげに貰う。

亡くなった人も、何人かいる。当たり前だなあ、70歳にも成ると。ぼんくらカエルと最も仲のよかったT男くんも亡くなったわけだし・・。

来年は台湾に行こうなどという話が出る。

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2007年11月16日 (金)

特養さくら

11月16日(金)  晴れ

特養さくら。本日は2フロアー。S男さん、ぼんくらカエル。

私は例によって、手品をしたり、切り紙をしたり。

私の手品は、ちり紙や鉛筆、週刊誌やビニール紐、紙コップなどを使う手品で、買った道具などは一つもない。すべて、ただか、ただに近い材料を使う手品である。

切り紙も、たいしたことは出来ない。花や星は出来るが、寄席の切り紙のように、お客から注文を受けて、たとえば「4畳半」なんて言うものは出来ない。今日は「猿」という注文を受けて切ってみたが、蛙に似ていると言われた。その程度の切り紙である。トンボや蝶々だって、上手く切れない。何となく似ているという程度だ。得意なのは、蛸や蟹である。ちなみに、寄席で「4畳半」と言えば、若い男女がこたつに入っているような紙切りになる。

T氏友愛訪問。

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2007年11月15日 (木)

禿げ

11月15日(木)  晴れ

午後、大和の湯へ。今日は、湯に入ることよりも、散髪をするのが主たる目的である。

土曜日に、中学時代の同級生のクラス会がある。そのために、ガラにもなく、散髪をしようかと思った次第。8年前に妻が亡くなって以来、頭髪は自分でいい加減に刈っていたが、最近は大和の湯でやることが多い。歳のせいか自分でやるのが面倒なのと、大和の湯でなら、1000円で出来るというのが理由である。

昔の友人に会うと、ほとんどの人が、「おまえはもっと禿げると思っていた」と言う。若いときからおでこは広かったし、髪は薄かったから、そう思われるのだ。しかし、昔の友人の思惑程ではないにしても、禿げてはいる。私の場合はてっぺん禿で、頭頂部のつむじの当たりから禿が広がるタイプである。おでこが広いから、前頭部から禿げそうだというイメージが、友人たちにはあったのだろう。薄くはなったが、前頭部に髪が残っているために、友人達の期待(?)ほどには禿げなかったということだ。しかし、てっぺん禿というのは、格好悪いね。

私は、自分の頭髪については、あるがままにまかせてきた。結婚したとき、ヘヤートニックが一本あった。結婚後5,6年たって、そのヘヤーとニックが使われることなく残っていた。それを捨ててから70歳の今日まで、調髪剤を買ったことがない。ヘヤードライヤーなども、水彩画の絵の具を乾かすために使ったことはあるが、頭髪を乾かすために使ったことは皆無である。

そんな私でも、古い友人達に合う前に、髪でも刈ろうかと思ったのである。これはどう解説すれば良いんでしょうかね。

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2007年11月14日 (水)

高川山

11月14日(水)  晴れ

大月の高川山へ。

S男さん、H男さん、K子さん、K子さんの友だちのF子さんと、ぼんくらカエル。

高川山は初心者の山だが、普通は田野倉駅か初狩駅から登る。今日は大月から登るので、コースは長い。駅で降りて、しばらく甲州街道を歩き、桂川を渡って、市立の病院の裏あたりから登山口に入る。

まるで人家の庭を通るような登山口である。小さな標識を見落としたら、とても登山口とは思えない。はじめに向かうのはその名も楽しいおむすび山。このあたりまでは市民の散歩コースにもなっているようだ。

低い尾根を通りながら峰山へ。途中、富士の姿が美しいところがある。その先は、メインの登山道ではないため、道の手入れはされていず、半分藪こぎのような感じだ。11月というのに、快晴で暑いくらいなので、半袖で登る。そのため藪に腕を引っ掻かれて、両腕に細かい擦り傷が出来た。天神峠を越えてしばらくいくと、田之倉からの登山道に合流する。ここからは普通の登山道になる。

