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2007年10月31日 (水)

さくらの運動会

10月31日(水)  晴れ、曇り

富士見公民館へ。文化祭に絵を展示するため。今回われわれのグループ「彩の会」は、階段と廊下の壁が展示場だ。今回の私の絵は、釣りから帰る子供二人と犬が、海に沈む夕日を見ているもの。題名は「子供の四季」。彩の会でこの頃描いている絵は、どれでもみんな「子供の四季」の題名で良い。

帰り、銀行で来月分の生活費を下ろす。

午後、特別養護老人ホーム「さくら」の運動会。「たけのこ」から、YUさん、YOさん、HIさんと私。新館の2階で行う。利用者の誘導、パン食い競争のパンを吊す棒を持つなど。最後にはわれわれボランテイアも、パン食い競争に参加。去年までは綱引きもあったと思うが、今年はやらなかった。新館も入所を開始して、利用者も、職員も増えた。狭山ケアセンターから移ってきた利用者もかなりいる。

「さくら」からの帰り、友愛訪問Tさん。珍しく、奥さんは見えなかった。

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痛風?

10月30日(火)  晴れ、曇り

狭山台胃腸科外科へ。月一回の血圧検査。わずかに高いだけで気にする必要もないくらいなのだが、月に一度くらい、かかりつけの医院へ行っておくのも、健康のためには良いのではないかと思っている。

かなり以前から足の親指が痛むことがある。痛風の症状に似ているような気がしていたが、話に聞くほどの激痛ではないし、万一痛風だとしても、酒を飲むななどといわれたら嫌なので、これまで黙っていた。しかし今回相談してみたが、毎年の健康診断で検査しているが、その怖れはない、といわれる。尿酸の値が低くても痛風の場合もあるが、私の場合は、それにも当たらないという。

足に筋肉痛があるように、親指というのも何かの加減で痛むことが多い場所だとか。履き物に問題があることも考えられるそうだ。言われてみれば思いあたる。私は草履型のサンダルを愛用している。鼻緒のついているやつだ。ビーチサンダルのような物ではなく、幅が狭く、裏には厚いスポンジが貼られているビニール製のサンダルである。一部の年配の職人などが愛用していたサンダルで、足袋を履いたまま履ける物だ。履く人が少ないので、一時は靴屋、履物屋を探し回って見つけなければならなくなった。しかしそのサンダルの履き良さが知られるようになったためか、今では、セキチューやケイヨーデーツーでも売っている。私はこのサンダルでどこへでも出かける。履きやすいけれども、足の親指には負担がかかっているのだろう。

午後、川越へ出かける。問題のサンダルを、懲りずに履いて、片道を歩く。急いでも1時間10分はかかる。何キロあるのだろうか。足の親指の痛みも、原因が分かってみれば、それほど気にすることもない。

川越木村屋で、F6のスケッチブックを買う。

帰りは電車。

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2007年10月29日 (月)

畑打ち、藁打ち

10月29日(月)  晴れ

精障者作業所「みちくさ」へ。畑へ行くメンバーさんが誰も来ないので、一人で畑へ。先週畠打ちを終わっているので、肥料を撒いて畝だけ作る。種蒔きはメンバーがいるときの方が良いだろうと思ったので、来週にする。

午後、精障者作業所「こぶしの家」のために藁草履を作る準備。まず藁打ちをしなければならない。縄を綯うにも、草履を作るにも、藁打ちをして柔らかくしなければならないのである。「かあさんのうた」の2番の歌詞に「母さんは麻糸紡ぐ1日紡ぐ、おとうは土間で藁打ち仕事、おまえもがんばれよ」というのがある。その藁打ちである。

藁打ちをするには、藁打ちの道具を作ることからはじめなくてはならない。直径12センチ長さ18センチくらいの松の木の切り落としがあったので、その木口の中央に直径4センチくらいの穴を開け、これに、適当な木の枝を穴に合わせて削り、差し込んだ。これが藁を叩く道具で、一握りの藁を木の枕の上に置き、回しながら叩いていく。叩かれた藁が、握った掌に、しっとりと馴染むようになるまで叩く。

こんなことは13歳のころにしたのが最後だと思うので、57年ぶりと言うことになる。長くやっていないので、藁草履1足にどのくらいの藁が必要なのかはっきりしない。多分、2足分くらい叩いたと思うのだが、畠仕事に藁打ちで、さすがに疲れを感じる。

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2007年10月28日 (日)

散歩、案山子祭り

10月28日(日)  晴れ

午後、河川敷を散歩。最近は入間川河川敷の散歩をするとき、下流の方にばかり向かっていた。今日は久しぶりに、有料橋から自転車道を上流に向かって歩く。台風一過の上天気で、まことにさわやかである。急ぎ足で少し汗ばみながら歩く。川の畔のヤオコーでビールとつまみを買い、護岸のコンクリートの上で一休み。中州には白鷺、流れの中には数匹の鴨、それらを眺めて一杯やる気分は、至福のひとときである。こんなことが至福だなんて、若いときには考えられなかった。

