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2007年9月29日 (土)

ベルクのカード

9月29日

このところ、暑い日と涼しい日が日替わりでやってくる。昨日は真夏日、今日は秋雨。中秋の名月を過ぎてから真夏日がやってくるなど、異常なのである。ただ、その異常が当たり前になってしまったこの頃である。

来月10日に開店するベルクのカードを作る。ポイントによる割引率は1パーセント弱で、マルエツOMCカードの5%とはだいぶ違う。しかし、ベルクが最も近いスーパーになってしまうので、どうしても日常の買い物は利用することになるだろう。

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玉堂美術館 飲み会

9月28日

御嶽の川合玉堂美術館へ、水彩画の仲間と。この美術館は何度目だろうか、小さい美術館で、そう多くを見ることは出来ない。それでも、玉堂は私の好きな画家である。柔らかい筆致でありながら、描くべき所は細部もなおざりにしない。淡い色で描く自然は、決して弱々しい自然ではない。

私の描き方が、玉堂に似ていると行ってくれる人も何人かいた。光栄です。また、玉堂の晩年の写真と私は、風貌が似ているそうである。ますます光栄です。絵などは、似ているなどと言われる段階ではないのだけれど・・・。

河鹿屋で昼食。

今日の話があったときから、帰りには川沿いの道を沢井まで歩くことが楽しみの一つだった。沢井で沢の井酒造に寄ること、そこで酒を飲んだり、おみやげを買ったり、という楽しみ。しかるに、先日の台風で川沿いの遊歩道は通行不能となり、歩くことが出来なかった。やむを得ず、バス通りを歩いて沢井へ。

飲み会

家に着くと山の会のSさんから電話。今日山に行った仲間と飲み会をしようと言う。すぐに出かける。私は誘われていたが、玉堂美術館へ行く予定だったので、参加できなかった。飲み会は、Aさん、Kさん、Hさん、Sさんと私。私以外は、山の帰り。Fさんにも電話したが、通じなかったとのこと。飲み、かつ食い、しばし談笑。山の会の人たちとの飲み会は、屈託が無くて楽しい。

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2007年9月27日 (木)

サンダル その他

9月27日

このところパソコンの調子が悪い。インターネットにつながるまでに「ドライブの用意が出来ていません」だとか、「ネットワーク管理者に問い合わせてください」だろかのメッセージがでる。それでも再試行などしていると、かなりの時間をロスしてから正常につながる。いつもパソコンに向かうのは夜だし、ネットワーク管理者に問い合わせるというのも、時間が遅いのでしていない。つながるまでの時間は、普段よりずっとかかるが、まあ、何とかやっている。

この前、布草履のことを書いたら、いくつかのトラックバックがあった。その中で「サンダル、おもしろ真面目講座」というのがあって、サンダルについての蘊蓄が語られている。これがなかなかおもしろかった。コメントでもしようかと思ったら、その欄がなかったので、ここに一言。

私も草履型サンダルの愛好者です。と言って、ビーチ型サンダルではなく、建築現場で一部の職人さんが履いているサンダルです。三層になっている厚いもので、第二層はスポンジになっています。厚さは、新品の場合つま先の方で約2センチ、かかとで3センチ5ミリ。足のもっとも幅の広いところで9センチ、かかとのあたりで6センチ5ミリくらいと言うのが定番です。

この草履の良さは、石や釘を踏んでもそれが足裏のスポンジにめり込んで、床を傷つけないと言うことです。

私は琴作りの職人というのが本業でしたから、普段、足袋を履いて仕事をしていました。足袋に合うのは、やはり草履型のサンダルです。アルバイトで建築現場などにも出入りしましたから、このサンダルは、私にとって、無くてはならないものでした。

その習慣があったので、今でも愛用しています。

午前、ボランティアグループ定例会。午後、ケアセンター。

「埋み火」について原稿を書こうと思っているが、なんやかやで今日も見送り。怠惰なのである。

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2007年9月26日 (水)

ショッピングセンター

9月26日

近くに大きなショッピングセンターが出来て、今日はその第1号店「ケイヨーデイツー」の開店日。これはホームセンターである。サンダル履きでちょいと行けるという距離であり、便利は便利だ。朝のうちに行ってみたが、当然ながら人で一杯。ズボンのベルトと荷造り用の紐を買い、記念のタオルを貰って帰る。