いくつかのピークをを過ぎて高川山頂上につく。富士山が裾まで見えて見事だが、逆光なので、写真には撮りにくい。何人かの登山者と、一匹の野良犬がいる。灰色の毛を持つ中型犬である。高川山の頂上付近に住みついて、登山者から餌を貰って生きているらしい。きわめておとなしく、登山者に人気なのだという。

帰りは初狩駅に向かって、ひたすら下山。

歩行時間、約5時間。

F子さんとは国分寺駅で別れる。他の4人は、狭山市駅付近で、軽く飲み会をして解散。

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2007年11月13日 (火)

畑打ち

11月13日(火)  晴れ

畑打ち

私が現役で琴を作っていたころ、仕事場の近くに30坪の菜園を借りていた。わずか30坪の菜園でも、当時4人のわが家には充分な広さで、なすやキュウリの収穫期には、自分の家だけでは食べきれず、知り合いに分けてやる程だった。

仕事の合間を見て、私はよく菜園に出た。一人で話し相手もなく仕事をしている私にとって、畑仕事は、ほどよい息抜きになっていた。

野菜作りには、成功も失敗もある。中には、野菜作りとしては成功したのに残念な結果になった、というものもある。たとえば、ヒョウタン作りがそうだ。

ヒョウタンの形は、どことなく愛嬌がある。その味わいが好きで、ある年、ヒョウタンを作ることにした。ヒョウタンの苗を2本程植えて、よく伸びる蔓のために、棚を作った。これだって、けっこうな労働である。

その時のヒョウタンはよく育ち、大きな実を幾つもつけた。私はヒョウタンに酒を入れてそこからコップなどに注ぐことなどを想像し、すぐにでも収穫したいのを我慢して、表皮が堅くなるのを待った。まもなく収穫できると期待が昂じたころ、そのヒョウタンを盗まれてしまった。泥棒は、たくさんあるうちの、特に形のよいものだけを盗んだのである。

泥ちゃんにしてみたら、沢山あるのだから少しくらい頂いても良いだろう、と思ったのかも知れない。どうせ盗るなら、形のよいものをと思ったのだろう。しかしそれでは、盗まれた方はたまらない。手塩の懸けて育てたのに、良いところだけ持っていかれたのだ。

私の場合は、ヒョウタンくらいだからまだいい。農家の人が、1年かけて育てた野菜や果物を、ごっそりと持って行く泥棒がいるらしい。夜陰に乗じて、トラックかなんかで乗り付けて、良い物だけを持っていくそうだ。自分が食べるためというならまだしも、それを売って儲けるためというのだから許せない。下品である。泥棒に、上品になれと言うのも無理だけれど・・。

ある時、畑の片隅に、何かの蔓が勢いよく伸びてきた。種を蒔いたり植えたりした覚えはないけれど、どうやら何かの野菜らしい。何か分からぬまま、棚を作ったりして育ててみた。やがて、瓜らしいものが成ってきた。どうやら、ハヤトウリと呼ばれるものらしい。これはよく成りましたね。ひょっとすると、100個以上成ったかも知れない。食べ方が分からないので、おおかたは無駄にしてしまった。

野菜ではないが、種を蒔かずに増えたものとしては、すみれがある。ある年、濃紫の小さなすみれが1株、畑の畝のあいだに花を咲かせた。それを大切にしていると、すみれはどんどん増えて、3年くらい後には、畑を全部占領されそうになった。こうなると逆に憎らしくなってくる。すみれコーナーを設けて、10株くらい移植し、後は引き抜いてしまった。

菜園を借りていて、一番の重労働は、畑打ちである。

    畑打つて酔へるがごとき疲れかな    竹下しずの女

と言うくらいのものだ。

ある年の畑打ちの時である。私は大汗をかきながら、シャベルを使って畑の天地替えをしていた。すると、がっちりした体つきの中年の男が、酒の匂いをさせながら近づいてきて、私に話しかけた。

