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2007年6月 2日 (土)

年金問題

6月2日

ぼんくら日記

このところ、年金問題がかしましいが、じつは私は、この問題の被害者である。

私は義務教育を終わって、すぐに就職した。当時はまだ戦後の混乱が続く時代で、就職難であった。まして義務教育終了程度の人間に、職業選択の余地などあるはずもなく、たとえどんなところであれ、給料をくれるところならば、どこへでも就職したのが実状である。そんな中で、1951年の多分9月ごろ荻窪にあったメッキ工場に入社した。ここで9ヶ月くらい過ごしたが、このとき、厚生年金に加入している。この会社は、とうの昔になくなっている。

その後、この会社を退き、品川の職業訓練所で家具木工の訓練を受けた。そして就職した先が文京区にある和楽器を作る会社であった。当時は4人以上の従業員のいる会社は、厚生年金に加入しなければならないはずであった。しかしこの会社は当時でも10人以上の従業員がいたのに、われわれは潜りで、そのような保険類には入っていなかった。労働基準監督署がときどき調べに来ていたのだが、そんなときには、われわれは作業着のまま会社を追い出され、東大の三四郎池辺りで時間をつぶし、帰ってきたりした。ときには、帰宅時間になってもまだ監督署の人がいたりして、われわれは窓から衣類を投げてもらい、作業着を着替えて帰宅したりもした。

監督署の圧力もあったせいか、われわれも厚生年金にはいることになり、私はメッキ屋で使っていた年金手帳を会社に持って行った。ここで何ヶ月か年金を払ったが、また潜りにするという。形の上では、従業員ではないという扱いにする訳だ。こんなことを、もう一度くらいくり返したかもしれない。それからどれくらいたったのか、あらためて加入するから古い手帳をもってこいという。

その時の会社側のやったことがひどいのである。前と同じ名前の人が何人も同時に再加入というのはおかしいので、「古い年金手帳は捨てた」というのだ。こちらはまだ子どもだし、先のことなどあまり考えてもいなかったので、そのまま過ごした。現在の私の年金手帳は昭和35年(1956)加入になっている。このとき加入したものである。

それからは、独立して仕事をしたことや、未加入の会社で仕事をしたことなどもあり、さまざまな過ごし方をした。今から10年くらい前に年金をもらうに当たって、上記のような事情を話し、昔捨てられた年金手帳があることを、所沢の社会保険事務所に申し出た。しかし「調べたが分からなかった」と言う回答があった。最近の様子を見ていると、本当に調べたのだとは思えなくなってくる。これ以上調べてもらうとしても、こちらは記憶があるだけで、証拠を示すことは出来ない。どうしたものかと迷うばかりだ。社会保険庁の方では、記録自体が失われている場合もあるようで、もう一度尋ねてみたいと思っているが、心もとないものだ。

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