食品スーパーの「ベルク」は10月10日の開店。衣類の「ユニクロ」は10月26日開店。その他100円ショップなども開店予定である。狭山市ではもっとも大きなショッピングセンターになるのだから、私の日常の買い物は、ほとんどここで用が済んでしまいそうだ。何といっても5分で行けるのがよい。

一般の個人商店はやりにくい時代になったね。よほど特徴を持った店にしなくては・・・。わが家でとっている酒屋さんによると、「今は『屋』のつく店はみんな駄目。酒屋、八百屋、肉屋、みんな苦しんでいる」。そうだろうなあ。

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2007年9月25日 (火)

水見桶

9月25日

Mizutani10009_2 分かりにくいけれど、左の絵は江戸時代の水道のイメージである。真ん中の4角い箱は「水見桶」というらしい。両端の棒は、現在の水道管に当たるもので、板で作った4角い筒である。水見桶の両端にその4角な筒を差し込みこれを連結して水を引いていたらしい。水見桶には蓋があり、普段は蓋を閉めている。時々役人が蓋を開けて中をのぞき込み、水がちゃんと通っているか、濁っていないかなどを調べたらしい。

江戸明治たてもの園の資料展示室で見たものを、忘れないうちに書いておく。

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2007年9月24日 (月)

曼珠沙華

9月24日

涼しくなったので、久しぶりに散歩。稲荷山公園まで往復し、公園内も一週。万歩計はつけていないけれど、1万5000歩くらいになるはず。

途中でTさんに会う。巾着田に行ってきたという。曼珠沙華はかなり咲いているが、本当の満開まではいっていないらしい。

  野の花の頼りを耳にすれ違う   ぼんくらカエル

巾着だの曼珠沙華は、私が狭山市に来た頃には、4万本と宣伝していた。今では100万本だという。誰かが数えたわけでも無かろう。せっせと増やしたのだろうけれど、大まかなものだ。有名になってからは、観光バスがくるようになり、私の足は遠のいた。今ではは入園料を取る。    

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2007年9月23日 (日)

江戸東京たてもの園

9月23日

長女一家と小金井公園の「江戸東京たてもの園」に行く。近ごろあちこちに歴史民家園のようなものがあるけれども、ここは、第1級の方だろう。茅葺きの農家綱島家、名主を務めていた天明家など、実際に囲炉裏に火を入れて自在鍵が吊されていた。囲炉裏の縁に炭壺などもおかれている。

明治初期のモダンな建物もあれば、飲み屋、酒屋、風呂屋、傘屋(唐傘)その他さまざまな職種の家が、それぞれ、どこそこの何家と分かるようにして、移築されている。神田須田町の武居三省堂は、私はその建物がまだ神田にあったとき、見たことがあると思う。

多くの建物が、車イスで入れるようになっていた。

孫たちは、ボランティアの指導を受けながら、風車を作る。高橋是清廷内に喫茶、食堂があり、そこで昼食。日曜祭日だからだろうか、要所要所に学芸員のような人(あるいはボランティアか)がいて、質問に答えてくれる。

○相撲は、白鳳が優勝。自民党総裁は福田康夫。

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9月22日

明日からはいくらか涼しくなるという予報だが、果たして予報通りになるのかどうか。地球温暖化の勢いは、「暑さ寒さも彼岸まで「と言うことわざを吹き飛ばすほどだ。

7時すぎ、長女一家到着。デイズニーランドで白雪姫のパレードなどを見てきたという。

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2007年9月22日 (土)

孫との食事 他

9月21日

明日、孫たちがくるというので、家の掃除。普段満足な掃除をしていないから、どうしても大掃除っぽくなってしまう。昨日、今日、押入の布団を干す。

夕方、電話あり。デイズニーランドへ寄ってから行くので、外で食事をしようと言う。うーん。私自身が外に出ていてその流れで外食するのは良いのだが、食事のためにわざわざどこかへ出かけていくというのでは気が重い。狭山市内なら未だいいけれど・・・。

水彩画の会のTさんにもらった酒「幻の滝」を娘婿と飲もうと思って口を開けずにいたが、今夜一人で飲み始める。

私の属するボランティアグループの元会長Hさんから電話あり。20周年記念誌が残っていないかという問い合わせ。初代会長が狭山市に戻ってきたので、その記念誌が欲しいという。編集はしたが、管理はしていないのでYさんに尋ねるよう答える。Yさんに無ければ、パソコン内に保存しているので、コピーは出来ることも伝える。

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2007年9月20日 (木)