P1010008 今、入間川河川敷で目立つのは、セイタカアワダチソウの黄色。問題のある花ではあるが、美しい。セイタカアワダチソウほどは目立たないが、ミゾソバが白い花をつけている。河川敷公園に植えられた芙蓉は、盛りを過ぎて、ピンクの花をしおれさせている。

河川敷も自転車道も、陽気のせいだろう、人が多い。散歩の人、ジョギングの人、当然ながら自転車の人。台風が近くを通った影響で、川の水が多く、勢いがある。堰のあるところでは、水が白波を立てて激しく落ちる。水しぶきが煙のように上がっている。高さは足りないがまるで滝だ。その様子を写真に撮っている人もいた。

散歩していると、足元からトノサマバッタが飛び立つ。赤とんぼ、秋の蝶、すべて懐かしい感じだ。こんな日に釣りをしている人たちは、幸福だろうな。夏や冬だと、釣り人をうらやむことはないが、こんな日は、良い趣味だと思う。

   川岸の夕日まぶしき日向ぼこ    ぼんくらカエル

帰路、奥富の案山子祭りを見る。ビニール袋に紙くずを詰め込んで形を作っただけの案山子もあるが、かなり手の込んだ物もある。童話やアニメのキャラクターなどもある。全体の感想としては、わざわざ見に来るほどの物ではないが、通りすがりに見るのはいいという程度。

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2007年10月27日 (土)

野分

10月26日(土)  雨

季節はずれの台風が近づいている。

マルエツで買い物。塩蔵わかめとトマト。

大和の湯へ。無料券があったので、雨の中を行く。例によって、サウナで汗を流し、体重が減った分は、あがってからのビールと冷酒で取り戻す。いくら汗を流しても、これではダイエットにならない。

バスで帰ろうと思ったが、待ち時間が長いので、歩くことにする。台風が近づいて、風雨が強くなった中を、急ぎ足で約20分。ズボンの裾はびしょぬれ、靴の中も水浸し。傘を前に倒し、風に逆らいながら、ひたすら歩く。70歳でこんなことが平気なのは、幸いにして健康だからである。道はいたるところに水たまりがあり、勾配のあるところでは、水が流れている。舗道わきの木からは、まだ紅葉もしていない木の葉が、強風にあおられて散っている。

   舗道にも水の流るる野分かな    ぼんくらカエル

     

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2007年10月26日 (金)

彩の会,他

10月26日(金)  雨

近くにベルクが出来て便利になったけれど、値段は少し高い。店も大きく、種類も豊富なようではあるけれども、無い物もある。カットわかめはいくつもの種類を置いているが、塩蔵生わかめがない。刺身用の生わかめはあるが、私のほしいのは、好きなときに塩抜きして、みそ汁に入れたりするものなのだ。カットわかめでも同じように使えるが、だいたいにおいて、カットわかめは、わかめの味がしない。それが気に入らない。鶏ガラスープの素も、ステイックになっていて1回ごとに使い切るような物しかなかった。それらはマルエツで買うしかない。ベルクに客を取られて、マルエツが潰れないことを願う。客は減っているんだけどねえ。そのうち戻る客もいると思うのだが……。

彩の会(水彩画の会)。例によって、子供の遊んでいる絵を描く。兄と妹、白い犬が私の絵に登場するキャラクターである。キャラクターなんて書きたくないが、人物では犬が入らないし、生物と書くのも変だ。後は時々、母親やピエロが登場することになっている。今日の絵は、昔の田舎にありそうな田園で、母親に呼ばれて夕食に帰る子どもたちの絵だ。私の絵は、写実とは言えなくなっている。いずれそれらの絵も、ブログに載せるつもり。

われわれのグループは、全員素人だが、絵の上手な人が多い。みんな個性を持っていて、絵を見れば、黙っていても作者が分かる。技術的なことはともかく、絵にはその人の性格、人格が現れる。何でも、結局はそこに落ち着くんだなあ。

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2007年10月25日 (木)

定例会

10月25日(木)  晴れ、曇り

ボランティアグループの定例会。この会の活動として、来月8日までのあいだに私がやることは、10月29日と11月5日精障者作業所Mのボランティア、10月31日特養Sの運動会、11月1日老人介護施設K訪問、11月6日、精障者授産施設Rの食堂の手伝い、などだ。この会以外のボランティアや趣味の会などもあり、まあ、ほどよいところだ。

目覚まし時計が壊れたのでセキチューに買いに行く。普段は目覚ましなど使わないが、山へ行くときなどは4時頃起きなければならなかったりする。そのための物。もっとも、用心して目覚ましをかけるけれども、実際には目覚ましが鳴るより先に目が覚めている。早く起きようと思って寝ると、早く目が覚めるのである。

精障者小規模作業所コパンのブログ、苦心して、なかなか良い物を作っている。

私のブログは文字だけだから、楽だなー。読む人は楽しくないだろうけどね。知ったことではない、自分のために書いているのだから……。

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2007年10月24日 (水)