「旦那、そんな起こし方では駄目だぜ」

「でも、シャベルの肩までは掘っているよ」

「もっと掘れるさ」

男は私からシャベルを取り上げた。

「いいかね、初めはシャベルを斜めに入れる。肩まで入ったら、シャベルを少し立てる。そしてかかとでまた踏む。踏むのはかかとだよ。土踏まずじゃ足がじゃまして掘れなくなる」

いわれた通りにやってみると、なるほどこれまでよりも深く掘れる。ちょっとしたヒントで随分違うものだ。刀作りの名人は後世に名を残すけれど、畑打ちや穴掘りの名人は、人に名を知られることもないな、と、ふと思った。

男に礼を言おうと思って顔を上げると、男は、

「おれはほんとは土方だけどさ」

と、独り言のように言いながら、もう背中を向けて歩き始めていた。

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2007年11月12日 (月)

街頭募金、精障者サポート交流会

11月12日(月)  晴れ

Tさんの畑へ行き、かき菜の苗を10株ほど貰う。それに、ニラを少し。

その後でみちくさへ。

忘れていたが、今日は街頭募金の日だった。街頭募金が終われば、こぶし福祉会後援会主催の交流会(こぶし後援会、こぶし各作業所、こぶし家族会、ボランティア)で、リバーサイドに行くことになっている。これでは苗を植える間がないので、街頭募金の頭の部分を参加せず、欠き菜の苗を植える。ニラも植え付ける。

苗を植えてから街頭募金に合流。街頭募金とは言っても、募金が主たる目的ではなく、こぶし福祉会のチラシを撒くのが目的である。狭山市駅と新狭山駅の前で撒くのだが、ここのところ、私は新狭山駅前に行っている。

正直な話、ビラを撒く人たちの中では、私がもっとも多くのビラを撒く。通行人に渡すタイミングや、渡し方、など、それなりに考える。新狭山駅、5,6人で配ったが、半分近くは私が配ったと思う。ビラ配りの経験があるかと思われたが、こぶし福祉会でやる以外にやったことなどない。私は、肉体労働系の人間だと言うことげですね。

午後、交流会。参加者は10名。内訳は、家族会から2名、ボランティアは私を含めて2名、後援会1名、各作業所のスタッフ5名。自由な雑談と言うところ。各作業所の苦労、家族会の苦労、ボランティアの思いなどを話しあう。詳しい内容は、いずれ書くこともあるかも知れない。

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2007年11月11日 (日)

長者ヶ岳、天子ヶ岳

11月11日(日)  雨、曇り、雨、曇り、雨

狭山山楽会山行。

朝6時狭山市駅前出発で、そのためには4時には起きなくてはならない。だから前夜は早く寝なくてはならない。で、昨夜だが、何時に寝たか覚えていないが、いつもよりかなり早かったのは確かだ。夜中に目が覚めて、時計を見たら、なんとまだ昨日のうちの9時40分! 時計が壊れて止まってしまったと思ったが、そうではなかった。それから12時過ぎまでテレビを見て、もう1度寝る。こんどは4時に、目覚ましで起こされる。

今日の天気は、狭山だけではなく、行った先々の天気である。家を出るとき、天子ヶ岳の山中、帰りのバスに乗ってから、は雨。

午前6時、狭山駅前をマイクロバスで出発。参加者15名。山登りの前に、田貫湖の見物。富士山を見る名所だ。富士山の肩から太陽が上がる、ダイヤモンド富士は有名。残念ながら曇っていて、富士は裾の方が少し見えるだけ。このあたり、紅葉は盛りだ。湖水に移る紅葉を楽しむ。

長者ヶ岳(1336㍍)へ向かう。ガスが深く、見晴らしはない。昨日の雨で落ちてしまった赤や黄色の葉が足下に散り敷いている。マユミの花はまだ咲いている。長者ヶ岳頂上で昼食。山頂のあたりでは、もう紅葉が過ぎようとしてていた。

長者ヶ岳から天子ヶ岳(1330㍍)へは、山梨と静岡の県境の尾根を歩くことになる。両方の山の標高差は6㍍しかないが、山道だから、言うまでもなく平らではない。登ったり下りたりしながら天子ヶ岳へ向かう。途中から雨が降り出す。

