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2007年6月 2日 (土)

影隠し地蔵縁起 9

6月2日

影隠し地蔵縁起 8 ーー風は見ていた

義高と大姫 3

義高の死から何年たっただろうか。頼朝の妻政子は、大姫を連れて二瘤村に来ていた。

大姫は、義高が討たれたという広場にたって、二瘤川を見つめた。あの川を渡れずに義高は討たれたという。大姫は義高と過ごした幼い日々を思い出していた。義高は武将の子らしく、自分の馬を持ち、野原を駆け回っていたものである。大姫は、その姿を見るのが好きだった。あの馬で、なぜこの川がわたれなかったのだろうか。向こうの山に逃げ込めば、身を隠すことだって、出来ただろうに……。大姫の思いは、幼かった日々に帰っていく。

義高が討たれたと聞かされたとき、大姫は何日も泣いて暮らした。幼いからこそ、その悲しみは純粋で深かった。あまりのことに、頼朝は自分で命じたにもかかわらず、義高を討った二人を処刑してしまった。この権力者は、人の命をどう思っていたのだろうか。義高を討ったものを処刑したからといって、大姫の悲しみは消えることはなかった。やがて大姫は体調を崩し、病弱の身となった。

そんな大姫の体調を気遣いながら、政子は大姫を二瘤村まで連れてきた。二人はしばらく、二瘤村にとどまった。政子は、義高が討たれたという広場に地蔵を安置して、大姫の悲しみを和らげ、合わせて、祠を建てて義高の霊を神として祭り、源氏への祟りを避けようと考えたのである。

政子は、同道した仏師に地蔵を彫らせ、身隠し地蔵が立っていたという場所に安置した。大姫は、その地蔵に「影隠し地蔵」と命名した。追われて逃げるものがあれば、その身も、その影も隠すようにと念じたのである。

政子は地蔵の脇に祠を建てさせ、義高の霊を祭り、清水八幡神社とした。義高が志水冠者と呼ばれていたことにちなんで名付けたものである。

政子は、風の穏やかな日を選んで、村人を広場に集め、影隠し地蔵と義高の霊を祭った。酒を振る舞い、金子を与え、村人に、義高の霊と影隠し地蔵を粗末にすることの無いようにと、くれぐれも頼んで鎌倉へ帰っていった。

                                                 続く

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