犬の調教師

10月24日(水)  晴れ

天気が続き、ボランティアも趣味の会もない日が続く。つまり、散歩する日が続く。

最近の年寄りは、いたって元気な人が多い。私も、耳が遠いの目が霞むのと言うことはあるが、一応は元気である。

  天高し壮健にして古希である   ぼんくらカエル

この俳句を作ったのは、じつはかなり前だ。しかし、発表するのは秋でなければならない。今日、私の属する俳句の会に5句を投句。そのうちの一句がこれ。こんなことをぬけぬけと言ってみたかった。

入間川の河川敷で、犬の訓練士(調教師?)が黒い中型犬の訓練をしていた。ボールをさまざまな方向に投げて、犬にそれを捕ってこさせる。右に投げるようなふりをして左に投げたり、犬がボールを追っているあいだに木陰に隠れたり、走って逃げたり、犬にとっては意地悪になるようなことをする。投げるボールは、あまり弾まないボールのようだ。訓練士は、犬が銜えてきたボールを手で受け取る。犬が訓練士の足下にボールを置いても知らぬふりだ。手に渡さなければ駄目なのである。犬も、結構楽しそうにやっている。

  秋の日や毬放る犬の調教師   ぼんくらカエル

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2007年10月23日 (火)

いろいろ

10月23日(火) 晴れ

私家版の本を作ろうと思って、これまでのブログを見ると、同じことを何度も書いていますね。もうろくしているから、前に書いたことを忘れて、又同じことを書くという有様だ。

朝、Sさんが藁を持ってくる。これで草履を作れと言うわけだ。うまくできたら精障者作業所Kでも作りたいという。

入間川河川敷の散歩。帰り、図書館脇で山の会のSさん、Hさんに会う。Hさんの家は区画整理で、今新しい家を建てているが、植木を何本か持って行くらしく、トラックが来ていた。何のかんの言っても、SさんとHさんは仲が良い。

駅からバスで帰るとき、われわれのボランティアグループの元会長Hさんのご主人に会う。川越へ行ってきたとか。杖をつきながらだが、良く歩く。いつぞやは新宿であった。

本にするために、「罪刑法定主義と季語」を、新しく書き直す。まだその一編を書き直していないが、後は明日だ。

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2007年10月22日 (月)

畑打ち

10月22日(日) 晴れ

精障者作業所Mの畑打ち。スタッフのHさん、、メンバーのk・Oさん、k・Uさん、N・Oさんが手伝ってくれる。

鎌3丁、包丁1丁を研ぐ。

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2007年10月21日 (日)

相模湖ふるさとの森

10月21日(日) 晴れ

洗濯。

あまり天気がよいので、外出したくなり、相模湖へ行く。相模湖駅から湖岸へ行き、船で対岸にわたり、ふるさとの森散策。

じつは渡船場で遊覧船がでそうだったので、ふるさとの森への切符を買おうとしたら、切符売りのお姉さんが、「えーと、あれはいくらだろう」と窓の上の方に貼ってあるらしい値段表を見て「往復800円」という。ほとんど買う人がいないらしく、嫌な予感。

出発間際の遊覧船に乗ろうとしたら、「それは違う」という。係の人が3人くらいしか乗れないモーターボートを岸に寄せ、それに乗れという。私一人が客で、ボートは対岸に着く。随分荒れた船着き場だ。そこから山の上に行けばふれあいの森があり、管理人がいるから、帰りはその管理人にいえば迎えに来る、という。

荒れた山道を上がっていくと、確かにふるさと広場という広場があって、管理人がいた。なんとかゴルフというミニゴルフのようなゲームの出来る場所があり、数名がそのミニゴルフをしていた。

こちらは山歩きのつもりで、あちこち歩き回ったが、どの道も荒れ果てて、半分は藪こぎである。どんぐりの森、とか野鳥の森などという道があるが、昔は手入れをしていた、という感じ。本来は入園料を取るのだそうだが……昔、来訪者が来ることを当てにして整備したが、来る人が少ないのでそのまま放置したというのが実状だろう。観光地の場末で開店したが、客が来る当てがはずれて閉店した食堂のようなものだ。

それでも、湖の見えるところでスケッチ2枚。お握り2個にワンカップ。帰りのボートの中で、誰か客がいたか、と運転者(本当はなんというのだろう、船長?)が私に聞く。人が来ないことを知っているのだ。

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2007年10月20日 (土)

つばさ会

10月20日(土)  晴れ

つばさ会。今月は投句した5句全部に点が入る。先月はじめてそんな経験をし、今月も続いた。高得点の句や零点の句がでたりする方が良いのだろうが、この2ヶ月は違う。私の句も、底上げされてきたと思えば、自己満足にはなる。

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2007年10月19日 (金)

無題

10月19日(金) 晴れ、曇り、雨

養護老人ホームS、訪問。

私家版の本を作るための原稿整理。これまでの文章を集める。それを原稿用紙(20×20)にして揃えることからはじめる。200枚以上はありそう。

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2007年10月18日 (木)

晴散歩雨家事

10月18日(木) 晴れ

晴耕雨読という。私の場合、ボランティアや趣味の会がない場合、晴散歩雨家事である。このところ、ボランティア無しが何日か続いた。で、散歩が多くなる。今日も本来なら散歩の日だ。しかし、晴散歩とは言っても、雨が少なければ、散歩を止めて家事をしなければならなくなる。今日はそんな日。

