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2007年2月 6日 (火)

カタカナ語

2月6日

 昨日は、ただの日記にするつもりだったのに、脱線して、精神障害についての蘊蓄を語ってしまった。もちろんこれは自嘲して言っているのである。何に関してであれ、私は蘊蓄など持ち合わせていない。生かじりを書いてしまった、と言うことだ。

 正月にデジカメを買って、何枚か写したが、まだ印刷もしなければ、パソコンにつないで画像を見ると言うこともしていなかった。1ヶ月もするのに、若い頃なら考えられないことだ。好奇心自体が薄れているから、なかなか新しいことをやってみようとしない。今日始めて、デジカメをパソコンにつないだ。その結果、これまで撮った写真の一覧を見ることができた。だがそれを、パソコンに取り込むことはできなかった。一覧の中から、特定の写真を拡大してみることもできなかった。解説書を読んでも、カタカナ語ばかりで、何のことやら分からない。私は、日本語は分かるつもりである。日本語の分かる人間に、何のことやら分からない解説を書く人たちは、いったい誰のために解説を書いているのか。

 何かが分からない時に、私には逃げ口上があって、「何しろ私は義務教育終了程度の人間ですからね」というのである。でも内心は、義務教育終了程度の私でもこんなことは分かる、おまえたちは何だ、と開き直りたい気持ちもあるのだ。ボランティアグループの中でも、私だけが義務教育終了程度だが、誰と話をしていても、べつだん圧倒されたりもしない。対等に話していける。そうなる理由の一つに、たくさん本を読んでいると言うことがある。私は、自分で自分を鍛えるしかなかった人間である。そんなとき、日本語の漢字が、どんなに助けになったか分からない。「人類学」と書いてあれば、何のことかよく分からないながら、「人類に関する学問らしい」と言うことくらいは分かる。「心理学」と書いてあれば、「人間の心理に関する学問らしい」と言うことぐらいは分かる。そんなおぼろげな想像をもとに、本を読み続けたのである。これが、初めからカタカナ語で、サイコロジーだとか何だとか出てきたら、私など、本を読み進めることができなかった。

 今はそのカタカナ語が平気で使われる。私などはお手上げだ。カタカナ語は差別用語である。ただ、カタカナを平気で使っている者たちだって、本当に分かって使っているのかどうかは怪しい。訳も分からず、その方が格好がいいと思って使っているものも多そうだ。あるいは、日本語で表現する能力が無いかだ。私は国粋主義は嫌いだ。だから何でも日本式がいいというのではない。ただ、何かの解説書を書くのだったら、日本語の分かる日本人に理解できるくらいの解説は書いてくれ、と言いたい。

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