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2007年8月31日 (金)

ブッシュ大統領、他

8月31日

秋が来た?

昨日と今日は、秋の気候である。今年は梅雨が長く、夏に入るにが遅かった。しかし夏になると、例年をしのぐ猛暑で、日本では熱中症で約7120人が亡くなったという。しかし、昨日からは秋の気候だ。このまま秋になるのかどうか?

排水管工事

わが家の排水管工事は昨日で終わったのだが、ウオッシュレットのトイレの水が出ない。監督に言って昨日トイレを取り付けた職人に来てもらったが、「ノズルが出ない。電気系統の故障なので、製造元に問い合わせなければ分からない」と言う。私は素人なので何も分からないのだが、コンセントを差し込んだり抜いたりして、電気が来ていることを確かめた。夕方別の職人がのぞきに来て、ノズルに行く水の詮が締められたままであることを見つける。要するに、水の栓が開けられていなかったと言うだけに過ぎなかった。朝の職人と、夕方の職人との差は、腕が良いとか悪いとか言うよりは、経験の違いですね。職人なんて、こんなことが良くあるのだ。私など、朝の職人の方だった。

ブッシュ大統領の正義

ブッシュさん、退職軍人の講演会かなんかで、「イラクとの戦争はイデオロギーの戦争」と言ったんだそうだ。やっぱりね・・・。こんな単純な人が世界の指導者だなんて、なんてこったろうね。

同じ物でも、光の当て方によって、見る角度を変えることによって、違って見えるものなのだ。正義だって立場によって変わる。ブッシュの正義もあれば。アルカイダの正義もある。どっちの方が絶対に正しい、なんてことはない。正義というものは、相対的である。

「群盲(この言葉、差別用語と言われる)象をなでる」という言葉がある。鼻をなでた者は「象は大蛇のようだ」と言い、胴をなでた者は「象とは壁のようなもの」という。そして足をなでた者は「柱のようだ」という。それぞれの者が、自分こそ絶対に正しいと主張しだしたらどうなるか。それぞれの者が、自分は実際の象をなでたという実感を持っているのだ。それを暴力で解決しようとしたらどうなるか。正しい結論などは得られはしない。

「イデオロギーの戦い」は暴力では解決できない。いかに時間がかかろうとも、言論で争うしかないのだ。

私は、正義は相対的だと言ったが、じつは、私には、これだけは譲れない、という正義がある。それは「人殺しは悪い」と言うことである。人間と生まれたからには、これだけは譲れない。しかし、これもじつは相対的だ。たとえば死刑囚。この犯罪はどう考えても許せないという事件がある。死刑以外に選択の余地はないと思われるような事件がある。その死刑囚を処刑したとしても、その執行者が悪を行ったとは言えない。

殺人さえ相対的だと言ってしまったら、絶対悪はないか、と言うことになる。私はあると思う。戦争である。戦争ほど、なんの罪もない人が殺される出来事はない。どんな理由ではじめても、いわれなく多くの人々が、無惨な死を迎えることになる。それがブッシュには分からない。分かったとしても、正義のためならば許されると思っている。自分の正義だけで頭がいっぱいなのだ。

武力でイデオロギーの戦いをする人に、日本はいつまでついていくつもりなのですか、安倍晋三さん?

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