洗濯や買い物は散歩の日でもやるのだが、今日はそのほかに、作り置きのおかずなども作る。その1、キノコの甘辛煮。椎茸、エリンギ、シメジ、エノキタケをめんつゆその他で甘辛く煮込む。最近知った調理法だが、これがなかなかの味で、私の定番になりそう。その2,大根の皮のきんぴら。大根の皮を捨てずにとっておき、みそ味のきんぴらにする。大根の葉の茎の部分やブロッコリーの茎なども一緒に炒めてしまう。これはすでに定番である。その3,カボチャの含め煮。これは電子レンジだけでやる。これも定番。

このところせっせと文章を書いているTさんに刺激を受けて、私もこれまでの文章のうち、本にしていないものを集めて、私家版の本を一冊作ることにした。一冊分として、量は十分にあるようだ。これを取捨選択して、原稿を書き直し、完成まで、さて、いつ頃になるだろうか。

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2007年10月17日 (水)

秩父市散歩

10月17日(水) 晴れ

秩父市内の散歩。秩父の路地を歩くのが好き。秩父巡礼明治古道を歩くき、札所32番に寄る。

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2007年10月16日 (火)

絵のために

10月16日(火) 曇り、雨

昔の田舎の遠くにかやぶき屋根のある田園風景の中で、子どもたちが遊んでいる、そんな絵が描きたくて、いろいろ試しがき。

やはり子供の遊びを描きたくて、紙飛行機を作ってみる。インターネットで調べて、これまで作ったことのない物も作る。

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2007年10月15日 (月)

H・Kさん

10月15日(月) 晴れ

土曜日のこぶし祭りで、狭山の精障者施設は休み。

昨日、山の帰り、狭山市駅からにバスで、昔、歴史散歩の会で一緒だったHKさんに会う。上品な老婦人になられていた。HKさんがバスを降りて、その先まで行く私を見送って、手を振る姿がとてもかわいらしく、いい歳をとられたと思う。もともと、民生委員やボランティアをやっていた人である。目を悪くされたと聞いていたが、回復したようだ。その笑顔で、私は和やかな気持ちになった。

新しくできたケイヨーデイツーにフライパンを会に行くが、開店して未だ1ヶ月にならないのに、お客はちらほら。セキチューに方が客は多そうだ。ベルクにも寄ったが、こちらは賑やか。夕方マルエツにも行ったが、客足は減っている。

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2007年10月14日 (日)

箱根駒ヶ岳・神山

10月14日(日) 曇り

山の会の山行。駒ヶ岳~神山の縦走。

6時、マイクロバスで狭山市駅前出発。

コース  防ヶ沢~駒ヶ岳~防ヶ沢分岐~神山~大湧谷分岐~大湧谷

歩行時間約4時間。ぬかるんで道悪。紅葉は未だ始まったばかり。曇天のため見晴らし悪し。

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2007年10月13日 (土)

こぶし祭り(ぼんくら日記)

10月13日(土) 晴れ

狭山市の、精神障害者のための福祉法人こぶし会の、こぶし祭り。授産施設リバーサイド、生活支援センター スペースきずなの前庭で行う。

私はSさんの車で10時前に行き、そのまま厨房へ入る。弁当を詰めたり洗い物をしたりの手伝い。人より遅れて昼食は食べたが、ほとんど休みはなく、舞台での出しものや市長その他の挨拶とも無縁で過ごす。厨房の後かたづけもほぼすんだ3時、私はリタイヤ。前庭ではビンゴをやっていたが、私はそのまま帰る。結構忙しくて疲れた。テントを解体する仕事が残っていたが、人は大勢いるし、私がいなくても良いだろうと判断した。テント3張りを解体するだけだから、たいしたことはないはずである。

明日は狭山市駅前をマイクロバス6時集発で山に行く。歳をとると、出発前の腹具合の調整も考えなければならない。そのためには4時頃起きる必要がある。リュックやらその他山行の用意を寝る前にしておかなければならない。食事を作ったり風呂を沸かしたりの「おさんどん」もして、早く休まなければならないから、帰ってからも、そんなに暇はない。今はそれらを済ました。今日やるべきことは、この日記が最後。

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2007年10月12日 (金)

ぼんくら日記

10月12日(土) 晴れ

こぶし福祉会のこぶし祭りが明日行われる。その準備でテント張り。

午後、水彩画の会。

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2007年10月11日 (木)

罪刑法定主義と季語

10月11日

罪刑法定所義と季語とは、我ながら妙な取り合わせだ。ひょいと思いついたので書いてみようと思っただけで、上手く書けるかどうか自信はない。ずっこけるかな。

罪刑法定主義というのは、字を見ても分かるように、法律用語だ。刑法上で犯罪になるのは、あらかじめ犯罪として法律に定められている罪を犯したものに限る、というような意味である。どんな犯罪も、法律で禁じられているものでなければ、罰せられないと言うことだ。従って、あんなひどいことをやったやつは許しておけない、と思っても、それを罰する法律がなければどうもならない。あらかじめ定められている必要があるので、どうにも許し難いことが起こっても、そのあとで出来た法律によって、遡って罰せられることはない。刑罰に遡及効はないのである。