切り紙

9月20日

老人介護施設Kへ。主として話し相手に行くのだが、私は暇暇に手品をしたり、切り紙をしたりする。案外請けが良くて、2-3人を相手にやっていると、段々人の輪ができてくる。今日は切り紙をしてみた。色紙で、単純な形を切り抜く。たとえば今日切り抜いたのは、鳩、コウモリ、蛙、カミキリムシ、止まり木にとまっているフクロウ、蝶々、蟹、たこ、チューチップ、桜の花、キキョウ、星、などである。うまく行ったらお慰み、うまく行かなくてもお慰み、と言うのが、私の切り紙である。

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2007年9月19日 (水)

布の草履

9月19日

布の草履が流行っているというので、自分で作って見ることにした。芯にするために、セキチュウで荷造り用のビニール紐を買い、古い座布団カバーを裂いて草履用の布を作る。これで用意は完了。

藁の草履ならば、子供の頃、何足も作っているので、同じ方法でやってみた。やってみると、これが難しい。作り方は忘れていなかったが、昔の感覚を取り戻すのは、いきなりでは出来ない。いわゆる、「慣れない手つき」というものだ。

心となるビニール紐は、少し細すぎたようだ。裂いた布も、藁などよりもよほど扱いにくい。それでもなんとか、不細工だけれども作ることが出来た。

作る前から想像できたのだが、布の草履はへなへなで、外で履くわけにはいかない。室内履きなら良いだろう。足裏の当たりは柔らかくい。一足作るためには、座布団カバーだと、3枚くらい必要である。

昔やった藁細工で今でも出来るものと言ったら、縄やみご縄を綯うこと。それに草履作りくらいだ。草鞋やぺどろ(厚手の草履に爪革がついたようなもの。雪道用の草履)、および雪草鞋などの作り方は忘れてしまった。

おやつレク  ぼんくら日記

特養Sのおやつレク。利用者さんの手洗いをするボランティアからはじまった。ある利用者さんが気分を害して、廊下をぐるぐる歩き回った。他の人には理由が分からなかったようだが、私に対して腹を立てたのである。いつもはSに訪問してすぐに、その人のお相手をする。ところが今日は手洗いをさせる人が多くて、なかなかその人まで手が回らない。それで怒って、怒りをぶつけるところがないので、廊下を回り出したというわけだ。

手洗いがある程度終わったところで、その人と一緒に歩き、なだめにかかる。だが、なかなか怒りを収めてくれない。すれ違う人がいると「あっちについて行きなさい」などと言い、ますます足を速くしたりする。話しかけたり、謝ったりしてなんとか機嫌を直してもらった。

施設などでのボランティアは、誰に対しても平らに接しようと思ってはいるのだが、相性があったりして、なかなかその通りには行かない。そばに来られることを煩わしいと思う人もいる。知的な人だと、本当はもっと相手をしてもらいたいと思っていても、大勢が相手なのだと言うことを理解して、我慢する。ちょっとした手助けや話し相手をするだけでも、ある程度の難しさはある。

のぼせているようだが、私は施設の老人たちに割に好かれる方である。

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2007年9月18日 (火)

無題

9月18日

特に書くことありません。外は、今雨が降っています。そのせいで少し涼しい。暑さ寒さも彼岸までと言いますが、彼岸の頃になっても30℃なんていうのは、暑さ寒さも彼岸までなどという範疇を越えていると思いますがどうでしょうか。

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2007年9月17日 (月)

夏目雅子

9月17日

昨日、パソコンに向かっているとき、テレビでは、「夏目雅子の一生」みたいな事(本当の題名は忘れた。調べればすぐに分かるが、無精だから調べない)をやっていた。私はテレビをつけたままパソコンを打ち込んでいたので、時々しか見ることが出来なかった。私のパソコンはデスクトップで、テレビとの部屋の隣にある。だから一段落したところで隣の部屋に行き、テレビを少し見て、パソコンに帰り、また一段落したら隣の部屋に行くというような中途半端な見方をした。

私が70歳になるまで見た女優で、もっとも美しいと思ったのは、夏目雅子である。私がフアンだったのは、吉永小百合や栗原小巻で、夏目雅子の頃には、もう映画やテレビドラマなどを熱心に見たりすることはなくなっていた。従って、夏目雅子についても、特にフアンというわけではなかった。ちょっと美人の女優、という程度に思っていた。

