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2007年9月 3日 (月)

埋み火

9月3日

精障者作業所Mは、10時から午後3時までが活動時間である。メンバーたちも3時で帰る。しかしスタッフは、5時くらいまでは仕事をしている。ボランティアは、3時過ぎに帰る。今日私が帰るときに、スタッフは一人しかいなかった。それで私は、

「ネズミに曳かれないでね」

と言って帰ろうとした。ところが、若いスタッフは、その意味が分からないという。聞かれてみると、私の方も、大して意味が分かって使っていたわけではない。誰かを一人残して帰るようなとき、昔は良くこの言葉を使った。人がいなくなって淋しくなると、ネズミがちょろちょろ出てきて、残っている人を自分の穴に誘おうとする。だからネズミに惑わされて穴になんか入るなよ、と言うような意味だったと思う。ちょっとした、からかい言葉だった。だが、今日のスタッフは、その言葉を聞いたことがなかったらしい。

なんの脈略もないようだが、「埋み火」なんていう言葉も、今の若い人には分からないだろうな、と、ふと思った。そこで、「埋み火」についた書くことにした。

まだ9月だというのに、埋み火もないだろうという気もするが、私がふと思ったことなど、次の日には忘れてしまう。鶏は3歩あるけば忘れると言うが、私はぼんくらカエルだから、鶏よりも忘れやすい。気がついたことは急いで書かなければ、書く機会がなくなる。

埋み火は、俳句などでは冬の季語である。私の歳時記には「用のない時、あるいは寝るときなど、熾った炭火に灰をかけておく。これを埋み火という」と書いてある。だいたいこれで良いのだけれど、炭火というのは、必ずしも炭焼き小屋で焼いたような炭ばかりではない。薪を燃やしたあとで、炭火状になったものを燠(おき)といい、これもふくまれている。昔の農家などでは、炭は焼いても、売るものであって、使うものではなかった。自分で使うのは、薪であり、燠であった。いろりや竈で出来た燠を、火鉢やこたつに入れて使った。

私の田舎では、いろりはどこの家にもあったが、火鉢などはない家が多かった。夜になると、いろりに出来た燠の上に灰をかけて埋み火にした。こうしておくと、燠は長持ちをし、次の朝まで消えないのである。朝にはこの埋み火を火種として、火を熾すのである。火を絶やすことはことは家の衰亡につながるというような意識もあって、どんなときでも火種を絶やさぬようにしている家もあった。旧家などでは、何百年も火を絶やさずに守り続けたりしていたのである。その昔、マッチなどのなかった時代、火というものは、貴重なものでもあったのだろう。火を熾すのは、たとえ火打ち石を使う場合でも、マッチのように簡単にはいかない。火種を残すと言うことは、そういう意味からも必要だったのかもしれない。埋み火は、俳句では冬の季語だが、夏でも埋み火を作っていたのだから、実際には冬だけのものではなかった。

そういえば炭壺と言うものがあった。これは不要になった炭や燠を入れるもので、蓋をすることによって壺の中の酸素を無くし、火を消す道具である。こうしてできた消し炭を、必要に応じてまた使うのだ。燠さえも無駄にはしなかったのである。

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