ケータイやパソコンに、殺人を依頼されたら引き受けるみたいな許し難いサイトがあるという。自殺の仕方やその手助けをするというようなサイトもあるらしく、そのようなサイトによる自殺や殺人も起きているらしい。現在はまだ、そのようなサイトを開くことが法律で禁じられていないらしい。早急にそれを禁じる法律が作る必要であろう。

罪刑法定主義というのは、時の権力者によって、恣意的に刑を科せられることがないようにする、いわば弱いものを守るための決まりだが、法律がないのを良いことにその抜け道をさがすようなものがかならず現れる。常に犯罪の方が先で、法律はあとから着いていく。

今日の題が、罪刑法定主義と季語である。季語とどんな関係があるのかといわれそうだ。

歳時記というものがあって、俳句の季語を分類整理して解説している。俳句の歳時記がいつ頃出来たのかは知らないが、滝沢馬琴なども編んでいると言うことだから、かなり昔からあるわけだ。

ところで、俳句が先に出来たか歳時記が先に出来たかといえば、答えは明らかで、俳句の方が先である。かなりの数の俳句が出来てから、それを整理しようとして歳時記が出来たわけだ。こう書くと、うるさい人から文句がでるかもしれない。歳時記の方が先で、俳句は正岡子規以後だなどといわれそうだ。私は発句も含めていっている。

とにかく、発句やら俳句やらが出来たあとで、それを整理分類して歳時記が出来たわけだ。たいがいの季語は歳時記に登録されている。流派によって、ここで思考が逆転する。歳時記に載っていないものは季語ではないという発想になってしまうのだ。つまり、法律に触れないものは犯罪ではないという考えと同じだ。あるいは、辞書にないものは言葉ではない、という主張に似ている。たいがいの言葉は辞書に載っている。しかし、辞書に載っていない言葉もある。辞書は言葉を整理して出来た。歳時記も俳句を整理して出来たものだ。発想を逆転させてはいけない。

先にも書いたように、刑法に触れなくても、許し難い犯罪はある。法律が追いつかないだけである。歳時記と季語でも、同じことが言えるだろう。季語であっても、歳時記に登録されていないものがある。現在の実状に合わない季語が、いまだに生きているものもある。だから歳時記というものも、時々書き換えられる。書き換える人は、編集委員のような人たちであろう。新しい歳時記で、ある季語を捨て、他の季語を取り入れる。歳時記に登録されていなければ季語ではないという人々にとっては、昨日まで季語だったものが、今日からは季語ではない、などと言うことも起こりうる。権威ある編集委員の季語採択に、自分の考えも無しに着いていくというわけだ。

だいたい、歳時記にあるものだけが季語であると主張して都合が良いのは、流派のお師匠さんである。家元である。いろいろ規則を設けて、それが煩雑であるほど、家元にとって有利なのだ。俳句にも、家元が沢山いますからね。最初の家元は歳時記にない季語でも場合によっては認めたが、何代もあとの家元になると、最初の家元が便宜的に言ったことが、金科玉条になって、盲目的に従うだけになる。家元の権威を保つために、煩雑な決まりはむしろ都合の良いものだ。

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2007年10月10日 (水)

ベルク開店

10月10日 (水) 晴れ

ショッピングセンターのベルク、マツモトキヨシ、ダイソーが今日開店。早速ベルクで食料を買う。大変な混みようだ。マルエツに比べて安いかどうか知らないが、近いので、この先ここを利用することになるだろう。

ホームセンターのデイツーはすでに開店しているし、あとはユニクロの開店を待つばかり。

Tさんが原稿を持ってくる。紀行文をこんど投稿するので、見てくれということ。酒をいただく。越乃寒梅である。こんな酒は普段は飲めない。

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2007年10月 9日 (火)

秩父市今宮坊

10月9日 (火)曇り、雨

これからは散歩の季節。狭山市内の散歩も良いが、どこかへ出かけて歩きたくなるときがある。そんなとき出かけやすいのが秩父市である。秩父には名所もいろいろあって、そこを歩くのも良い。特にどこというのではなく、西武秩父駅から荒川の方に向かって、適当に歩くのも良い。路地のような細い道に、私は好んではいる。そして、秩父市には、そういう道が多い。古い、狭い道は、どこでも風情があるものだ。

 これまで何度も行ったことがあるのだが、今日は今宮坊に寄った。ここには「龍神木」というケヤキの御神木がある。樹齢推定1000年、幹まわり8,56㍍、幹に大きな空洞がある。この木の脇に御神木の由来が書いてある。御神木にまつわる不思議な出来事が書かれているのだが、そのようなものは、普通、何百年前とか言うことが多い。ところがここの御神木にまつわる不思議は、平成3年12月30日1時30分頃となっている。まさに現代の出来事というわけだ。