それが、何年の何月何日か忘れたが(と言うより、初めから覚えていない)、トーク番組「徹子の部屋」にでた夏目雅子を見て、その美しさに驚いた。ただの美しさではなく、濁りのない、透明感のある美しさだった。背筋を伸ばした姿勢も良かった。人間はこんなに美しくても良いものだろうか、と本気で思った。

しかしそれ以後、夏目雅子をテレビなどで見ることはなかった。あの番組は夏目雅子が白血病になる直前の収録だったのだろうか。夏目雅子が、最後の輝きを見せた番組だったと思う。

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2007年9月16日 (日)

介護の仕事

9月16日

日曜日だが、ケアセンターの敬老会のボランティア。

施設長が挨拶で、介護施設の経営の厳しさを訴える。介護職員の募集をしても、人が集まらないことなど。今、介護施設の職員の給料は、一般の会社の給料よりかなり安い。昔、看護婦がそうだった。看護婦や介護施設の職員などは、ある程度ボランティア精神のある人がなることが多い。そのような人たちは、多少収入が悪くても奉仕の気持ちで働く。しかしそれも度が過ぎると、人が集まらなくなったりするわけだ。

もう半世紀くらいも前になるが、大病院の看護婦のストライキが続いたことがあった。初めのうちは、看護婦がストライキをするなんて! と言うのが一般の反応だった。しかし、看護婦の仕事の大変さや、給料の安さが分かるにおよんで、人々の支持も集まった。今では看護婦は、女性の仕事の中では安定して、一定の水準の収入も得られる職業となった。その仕事にふさわしい評価を受けるようになったのである。今、介護の仕事をする人たちも、かっての看護婦と同じような立場にいると思う。このままで良いとは思わない。

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2007年9月15日 (土)

季語、なだれ現象

9月15日

ブログになにを書くか、あらかじめ考えている日もあるが、パソコンに向かってから考える日もある。今日は後者だ。

季語

ブログを書く前に毎日見るホームページがある。ふらんす堂という出版社のホームページはその一つである。そこには毎日更新される俳句のページがあって、これを見る。高柳勝弘の「芭蕉の俳句」というページがあり、〈三日月に地は朧なり蕎麦の花〉という句が紹介されている。この句、季語が三つある。「三日月」と「蕎麦の花」が秋の季語、「朧」が春の季語だ。季重なりがいけないという人たちは、だから芭蕉は駄目だというのかな?

なだれ現象

安倍晋三が辞意を表明した直後、次期総裁は福田だと良いなと思った。自民党の中で誰かをさがすとすれば、私は福田か舛添だと思っていたからである。しかし彼は立候補しないと思っていた。それが、案に相違してすぐに出馬を表明した。すると、それまでは麻生が絶対有利と思われていたのに、自民党員はなだれを打って福田支持になった。このなだれ現象は怖い。

なんに依らず、一色に塗りつぶされるのは怖い。小泉純一郎の時も一色に塗りつぶされた。小泉は反対勢力を党外に追い出したが、民主主義というのは、反対勢力が無くてはいけないのだ。私はひねくれているせいか、多数派に入ってわーわー言っているのは、どうも気持ちが落ち着かない。少数派にいる方が安心なのである。

戦争などは、多数派が起こす。多数派がナショナリズムと結びついたら、これは危ない。この、付和雷同的な傾向は、用心しないといけない。巻き込まれないように、くわばらくわばら。

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2007年9月14日 (金)

無題

9月14日

私のまわりには、安倍さんに同情的な人が多い。しかし私は、いくら病気でも同情は出来ない。政権の放り出し方、放り出す時期がめちゃくちゃだ。草野球の監督ではなく、日本の総理なのだ。本来なら参院選の結果を見て身を引くべきだった。

水彩画の会のTさんが、黒部で旨い酒にであったから、と言って、日本酒「幻の滝」をくれる。大吟醸である。感謝。

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え?小泉さんを担ぐの?

