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2007年5月31日 (木)

影隠し地蔵縁起 7

5月31日

影隠し地蔵縁起 7 ーー風は見ていた

源義高と大姫 1

日が昇り、日が沈み、また日が昇り、風は村の中を吹き抜け、ただよいながら、いくつもの年を重ねた。

源吉が建てた地蔵は、その後も大切にされ、村の守りとなっていた。建てた理由はもはや知る人もないが、その後ろに隠れれば姿を隠してくれる「身隠し地蔵」として、村人の信仰を集めていた。

二瘤山の麓をかすめるようにして、関東平野を流れ下る二瘤川は、この辺り一番の大河である。その川の畔に源吉たちが開いた村は、今は二瘤村と呼ばれている。二瘤村の近くには二瘤川の浅瀬があって、村は川の渡し場として知られるようになっていた。そして何時の頃からか、関東平野を越えて奥州へ向かう人の街道筋になっていった。

長かった源氏と平家の戦いは、どうやら源氏の勝利で終わりそうである。いつの時代もそうなのだろうか、勝てば勝ったで、こんどは勝ったもの同士の内紛が始まってしまった。平家との戦いに功績のあった源義仲(みなもとのよしなか)と、源氏の統領・源頼朝(みなもとのよりとも)の争いが始まったのである。

義仲には義高(よしたか)という子どもがいた。義仲が平家を追って都に上がるとき、わが子・義高を、人質として頼朝に差し出したのであった。義仲はそうすることによって、自分が京に上っても、頼朝に逆らうつもりのないことを示したのである。

頼朝はこれを喜び、娘の大姫を、義高の許嫁(いいなずけ)としたのであった。このとき、義高は十一歳、大姫は六歳であった。二人は兄弟のように、いや、兄弟以上に仲良く過ごしていた。

しかし、頼朝と義仲が争うこととなってしまった。頼朝の命を受けた源範頼(みなもとののりより)、源義経(みなもとのよしつね)の軍が、義仲を討った。

こうなると邪魔なのは義高である。頼朝は、義高が成長して反旗を翻すようになることをおそれて、これを殺害することとした。頼朝自身、子どもの頃に平家に捉えられたが、命を許され、伊豆に流されたのであった。命を許されたために、その平家を討つことが出来たのだ。義高を許すならば、自分が親の敵としてねらわれるかもしれないことを、頼朝は怖れたのである。

                                               続く

ぼんくら日記

狭山台胃腸家外科医院で健康診断。胃ガン、肺ガンの検診。

午後、老人かいご施設Kで話し相手。

夜、山楽会班長会議。夏の山行は木曽御嶽山に決まる。

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