平成3年12月30日、茂木武以下数名の氏子が正月の用意に社殿を清掃中、ご神体の龍の彫り物がにわかに動き出し、竜巻が起こり、風は天に駆け上り、大欅の空洞の当たりに消えた、というのである。これを、数名の氏子と宮司が見たというのだ。風が天に駆け上がったのであって、彫り物の龍が駆け上がったわけではないようだが、風だけにしても不思議は不思議だ。

現代のことであり、今も生きているであろう氏子たちが見たというものを、まるっきり嘘とも言えず、半信半疑にならざるをえない。おおかた、幻想とか、集団催眠と思われるが、要するに、よく分からない。

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2007年10月 8日 (月)

書き物

10月8日

だいたいぶらぶら過ごす。

先日大和の湯の食事券があった他ので、夕方、大和の湯へ行く。

近ごろめったに書かないのだが、手紙を3本、原稿を一つ(4枚)書く。

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2007年10月 7日 (日)

無題

10月7日

絵を1枚仕上げる。ピエロと子どもたちが、智光山公園で竹馬に乗っている絵。

車椅子と仲間の会。

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2007年10月 6日 (土)

草に寝ころぶ

10月6日

さわやかな天気なので、散歩にでる。久しぶりに智光山公園へ行く。途中のコンビニで昼食のサンドイッチとビール、つまみとワンカップを買う。智光山公園にはいくつかの池がある。その一つを見ながら昼食。

隣の池では、カワセミの写真を撮る人たちが10人ばかり、カメラをセットした状態で待っている。この池の対岸には良くカワセミが来る。今日も来ていると言うことだ。

ビールを飲みながら、鉛筆だけのスケッチを2枚。

その後、天気がよいので、安比奈公園まで歩く。公園の中心部で安比奈公園祭りをやっていて、賑やかだ。私はその賑わいを避け、少し離れたところの芝生にビニールを敷き、寝ころんで空を見た。太陽の光がほどよくて、空は雲もなく晴れている。典型的な秋晴れだ。出来ることならば、いつまででも寝ていたい気分。時々起き上がって、ワンカップを飲む。なぜだか先月から、俳句が全く出来なくなっていたが、今日は寝ころびながら9句作った。

誰があげているのか連凧が、先が分からないほど高く空に上がっている。よく見れば、何となく先が見えるけれども、見事なものだ。数えることは出来ないが、凧は100個も連なっているかと思うほどだ。

今日などは、私の1生のうちでも、幸せな方に属する1日である。

   草に寝て物音近し秋日和

   太陽は吾にも注ぐ草の花

   秋天の果てまで連凧上がりけり

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2007年10月 5日 (金)

くじ運

9月5日

昨日まで、ぐずついた天気。今日は晴れ。

今年の天気でおかしいのは、この季節になっても、晴れると暑いことである。普通なら、晴れたらさわやかなはずである。それなのに、今日あたり、外へ出ると暑い。

暇があったので、智光山公園に散歩に行こうかと思ったが、大汗をかきそうだったので止めた。暑いのは苦手で、どちらかというと寒い方が良い。いつぞや大雪の日に、長靴で智光山まで歩いていき、売店のおばさんにあきれられた。軟弱散歩派としては、暑いのは嫌である。

智光山公園をやめにして、大和の湯へ行く。先月もらった大和の湯のくじで、食事券があったていた。去年辺りからなぜかくじ運が良い。子供の頃から去年まで、くじ運が悪すぎたから、今はそれを取り返している感じだ。たいした当たりではないけれど、これまでの私には考えられないことだ。くじ運というのも、偏るんですね。

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2007年10月 4日 (木)

根性ガマの油論

10月4日

またまた、相撲の武蔵川部屋の親方の暴行障害事件がニュースになる。相撲のような競技は厳しく育てなければ一人前になれないのだとは思うが、そうかといって、暴行傷害などの事件がちょこちょこあったら、やはり古い世界だ、と思ってしまう。

スポーツの世界では、良く根性という言葉が使われる。何事も根性がなければ駄目だ、といわれる。それは確かにそうだろう。しかし、ともすると、根性さえあれば何でも出来るというような話になってくる。相撲の世界で可愛がると言えば、根性をたたき直すためにしごく、という意味になるらしい。

根性、根性、ハート、大和魂。根性さえあれば、勉強もスポーツも何でも出来る。芸事も根性、芸人が人気をとるのも根性、はては泥棒も人殺しも根性?