9月13日

「一時的にすべての人をだますことは出来る。一部の人を永遠にだますことも出来る。しかし、すべての人を永遠にだますことは出来ない」と言ったのは、たしかリンカーンだったと思う。

安倍晋三が退陣したら、後継者に「小泉純一郎の再登場を」と言う声がある。小泉チルドレンだ。ほんとかい? 確かに小泉さんの登場は華々しかった。私なども、大いに期待した。しかし、まもなく幻滅した。外交ではなによりもアメリカを優先し、アジアをないがしろにした。テロとの戦いと称するブッシュに同調し、イラクに軍隊を派遣した。それでアメリカは、テロとの戦いに勝利できたわけではない。むしろ新しいテロを生み出している。正義の名において、テロで殺された人数よりもっと多くのイラクの一般人を殺してもいる。小泉さんは、その正義を疑わなかったわけだ。

アジア関係では、中国や韓国との関係をぶちこわしても、意地になって、靖国神社参拝を続けた。靖国神社の奥に飾られた写真や記事を見れば、戦死した兵士を祭ると言うよりも、右翼の主張をしたい神社であることがよく分かる。A級戦犯合祀も、その思想から来ているのだろう。昭和天皇が参拝しなくなったという理由もよく分かる。思想、心情は各自の自由だけれど、靖国神社参拝は、一国の首相が外交関係を毀してまで行わなければならないことだったのか?

内政でも、貧富の格差を広げた。都会と地方の格差も広げた。生活保護を断られて生きていけずに自殺、などという事件が時々ある。介護疲れで親子で無理心中などと言う事件も多い。日本は豊かな国ではなかったのか?そんな人たちも救えない国なのか。いつの時代も政治のひずみはあるだろう。しかし、小泉純一郎は、そのひずみを広げたのではないか?

その小泉純一郎を担ぎ出そうというのは、永遠にだまされる人がいると言うことですかね。だいたい安倍晋三は、小泉の尻ぬぐいをし損なったんでしょう? こんどまた小泉を担ぎ出したら、誰に尻ぬぐいをさせるのかな。もっとも、小泉さんは、出馬しないそうだ。小泉チルドレンは、小泉さんがでない場合、小泉さんの指示する人を支持するんだってさ。さすが小泉チルドレンだ。自分で考えて、自分で判断するのではないんだ・・・親分、あっしの行く道を指図しておくんなさい・・・

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2007年9月12日 (水)

総理の辞任

9月12日

今日、安倍晋三が総理を辞任すると表明。例によって、いろいろな人が思い思いの事を言うだろうから、明日の新聞を見るのが、楽しみのような、どうでもいいような気分。どのみち持たないと思ってはいたが、今日だとはね。

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2007年9月11日 (火)

逆拉致

9月11日

過去においては、日本もかなりあくどい拉致をしている。従軍慰安婦や炭鉱労働者など、さまざまな例がある。元来日本人には、人権という意識が薄かったから、そのようなことが出来たという面もあるだろう。

現在も、国家による拉致を行っている国と言ったら、北朝鮮だ。

だが、現在の日本は、果たして拉致と無縁だろうか。正確な拉致とは言えないが、逆拉致とでも言いたくなるようなことを、日本は行っている。時々ニュースとして取り上げられたりするが、日本に観光ビザで来て、そのまま不法に滞在する外国人が居る。その人たちが結婚して子供が生まれ、その子供は、日本しか知らずに育ち、日本に馴染んでいるのに、ある日突然、父母が不法滞在者であることが発覚して、強制送還される。父母の母国とは言っても、子どもたちにしてみれば、言葉も習慣も分からない外国である。

拉致というのは、本人の意志に反して、強制的に連れ去られることである。国外退去になる子どもたちは、本人には罪がないのに、強制的に日本から外に出される。子どもたちにしてみたら。これは拉致されるのと同じではないだろうか。いわば、親の犯罪に連座するようなものだ。

親が泥棒をしたからと言って、子供が懲役刑を食らうことはない。子供が殺人を犯したからと言って、親が死刑になったりはしない。しかし、親の不法滞在と言うことになると、同時に追放される。やむを得ないようではあるが、子供の人権が無視されているようで、どうもすっきりしない。

子供に自活能力があるようなら、子供の意志次第で日本滞在を許す、あるいは、日本国籍を与える、と言うことくらいはしても良いように思う。しかし日本はそれを認めない。自活能力のない子供が居る場合、子供の人権を優先して、親に滞在許可を与えても良いように私は思う。このような場合、親に対しては甘い結果になるけれど、子供の人権を守るしかないではないか。

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2007年9月10日 (月)

無題

9月10日

雨、降ったり止んだり。蒸し暑い。

精障者作業所の畑に消石灰を撒く。

昨日の山行の後遺症、約束の如くに、足が痛い。

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2007年9月 9日 (日)

平標山

8月9日

山楽会の山行。

平標山(1983m)