途中何のお話もなく、といいたいところだが、Hさんが下山中に転んで、頭に怪我をする。後頭部が切れて、血が出る。深い傷ではないし、そんなに強く打ったわけでもないのだが、場所が場所だけにみな心配したが、本人は元気。消毒をし、包帯を巻いてともかく下山。血はすぐ止まった。この下山道、雨の後では滑りやすく、歩きにくい道である。

下山して、白糸の滝を見物。時間がなかったので、これは本当に「ちょっと見るだけよ」という感じ。

今日の歩行時間は、5時間30分くらい。

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2007年11月10日 (土)

楽寿会

11月10日(土)  雨

つきあいで、老人会(楽寿会)に入ってしまった。今日はその誕生会。お弁当を食べて、ビールなど飲んで、民謡を来たりする。会場は狭山台1丁目自治会館。参加者は41名だとか。

私の隣の席のTさんは、私と同郷である。私の村の10戸くらいしかない部落に、姉さんが嫁に行っている。こんなところでそんな人に会うなんて、世の中広いようで狭い。社協で知的障害者の民謡指導をしているらしい。

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2007年11月 9日 (金)

家事、彩の会

11月9日(金)  晴れ

8日ぶりの洗濯。山のようにある。洗濯機を4回まわす。

掃除。普段やらないから、やるときは、いつも、半分大掃除だ。

洗濯と掃除の合間に、「みちくさ」のために、原稿とも言えない短い文章を書く。そして、午後の彩の会(水彩画の会)のための絵の下書を描く。午前中はこれだけでめいっぱいだ。

午後、彩の会。例によって子供の遊ぶ絵である。今回は、竹トンボで遊んでいる子供。いつものように、男の子と女の子、それに白い犬と、大きすぎる雀。本当はこのほかに、子どもたちの足下にカエルも描きたかったが、あまりに漫画チックになるのでやめた。ぼんくらカエルとしては、カエルを描かなかったのが残念である。

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2007年11月 8日 (木)

定例会  「忘れない」

11月8日(木)  晴れ

たけのこの会(ボランティアグループ)定例会。

午後、車椅子と仲間の会のT氏に会う。T氏の紀行文「渡瀬紀行」の添削、アドバイスなど。

この一編

私が琴作りの現役だったころ、音を調べるとき以外は、一日中ラジオをつけっぱなしにして仕事をしていた。私は一日中一人で、話し相手もなく仕事をしていた。そんな私に、ラジオは友であった。ほとんど聞き流していたのだが、いくつかは気に入りの番組もあった。

なんといっても楽しかったのは、「子供電話室」という番組である。あれは今でもあるのだろうか。「ミミズの身長は、ミミズが伸びたときに計るのですか、それとも縮んだ時に計るのですか」などという質問が飛び出す。どんな回答者だって、目を白黒させるだろう。

特にどの番組というのではなく、ラジオではよく視聴者の便りを放送する。聞き流しているだけだから、たいていは気にもとめないが、中には、しみじみと人生を感じさせるものがある。その幾つかを、書き止めていた。

たとえば次の話はどうだろう。

……私の母は料理が上手でした。特に茶碗蒸しが得意でした。私も母に教えられて、茶碗蒸しは得意になりました。先日茶碗蒸しを作っていると、茶碗の蓋に、ぼんやりとした黒いしみが見えました。よく見ると「ば」の字のようでした。母が生前、茶碗蒸しを作るときに、歯の悪い自分用に、一つだけ柔らかく作って、間違わないように、蓋に“おばあさん”の「ば」の字を書いていたのです。

また、こんな便りもあった。

……戦争中、私の住んでいた家の裏庭には、竹藪がありました。庭に向こうはグランドで、そこには兵舎がありました。人の噂では、特攻隊員の兵舎だということでした。私と姉は、時々裏庭に出ていたので、自然に顔なじみになる兵隊さんもいました。しかしその人たちも、いつの間にか飛び立っていきました。