この手の根性論を、私は「根性ガマの油論」と名付けている。そのうち、「根性丸」なんてぇのを作ろうかしらね。

さてお立ちあい。武州狭山の根性丸。手前これに取りい出しましたるは、武州狭山の根性丸。そもそもこの根性丸の由来は、時津風部屋の親方の爪の垢をばいただいて、それを培養し、泥でこねて丸めたものだ。この根性丸を一舐めすれば、その効用たるや、聞いて驚くなよお立ち会い。およそあれに効いて、これに効かないと言うことがない。何にでも良く効く。たとえばだ、根性丸を舐めて相撲を取れば横綱をも倒す、マラソンをすればオリンピックで優勝できるといった丸薬だ。君、そこにボート立っている君、そう、君だよ、君だってこの根性丸を毎日飲めば、ノーベル賞くらい取れるようになる。嘘じゃないよ君。なに、我が輩? もちろん我が輩も飲んでいるさ、だからこんなに弁舌さわやかだ。さてお立ち会い、この根性丸が50粒は入っているこの箱、これがたったの5000円だ。元来は一箱1万円の所、今日は特別新発売の宣伝であるからして、たったの5000円でお分けしようと言うわけだ。。どうだ驚いたろう。さあ早い者勝ちだよ。今日はここに持ち合わせているだけだ。もっと出せと言ったって、今日はこれっきりだ。さあ、買った、買った・・・

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2007年10月 3日 (水)

殿ヶ谷戸庭園・大相撲問題・他

10月3日

洗濯

久しぶりに洗濯。干すときにパンツを数えたら9枚有った。つまり、9日ぶりの洗濯なのだ。いくら独り者でも9日間貯めれば、洗濯は山のようだ。当然、アンダーシャツも9枚で、他にも、寝間着やタオルや、ポロシャツ、カッターシャツなど、あれやこれやで大変である。朝食を作りながら洗濯機を回し、食べながら回し、歯を磨きながら回し、といった具合だ。

墓参

洗濯が終わって、墓参に出かける。じつは今日、父の命日。父は60歳でなくなっている。若死にといえるが、それでもわが家の家系では、もっとも長生きなのだ。母が33歳。兄弟中で一番長生きだったすぐ下の弟が40歳半ばだ。おまけに妻まで56歳だから、現在70歳の私が誰よりも長生きということになる。

私は無神論者、無宗教で、死後の世界があるなどと思っていないから、葬式も墓参りも、生きている人の気休めだと思っている。要は生きている人間が、死者を思い出し、心の中で対話をすればいいのである。

殿ヶ谷戸庭園

わが家の墓は高尾なので、帰りの国分寺で途中下車して殿が谷戸庭園(東京都指定名勝。旧岩崎家の庭園。65歳以上の入園料は70円)に寄る。ここはよく俳人の来るところで、今日も吟行をしているグループに出会った。

何度か来たことがあるけれど、今日はじめて、庭園内の馬頭観音を見る。行き止まりの小道の先にあるので、これまでそこへは行かなかった。

馬頭観音など、とりわけ珍しいものではないが、その脇に書いてあった解説がおもしろかったので、その一部をメモしておいた。

   文政7年(1824)国分寺村の戸数は66、男157人、女149人、馬22頭。

当時幕府が国分寺村と同程度の村に期待した馬の数は、15頭だったと言うから、国分寺村は、その目標を大きく超える。村は、豊かだったのかもしれない。                            

国分寺村がいつ頃出来たのかは知らないが、国分寺自体は奈良時代に出来たと思われるから、相当に古い村であることは確かだろう。

大相撲問題

時津風部屋の新弟子が、親方や兄弟子の暴行などを受けて死亡した問題。報道が事実とすれば、これはもう、ほとんどリンチだ。時津風親方は、相撲協会から解雇されそうである。それを厳しいという人もいるが、少しも厳しくはない。当然である。朝ズバのみのもんたは、朝青龍問題も抱えて、協会は大変だという。確かに大変だけれど、朝青龍の問題とは、土台、質が違う。

朝青龍の問題は、横綱の単なるずる休みだ。横綱たるもの、ずる休みをしてはいけないというのは正論である。だから、2場所休場だろうが、相撲界追放だろうが、相撲協会の規則に従ってやれば良いだけのこと。自宅謹慎などというのは間違っていると私は今でも思う。相撲協会に、他人の自由を奪って、自宅監禁を命ずる権利があるとは思えない。たとえ協会に属する力士に対してであろうと・・・

時津風部屋の問題は、そんな軽いものではない。刑法上は暴行傷害致死と言うことだろうが、殺人に近いものだ。ずる休みと殺人を一緒にしてはいけない。時津風部屋の兄弟子たちにも罪がある。協会は同じ部屋の別の親方に跡を継がせるつもりらしいが、他の親方たちも、ビール瓶で弟子の頭をひっぱたくようなしつけをしていたことに、全く気がついていなかったのだろうか。だとしたら、随分うかつな話だ。気がついていたのだとしたら、刑法上はともかく、道義的な責任はあるのではないのか。

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2007年10月 2日 (火)

指の怪我

10月2日

昨日は精障者作業所Mで布草履、指導しながら作る。

今日、精障者授産施設Rで食堂の手伝い。終わって、包丁研ぎ。ついうっかりして右人差指を怪我する。傷はほんとに浅いのに、血だけはだらだらと出る。バンドエイドで塞いで、その上から包帯をする。

昔琴の親方に言われた。「怪我をするうちは仕事が上手くなる」。なるほど、下手だから怪我をするのだから、これは当たっている。私などは怪我ばかりして、その割に仕事が上手にならなかった。なんのことはない、私は不器用なのでございます。