コース  

平標山登山口~松手山~平標山~平標山の家~平元新道~平標登山口。

マイクロバス利用。参加者13名。

すっきりした天気とは言えず、頂上付近はガスが濃かった。高山植物は時期を過ぎたものが多く、目立ったのは、ウメバチ草、リンドウなど。フウロも少し。お花畑状になっているところもあった。

階段ばかりの山。わりあい歩きやすい階段である。松手山から平標山へのコースはなだらかな尾根道で、天気にさへ恵まれれば、見晴らしの良い道だろう。同じ登山口へ戻るのだが、コースは自然に回遊できるようになっていて、同じ道を通らなくても良いのは利点である。良い山といえるだろう。

    熊笹の露をはじいて山に風   

    竜胆を吹き上げている山のガス

どうも、似たような句になってしまった。

              

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2007年9月 8日 (土)

防犯パトロール

8月8日

4時から狭山第1丁目のパトロール。埼玉県のイベントとして、白小鳩のぬいぐるみのようなものを受け渡しながら、県内の自治体を順番にパトロールをするのだそうだ。その白小鳩が、今日入間市から狭山市の狭山台1丁目の自治会に届いて、狭山市長などもその受け渡しに立ち会った。1丁目集会所前で、その受け渡しをし、市長その他の挨拶があった。その後、1丁目役員、子供会、老人会(寿会)の面々によるパトロールをする。40数人がぞろぞろと警察官二人に見守られながら、1丁目の道路をあらかた全部歩き回ったというわけだ。

このようなイベントが防犯にどれだけ役立つのか分からないけれど、まあ、やらないのよりは良いのかもしれない。もう少し実質的なことを考える方が良いようにも思う。たとえば、1丁目の人が散歩をする際には、なるべく町内の道を隅無く歩くようにする。それだけでも犯罪者は悪事をはたらきにくいと思う。イベントではなく、日常的に行う当たり前の行為で、防犯の役割を果たせるようなことが出来れば、それが1番だ。

パトロールのあとで、役員は飲み会をやるがどうだ、と誘われたが、明日は山行なので断った。

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2007年9月 7日 (金)

近ごろのニュース

9月7日

この頃のニュースと言えば、朝青龍問題と、政治家と金の問題ばかり。この2-3日はそれに台風9号が加わったけれど、これは一過性だ。

朝青龍の問題などは、本当はどうでもいい。放っておけばいいのだ。マスコミは、誰と誰が結婚したとか分かれたとか言う話と、同じ興味で朝青龍を追いかけているだけだ。朝青龍がマスコミを避けるのはけしからん、みたいな言い方をするマスコミもあるけれど、良いにつけ悪いにつけ、自分がマスコミに追われる身になったらと想像してごらんよ。そりゃあ逃げるわな。

政治家と金の問題。これこそ本当の問題である。自民党の政治家ばかりが問題になっているが、民主党だって似て居るんじゃないのかなあ。それに、役人の裏金。私はマスコミで取り上げられていることしか知らないが、日本中に蔓延しているのだろうと思う。多分、たいていの人がそう思っている(だろう)。

安倍内閣の中で、舛添大臣だけが、厚生年金を私的に流用した役人を、徹底的に追求すると息巻いている。もともと安倍晋三を口を極めて批判していた人である。それが大臣に任命されたら、嬉しそうにして大臣を受けちゃった。まあ、そんなものかもしれないが、舛添さんには、今言っていることを、是非実行してもらいたい。安倍さんの支持率は落ち放題に落ちているようだけれども、舛添さんが少し下支えしているかな。

何でも金の世の中になっちゃったから、日本自体の品性が落ちているのだ。人の価値が、いくら稼ぐか、財産がいくらあるか、と言ったことで判断する世の中だ。政治家や役人だって、清貧で良いなんて考えないよ。われわれは、自分たちにふさわしい政治家や役人を持っていると言うことなのかもしれない。

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2007年9月 6日 (木)

台風接近 2

8月6日

台風19号、勢力を弱めずに今夜関東あたりに上陸の模様。ベランダの花鉢などを家に入れる。

一日中「数独」で過ごす。

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2007年9月 5日 (水)

