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2007年10月 3日 (水)

殿ヶ谷戸庭園・大相撲問題・他

10月3日

洗濯

久しぶりに洗濯。干すときにパンツを数えたら9枚有った。つまり、9日ぶりの洗濯なのだ。いくら独り者でも9日間貯めれば、洗濯は山のようだ。当然、アンダーシャツも9枚で、他にも、寝間着やタオルや、ポロシャツ、カッターシャツなど、あれやこれやで大変である。朝食を作りながら洗濯機を回し、食べながら回し、歯を磨きながら回し、といった具合だ。

墓参

洗濯が終わって、墓参に出かける。じつは今日、父の命日。父は60歳でなくなっている。若死にといえるが、それでもわが家の家系では、もっとも長生きなのだ。母が33歳。兄弟中で一番長生きだったすぐ下の弟が40歳半ばだ。おまけに妻まで56歳だから、現在70歳の私が誰よりも長生きということになる。

私は無神論者、無宗教で、死後の世界があるなどと思っていないから、葬式も墓参りも、生きている人の気休めだと思っている。要は生きている人間が、死者を思い出し、心の中で対話をすればいいのである。

殿ヶ谷戸庭園

わが家の墓は高尾なので、帰りの国分寺で途中下車して殿が谷戸庭園(東京都指定名勝。旧岩崎家の庭園。65歳以上の入園料は70円)に寄る。ここはよく俳人の来るところで、今日も吟行をしているグループに出会った。

何度か来たことがあるけれど、今日はじめて、庭園内の馬頭観音を見る。行き止まりの小道の先にあるので、これまでそこへは行かなかった。

馬頭観音など、とりわけ珍しいものではないが、その脇に書いてあった解説がおもしろかったので、その一部をメモしておいた。

   文政7年(1824)国分寺村の戸数は66、男157人、女149人、馬22頭。

当時幕府が国分寺村と同程度の村に期待した馬の数は、15頭だったと言うから、国分寺村は、その目標を大きく超える。村は、豊かだったのかもしれない。                            

国分寺村がいつ頃出来たのかは知らないが、国分寺自体は奈良時代に出来たと思われるから、相当に古い村であることは確かだろう。

大相撲問題

時津風部屋の新弟子が、親方や兄弟子の暴行などを受けて死亡した問題。報道が事実とすれば、これはもう、ほとんどリンチだ。時津風親方は、相撲協会から解雇されそうである。それを厳しいという人もいるが、少しも厳しくはない。当然である。朝ズバのみのもんたは、朝青龍問題も抱えて、協会は大変だという。確かに大変だけれど、朝青龍の問題とは、土台、質が違う。

朝青龍の問題は、横綱の単なるずる休みだ。横綱たるもの、ずる休みをしてはいけないというのは正論である。だから、2場所休場だろうが、相撲界追放だろうが、相撲協会の規則に従ってやれば良いだけのこと。自宅謹慎などというのは間違っていると私は今でも思う。相撲協会に、他人の自由を奪って、自宅監禁を命ずる権利があるとは思えない。たとえ協会に属する力士に対してであろうと・・・

時津風部屋の問題は、そんな軽いものではない。刑法上は暴行傷害致死と言うことだろうが、殺人に近いものだ。ずる休みと殺人を一緒にしてはいけない。時津風部屋の兄弟子たちにも罪がある。協会は同じ部屋の別の親方に跡を継がせるつもりらしいが、他の親方たちも、ビール瓶で弟子の頭をひっぱたくようなしつけをしていたことに、全く気がついていなかったのだろうか。だとしたら、随分うかつな話だ。気がついていたのだとしたら、刑法上はともかく、道義的な責任はあるのではないのか。

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