今日の怪我は、うっかりミス。

仕事と失敗はつきものだが、絶対失敗しない方法というのはある。それは仕事をやめることだ・・・なーんちゃって。

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2007年10月 1日 (月)

10月1日

朝、目が覚めてまずやることといえば、喉の渇きをいやすため、コップ一杯の水を飲むことと、トイレに行くこと。次に朝刊を読む。布団に座ったままで、インスタントコーヒーを飲む。コーヒーを飲みながら数独(ナンプレ)をはじめる。いつまでたっても、この数字をはめ込むパズルに凝ったままである。

数独ばかりではいけないと考えて、最近、詰め碁の本を買ってきた。従って、数独のあとは詰め碁である。詰め碁から判断する私の碁の実力は、3級くらいかな。残念ながら、初段はないのである。若い頃から、ほとんど強くなっていない。実戦も少ないし、詰め碁集など買ったのは今回が初めてで、勉強もしていない。弱くて当たり前と言うことだ。せめてこの一冊、丁寧にやりますか。どうせ朝は暇なのだ。

ボランティアなどの朝の始動は、だいたい10時頃だ。準備や通う時間を考えても、朝食は8時過ぎで間に合う。布団の上に座ったままで、数独や詰め碁をする時間は充分にある。その間に、インスタントコーヒーは2杯くらい飲む。

のんびりした朝に万歳。

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埋み火について

9月29日

2週間くらい前「埋み火」というタイトルで書いているので、今回は「埋み火について」にしておいた。本当は「埋み火」だけで良い。

太古の人々は、木をこすり合わせて火を熾したという。その話を聞いて、乾燥した木の枝をこすり合わせて、火を熾そうとしたことがある。私ばかりでなく、多くの人に、そんな経験があるのではないだろうか。人はそんな経験によって、単に木をこすり合わせるだけで火を熾すのは、至難の業であると気づくのである。

太古でも、火を熾す方法はいろいろ考えられたようで、単に木の枝をこすり合わせると言うだけではなかったようだ。しかし、その詳細は知らない。いずれにしても、火を熾すのはかなり大変なことで、一度熾した火は、めったなことで消えたりしないように、大切に扱われたらしい。火打ち石などを使うようになってからは、それほどのこともなく火を熾せるようになっただろうが、それでもマッチのようなわけにはいかなかった。

昔はどこの家でも火を熾す必要があった。竈であれ囲炉裏であれ七輪であれ、飯を食うためには火を熾さなければならなかった。火を熾さなければ、風呂にも入れなかった。だから、火くらいは誰でも熾せた。

それに比べると、今の人たちは火熾しが下手である。

ある時、障害者施設の子どもたちと、バーベキューを行った。私は少し前に現場へ行って、薪と枯れ草を用意した。会場では、いくつかのグループに分かれて、それぞれに火を熾した。スタッフやボランティアがついているのに、いくつかのグループは火を熾せなかった。そのような場合には、燃えている薪を分けてやった。それでもなお、火を立ち消えにしてしまったグループがあった。しかもそのグループには、「バーベキュー講座」とかで火の熾し方を習った人がいたのである。

それも、無理もないのかもしれない。今の生活の中で、マッチやライターを使って火を熾す必要などはないのである。バーベキューなど、野外で火を熾すときは、筒の先端からいきなり炎が出てくる火付け棒とか言う道具がある。そんな道具無しで火を熾せという方が無理なのだろう。

私は少年時代の大部分を、東北の祖母の家で過ごした。そのあたりでは、どこの家にも囲炉裏があった。祖母の家では、ご飯もみそ汁も煮物も、ほとんど囲炉裏で作っていた。魚や餅は、囲炉裏の端に燠をひいて、その上にワタシをかけて焼いた。ワタシなどという言葉は、若い人にはもう分からないかもしれない。4本あるいはそれ以上の足を持った網で、灰の上に足を立て、その上で魚や餅を焼く道具である。囲炉裏の隅でも使いやすいように、弧状に湾曲しているワタシが多かった。

祖母は火種をとっておくことに熱心な人であった。家の中から火を絶やすのは、その家が絶える前兆と考えていたのである。だから夜は、薪が燃えたあとに残る燠を、埋み火にして朝まで持たせた。囲炉裏の真ん中に燠を集め、灰をかけておく。灰をかけすぎると燠は消えてしまうし、灰が薄すぎると、燠は朝までに燃え尽きてしまう。べつだん加減が難しいと言うほどでもないが、その辺にも気を使うわけだ。そしてその燠を使った、次の日の火を熾すのである。こうして、家のはじまる頃に熾した最初の火を、いつまでも継いでいくのである。

祖母ばかりでなく、その頃の旧家では、火を絶やさないというのは、大切に守られていた習慣だったと思う。私の田舎では囲炉裏に埋み火だったが、都会では火鉢に埋み火ということになる。その場合には、ちゃんと焼かれた炭だっただろう。私に田舎では、薪から出来た燠であった。田舎では、炭などというものは、作って売るものであって、自分で使うものではなかった。

火を絶やさない、埋み火にしてとっておくという習慣は、太古の人々が火を大切にしたことと、どこかで繋がっているのかもしれない。

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