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2007年2月25日 (日)

飛ぶ夢、落ちる夢

2月25日(ぼんくら日記)

若い頃は飛ぶ夢をよく見た。地面すれすれを飛ぶ時もあれば、屋根の上を飛ぶこともあった。いつぞやは、街のアーケードの屋根を突き破って上がったこともあった。しかし、鳥や飛行機のように上空を飛ぶことはなかったと思う。目覚めても、一種の浮遊感はあった。

登る夢もよく見た。登るのは、どこまでも続く階段だったり、崖だったり、木だったり、ジャングルジムだったりした。そのどれもが、簡単には登り切れないのだった。時には、上の方に友達がいることもあった。その友達に対して、劣等感があったのかもしれない。いつでも、その友達のところまで登ることはできないのである。

そのほかに、落ちる夢もよく見た。どういうわけか、下まで落ちきることはなくて、途中で目がさめるのである。どんなところから落ちたか、憶えている夢は一つもない。

だいたい、夢というのは忘れやすい。目覚めた時、夢を見たという記憶だけあって、その中身を思い出せないことも多い。まだ半睡状態のときに、夢を思い出して、記憶しようと努めると、割合よく憶えていられる。ただ、思い出した夢と、実際に見た夢とは、多分、少し違っているだろう。覚めている時の意識は、夢のつじつまを合わせようとしてしまうからだ。

歳をとってからは、飛ぶ夢も、登る夢も、落ちる夢も、全く見なくなった。

代わりに見るのは、降りる夢である。これがまた登る夢と同じで、容易に降りられないのだ。降りる場所は、登る夢と同じで、崖あり、木あり、梯子ありで、変化に富んでいる。ただ、降りにくい、降りきれないという共通点がある。

たとえば、ビルなどの中であれば、まずたいていは、降りるための階段探しをしなくてはならない。1フロアー降りると、次のフロアーへの階段が無くなっていたりする。あるいは、塀づたいに横になって進まなければならなかったり、手すりにぶら下がりながら次の足場を捜さなければならなかったりする。とにかく、むやみやたらに降りにくいのである。しかし、若い時と違って、なぜか落ちない。困惑しているうちに目がさめる。

若い時は登る夢や飛ぶ夢、歳をとったら降りる夢というのは、体力や気力に関係があるのだろうか。このような夢を見るのは、誰でも同じなのだろうか。私自身、何歳ごろまで登る夢や飛ぶ夢を見ていたのか、いつ頃から降りる夢を見るようになったのか、はっきりしない。

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