台風接近

8月5日

台風9号が近づいている。明日の夜当たり、関東地方に上陸するらしい。朝から断続的に激しい雨が降る。湿気が多く、黙っていても汗が出るほど蒸し暑い。

福島の孫から電話があり、22日に来るという。

山の会、今回当番のHさん、Sさん、それぞれ、母や奥さんの入院で、日曜日の山行に参加できないそうだ。夜になってその電話あり。今回は平ら標山で、下見をしてきたリーダーが居ないことになる。それでも地図を頼りに行けない山でもなさそうなので、計画通り行くことにする。現在の参加予定者13名。圏央観光のマイクロバス利用。

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富弘美術館

9月4日

車椅子の会の日帰り旅行。群馬県、渡良瀬川近くの富弘美術館へバス旅行。車椅子の人、ボランティアなどを含め19名参加。

まだ10代の頃、ゴッホの糸杉の複製画を見て、胸を締め付けられるような感動を覚えたことがある。後に原画を見たときには、そこまでの感動はなくて、ただ、若い頃この絵の複製を見て感動した、と言う記憶だけがあった。

星野富弘の絵についても、同じ事が言える。本屋で星野富弘の画集を見たときの感動は、ゴッホほどではないが、かなりのものであった。数年前にその美術館を訪ねたときには、、受ける感動はやはり薄くなっていた。今回は、その延長線上にある。

美術館の裏に遊歩道があり、もう紅葉がはじまっていた。私としては、こちらの方が良かったというのが、正直な感想。

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2007年9月 3日 (月)

埋み火

9月3日

精障者作業所Mは、10時から午後3時までが活動時間である。メンバーたちも3時で帰る。しかしスタッフは、5時くらいまでは仕事をしている。ボランティアは、3時過ぎに帰る。今日私が帰るときに、スタッフは一人しかいなかった。それで私は、

「ネズミに曳かれないでね」

と言って帰ろうとした。ところが、若いスタッフは、その意味が分からないという。聞かれてみると、私の方も、大して意味が分かって使っていたわけではない。誰かを一人残して帰るようなとき、昔は良くこの言葉を使った。人がいなくなって淋しくなると、ネズミがちょろちょろ出てきて、残っている人を自分の穴に誘おうとする。だからネズミに惑わされて穴になんか入るなよ、と言うような意味だったと思う。ちょっとした、からかい言葉だった。だが、今日のスタッフは、その言葉を聞いたことがなかったらしい。

なんの脈略もないようだが、「埋み火」なんていう言葉も、今の若い人には分からないだろうな、と、ふと思った。そこで、「埋み火」についた書くことにした。

まだ9月だというのに、埋み火もないだろうという気もするが、私がふと思ったことなど、次の日には忘れてしまう。鶏は3歩あるけば忘れると言うが、私はぼんくらカエルだから、鶏よりも忘れやすい。気がついたことは急いで書かなければ、書く機会がなくなる。

埋み火は、俳句などでは冬の季語である。私の歳時記には「用のない時、あるいは寝るときなど、熾った炭火に灰をかけておく。これを埋み火という」と書いてある。だいたいこれで良いのだけれど、炭火というのは、必ずしも炭焼き小屋で焼いたような炭ばかりではない。薪を燃やしたあとで、炭火状になったものを燠(おき)といい、これもふくまれている。昔の農家などでは、炭は焼いても、売るものであって、使うものではなかった。自分で使うのは、薪であり、燠であった。いろりや竈で出来た燠を、火鉢やこたつに入れて使った。

私の田舎では、いろりはどこの家にもあったが、火鉢などはない家が多かった。夜になると、いろりに出来た燠の上に灰をかけて埋み火にした。こうしておくと、燠は長持ちをし、次の朝まで消えないのである。朝にはこの埋み火を火種として、火を熾すのである。火を絶やすことはことは家の衰亡につながるというような意識もあって、どんなときでも火種を絶やさぬようにしている家もあった。旧家などでは、何百年も火を絶やさずに守り続けたりしていたのである。その昔、マッチなどのなかった時代、火というものは、貴重なものでもあったのだろう。火を熾すのは、たとえ火打ち石を使う場合でも、マッチのように簡単にはいかない。火種を残すと言うことは、そういう意味からも必要だったのかもしれない。埋み火は、俳句では冬の季語だが、夏でも埋み火を作っていたのだから、実際には冬だけのものではなかった。

そういえば炭壺と言うものがあった。これは不要になった炭や燠を入れるもので、蓋をすることによって壺の中の酸素を無くし、火を消す道具である。こうしてできた消し炭を、必要に応じてまた使うのだ。燠さえも無駄にはしなかったのである。

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2007年9月 2日 (日)