……やがて戦争が終わり、兵舎も空になりました。ある日、久しぶりに裏庭に出て竹を見ていると、その一本に、何か文字のようなものが見えました。若竹の時に小刀などで彫ったものらしく、かすれているが「○子サマ(姉の名) アス タチマス スキデシタコトヲ イエズニ タチマス」と判読できました。

現役を離れてから、ラジオを聞くことはほとんどなくなった。その頃のラジオの役割をしているのは、テレビと新聞である。新聞では、ニュースもさることながら、コラム欄が好きである。私は「毎日新聞」を読んでいるのだが、「女の気持ち」という投書欄がある。これも好んで読む。

先日(2007年11月5日)『忘れない』という題で、大要、次のような投書が載った。

……先日、私の兄が亡くなった。

……私(投書者)は6歳で父を亡くし、その後1年半くらいの間に長兄と母もなくなり、次兄と私だけが残された。その後、私たちは別々の農家に預けられた。

……兄は義務教育を終えるとすぐに仕事に出、帰りはバスに乗って私が預けられている家の前を通った。その時間になると私はゴミを捨てに行くふりをして、ちり取りを持って家の前に出た。すると兄は、バスの窓から身を乗り出して、仕事先で貰った芋や餅の入った紙包みを落としてくれた。 

……私が義務教育を終えると、兄は私を引き取り、3畳の間借りで二人の生活が始まる。ところが私は足が腫れて歩けなくなり、兄は仕事の合間を見て、私を、接骨院まで毎日運んでくれた。

そしてこの投書は、次のように終わる。

……「昭兄ちゃん、今までありがとう。私たち、なき両親に胸張れるような生き方をしてきたよね。恩忘れないよ」

この投書を読んで、私はしばらく、涙が止まらなかった。これを書いている今も、涙が溢れる。歳をとって、涙腺が緩んだためばかりではないだろう。ここ数日、テレビも新聞も、民主党の小沢一郎が、代表を辞めるとか辞めないとかのニュースで持ちきりだが、私の心にもっとも残った記事は、この一編である。

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2007年11月 7日 (水)

障害者作業所の内職

11月7日(水)  晴れ

こぶしの家の内職が忙しいというので、Sさんの車でこぶしの家へ行く。

こぶし福祉会には、精障者の授産施設「リバーサイド」と生活支援センター「スペースきずな」の他に、4つの小規模作業所を経営している。私がよく行く「ショップみちくさ」もその一つだが、「こぶしの家」も同じである。

こぶし福祉会に関連する団体には、「こぶし後援会」とか、「こぶし親の会」などとやたら「こぶし」の字がついている。「こぶしの家」は狭山市で最も早くできた精障者のための施設である。今は「みちくさ」その他と同等の扱いだが、歴史はもっとも古い。そのため、ずっと後に立ち上がった福祉会にも「こぶし」の字がつく。

何はともあれ、今日は内職の手伝い。障害者の作業施設では、内職仕事をするところが多い。そう言う仕事しか見つけられないのが実状である。内職などというものは、健常者がやってさえ、幾らにもならないものだ。障害者では、なおさらである。

帰りに、たけのこの会のKさんを見舞う。まさに退院まぎわで、、奥さんがタクシーを呼ぼうとするところだった。そのままSさんの車で自宅まで送り届ける。本人と奥さんの便では、さまざまな検査の結果、どこにも悪いところはなかった、ということだった。しかしかなりやつれていて、本当のところは分からない。しかし、奥さんは明るかった。

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2007年11月 6日 (火)

かすみ川食堂

11月6日(火)  雨、曇り

かすみがわ食堂のボランティア。かすみがわ食堂というのは、狭山市のこぶし福祉会が運営する精障者の授産施設、リバーサイドで経営する食堂である。私はここに、月に1回だけ、手伝いに行く。主として、洗い物などをする。忙しいのは、昼時だけで、1時半には暇になる。

