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2007年3月25日 (日)

本と哲学について

3月25日(ぼんくら日記)

駅ビルの書店に月刊「俳句」を買いに行く。いつもそうなのだが、本屋に行くと、つい余分な本も買ってしまう。今日も、予定外の本を2冊ばかり買った。そのうちの1冊は「イラストで分かるやさしい哲学」という本である。

若い頃、私は本に飢えていた。中学を出て、就職して、給料は親に渡して、そこから月に300円の小遣いをもらっていた。その頃、筑摩書房から「現代日本文学全集」が発行された。これが20日ごとの発行で、定価は350円であった。

第1回配本は芥川龍之介、第2回は島崎藤村だったと思う。あるいは逆だったか。とにかく小遣いを貯めて、2回目までは買えたが、後が続かなかった。それから何十年も後になって、古本屋でその全集の「森鴎外」が100円で売られていたのを見た時には、ショックだった。あの全集が100円で売られている! それが許せなかった。そのとき、鴎外を読もうと思っていたわけではないが、ついその本を買ってしまった。

そんな経験もあって、本屋によると、つい余分な本を買ってしまう。若い頃は、普通の単行本や新書なら、1日で読んでしまう勢いもあったが、今はそうはいかない。ましてこの頃は「数独」などというパズルに凝っていて、読書の時間が極端に減っている。買った本を全部読めるわけではないから、いわゆる「積ん読」になる。本は溜まる一方だ。

数年前、大学講師している友人の「本は本棚1つ分だけにして、後は目をつむって捨てる。調べものはインターネットでする」という言葉に影響を受けて、私も本を整理することにした。これに2年ほどかかった。訪ねてきた友人に「まるで図書館みたいだ」と言われた部屋の本棚は、がら空きになった。それなのに、積んでおくだけの本が、また増えてきているのである。

私は義務教育卒業程度だから、専門などはなくて、何でも読んだ。広く、浅くである。哲学に関する本を最初に読んだのは、中学3年の夏休みだ。

戦争中、私たち一家は父母の郷里、秋田に疎開した。母はそこで亡くなり、父とは音信不通になった。足かけ7年、私と弟は親戚の家で過ごしたのである。中学3年の時、父がひょっこりやってきて、私たちを東京に連れてきた。

その夏休み、私にはまだ友達が無くて、仕方なく本を読んで過ごしたのである。それがなんと、岩波文庫の多分上下2冊だったと思うが「世界哲学史」とか言うような本だった。

今だって、そんな本の内容を理解は出来ないだろう。まして中学3年の私には、ちんぷんかんぷんである。それでも私は、「哲学史」のノートを取りながら読んだ。

分からないことを分からないまま読んで、何の得るところもなかったかと言えば、案外そうでもない。その後、何かの本を読んでいる時でも、「これはスコラ哲学の頃の考え方だ」とか、「この人はこの辺に位置する人だ」とか思えるようになった。若い時は、背伸びしてでも読んでおくものだ。

今日買った「イラストでわかるやさしい哲学」は、哲学史としても読める本のようだ。数独ばかりやっている場合ではない。

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