句集「春北風」、他

9月2日

H君の訃報

マルエツの買い物に行くつもりで歩いていると、トラックがプップッと警笛を鳴らして、歩道よりに停まった。見るとN工芸の社長である。トラックのドアを開けて中には入れという。トラックの中で、しばらく雑談。

「H君が死んだ」という。今年の春、癌でなくなったそうだ。

H君というのは、じつはとんでもない男で、刑務所に3回ほど入っている。その合計が20年にもなるという男だ。最後は、破廉恥罪だったが、前には、殺人未遂なんて事もやっている。そのくせ、妙に人なつっこいところがあって、普通につきあうだけなら憎めない。それなら、本当に心を許せるかというと、やはりそうはいかない。刑を終えて(償って)出てきたのだから、他の人と同じ気持ちでつきあえ、というのは正論かもしれないが、こちらはそれほど人間が出来ていない。遊んだり酒を飲んだりするときは普通につきあうが、何かの時、覇気において負けないようにしようという気持ちはあった。私より5歳くらい若いのだから、こちらが老いぼれたとき、寝首をかかれないとも限らないのだ。

H君に最後にあったのは、去年の秋だったと思う。彼から電話があって、会いたいという。外で待ち合わせて、大和の湯へ連れて行った。風呂に入って、一杯飲んで、歩いて帰ろうとすると、いくらも歩かないうちにハアハア言い出した。その時、私はいくらか安心した。少なくとも体力は、私の方が数等上だ。たとえ彼が危害を加えようとしても、不意打ち以外ならむざむざやられることはないと思った。

その頃から癌があったのだろうか。

句集『春北風』出縄明夫著

 I さんから上のの句集が送られてきた。「春北風」と書いて「ハルナライ」と読むらしい。出縄明夫は俳号で、本名は出縄明。社会福祉法人進和学園の創立者で、現理事長。(進和学園は知的障害者の施設)。その名前だけは知っていたが、俳人であるとは知らなかった。藍綬褒章や、勲五等瑞宝章などを受章されているようだ。

『毎日俳壇』の特選、ないし準特選の俳句だけ七〇句をまとめた句集である。昭和 30年から32年までは飯田蛇笏の選。昭和四七年から平成六年までは飯田龍太の選。平成六年から九年までは大嶺あきらの選である。

昭和二九年『雲母』に出句した〈盲鍼師まことの汗を拭きにけり〉という句は、飯田蛇笏によって「作者における一代を負う作品の一つたり得るものであろう」と評されている。

私は、俳句がなんであるか、まだその尻尾も掴んでいないような人間であるが、この句集からは、何か作者の気品のようなものが伝わってくる。

   一生を仕事着の紺春鴉

   白露や葬列とまる開拓碑

   白露や遺品の中のいのち綱

   炎天や盲学校の千羽鶴

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2007年9月 1日 (土)

吊り戸棚

9月1日

吊り戸棚

わが家の排水管工事が終わったので、吊り戸棚を再び取り付ける。私が自分でつくった吊り戸棚である。戸棚は奥の壁の幅一杯になっている。

普通、トイレの吊り戸棚は、壁の幅より狭くなっている。トイレの入り口は、壁の幅よりは狭い。入り口の幅が奥の壁と同じだったら、壁一杯の戸棚をトイレに入れることが出来るが、普通はそうではない。入り口よりは幅の広い戸棚を斜めにして入れても、取りつけるために壁の向きに回転しなくてはならない。回転するには、少しゆとりが必要である。壁は平面だが、戸棚は立方体である。斜めに入れた戸棚を回転して壁の向きに合わせるには、たとえば戸棚の右前から左後ろへの対角線が、壁に幅より短くなくてはいけない。回転さようとするとで、角が左右の壁にぶつかってしまうのである。

わが家の吊り戸棚が奥の壁一杯になっているのはちょっとした工夫がある。戸棚を二つに切って、半分を右の壁に取り付け、残りの半分を左側に取り付けるという方法だ。要するに、二つ足して壁の幅になるような戸棚を二つ作るということだ。まず片方の戸棚を取り付け、もう一つの戸棚を、あらかじめ取り付けた戸棚にビスで縫いつけろ、という方法である。戸棚の前には扉をつけるわけだから、べつだん、不自然にはならない。

戸棚を取り付けるには2時間くらいかかるかと思ったが、実際には1時間弱であった。昔、さんざんやったからなあ。まだ、そうは衰えていないわけだ。

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