それがすんだら、包丁研ぎをする。食堂の包丁も、月に一回研いでおけば、何とかなる。ちゃちな食堂ではあるが、家庭用とは違って、毎月10丁くらいは研がなければならない。2ヶ月に1度くらいは、隣にある精障者の小規模作業所「コパン」の包丁も研ぐ。こちらは2丁くらいだ。

包丁も、このくらいの頻度で研いでおけば、研ぎ下ろすのに、さほど時間はかからない。困るのは、何年も研がなかった包丁を持ってこられることだ。かすみがわ食堂の外で研いでいると、いくらで研ぐのか聞く人がいる。ボランティアで研いでいるのだから無料である。お客さんの包丁も、時折無料で研いでいる。

帰りは背中に砥石2つを背負って歩く。自宅まで1時間半くらい懸かる。けっこうな運動量である。

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2007年11月 5日 (月)

子供の四季2,他

11月5日(月)  晴れ、曇り

藁草履作り

午前、午後、精障者作業所みちくさ。畑に二十日大根を撒く。藁草履作り。もっと上手くできると思ったのだが、長すぎたり、ゆがんだり。いくら昔作ったとはいっても57年ぶりともなると、自分で思うほどうまくは行かない。昔取った杵柄ということもあるけれども。

文化祭の絵

夕方、富士見公民館に、文化祭に提出した絵を取り外しに行く。行きも帰りもIさんと一緒になる。

「彩の会の人はみんないい人ばかりですね」とIさん。「そうだけれど、世の中いい人の方が多いんですよ。たまに変な奴がいるけれど」と私。

四季の子供

P1010170 木登り

  お兄ちゃん、早く上がってきて

  今行くよ

  日本中が見えるよ

  嘘つけ

P1010171 虫取り

  お兄ちゃん、蝉がいるよ

  シーッ!

  とれると良いね

  黙って!

2つの絵に共通する樹は、飯能市、宮沢湖の岸にあります。今の子供は、木登りも、虫取りも、あまりしませんね。

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2007年11月 4日 (日)

子供の四季

10月4日(日)  晴れ

午後、車椅子と仲間の会。

P1010179 子供の四季

 ハイキング1

もうすぐ頂上だから、そこでお握りを食べよう。

うん。私おかかのお握りにしてもらったの。お兄ちゃんは?

なんだろう?

お母さんに頼まなかったの?

うん。鮭だと良いな。

鮭のお握りが好きなんだ?

うん。

鮭だと良いね。

うん。

P1010168 子供の四季

 ハイキング2

この橋を渡れば今日のハイキングは終わりだよ。

疲れたね。

うん。だけど楽しかっただろう。

楽しかった。お兄ちゃん、また来ようね。

うん。

きっとだよ。

うん。また来よう。

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2007年11月 3日 (土)

長瀞の対岸

11月2日(文化の日)土   曇り、晴れ

長瀞の対岸を歩くのが好きである。

昨日預かったTさんの原稿を持って、稲荷山公園駅から西武線に乗り込む。

航空ショウ

狭山市駅から稲荷山公園駅行きのバスに乗ろうとしたら、普段になくバスに乗る人の行列が長い。いったい何事かと思ったのだが、飛行機の轟音がして、航空ショウがあるのだと気づいた。この分では、稲荷山公園駅に行くのに、バスと歩きと、どっちが早いか疑問に感じたが、バス発車時刻がすぐなので、取りあえず、乗ることにした。案の定、バスはのろのろ運転になったが、乗るのと歩くのと、果たしてどっちが早かったかは疑問。

人混み派、逃げ出し派

今では、私の人生の半分くらいの期間、狭山市に住んでいる。けれども、まだ一度も、入間基地の航空ショウを見に行ったことがない。そんなものを人混みの中で見る気がしないのである。人間には、人の集まるところへ出かけたがる「人混み派」と、人混みを避けたがる「逃げ出し派」がある。私は「逃げ出し派」だ。

人物スケッチ

電車の中でTさんの原稿を読む。題して、「渡良瀬紀行」。これまでのTさんのものではもっとも良いと思う。どこかの懸賞に投稿するらしいが、これなら予選落ちはないだろう。

車中で気がつくと、私の向かい側に座っている老婦人が、私をスケッチしているみたいだ。私も車中で人物スケッチを時々試みるが、今日は私がモデルらしい。ついおかしくなって、にやりとしてしまった。こうなったらさービスだから、彼女が描き終えるまで、なるべく同じ姿勢を保とうとした。電車の一番端の席だったので、進行方向の窓枠に肘をついていた。掌にあごを載せ、斜め前方を見て動かないように気を使う。これはけっこう疲れますな。

私が車中でスケッチをするときは、少し離れた人をモデルにする。目の前の人は、気づかれそうで書きにくい。今日の場合私がモデルで、気づいているのに、気づかないふりをしてそっぽを見ていた。

長瀞一週

秩父鉄道の上長瀞駅で下車。長瀞駅まで、荒川に岩畳を歩くのが、もっとも美しいところである。この秋の長雨か台風のせいで、歩くところがかなり荒れている。荒川の水は、ことさら青く感じられて美しい。長瀞のおみやげ屋の前まで歩いたら、驚いたことに、おみやげ屋の通りから河川敷に降りる広い階段の下の方が、水に流されて通行不能になっている。観光客は、抜け道を通って岩畳に下りるしかないのだった。

その抜け道を通って上にあがり、下流に向かって歩く。10分くらい歩けば、金石橋という車の通れない橋に出る。これをわたって長瀞の対岸に行く。わたりきったところは公園になっていて、その河原で一休み。やすんでいるめのまえを船下りの船が通る。私はここで、その船頭さんと会話を交わしたことがある。別に大声を出さなくても会話が出来る、そんな距離である。この公園には、日本一の甌穴などがある。

ここから親鼻駅に向かって歩くのが、長瀞対岸の道である。途中、長瀞の船の発着所を対岸から見るところに下りていったりも出来るし、岩畳を上から見下ろせるような所もある。紅葉のころは特に美しいが、今日は、やはりまだ早いようだ。紅葉の季節にもう一度来ることになるだろう。

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2007年11月 2日 (金)

ギャル曽根とか

11月2日(金)   曇り、雨

今日一日、いろいろな情報がある。しかし、匿名とはいえ、ブログでは書けないこともある。開かれた日記と、開かれていない日記の違いはあるものですな。

マルエツで彩の会のIさんに会う。

たけのこのHさんからの電話で、Kさんの具合はかなり悪いらしいことを知る。病院に見舞いに行っても、相手をするのが大儀そうなので、すぐに帰ったと言うこと。見舞いに行っても迷惑になるような状況らしい。

車椅子の会のTさんが文章を見てくれと言って紀行文を持ってくる。

水曜日のこぶしの家のことで、Sさんと電話で話しあう。

近ごろ、ギャル曽根とかいう大食いタレントの名前を覚えた。大食らいで人気なのだそうである。他にも、早食いで有名な人とかもいるらしい。こういうのは分からない。早食いとか大食いとかを見て、何がおもしろいのだろう。平和といえば平和だけれども……。

後は書かない。書けないこともある。

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2007年11月 1日 (木)

狭山ケアセンター

11月1日(木)  曇り、雨

ベルクへ買い物に行くが、目玉商品以外は高くて、買う気がしない。わが家から一番近いので開店を期待していたが、今イチである。

午後、老人介護施設狭山ケアセンターへ。例によってYさんの車に同乗させてもらう。今日は、Sさん、Yさん、私の3人。ギターを弾くYさんには手伝いがいるので、Yさんと私が3階へ行き、Sさんが2階。私はYさんのギターの合間合間に、手品や紙切りをする。これが結構人気。Yさんがギターを弾くときは、なるべく大きな声で歌う。Yさんのギターはけして上手くないが、一生懸命やるところがYさんらしい。本当に真面目なのである。

帰り、マルエツで買い物。ベルクが開店したばかりの時はガラガラだったが、今は結構混んでいる。値段も、前より安くしているように思える。たいていの物はマルエツの方が安い。

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