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2006年7月 7日 (金)

本のないお話 5

伯父さんのお握り(前回の続き)

 毎日のように空襲がありました。昨日まで元気に登校していた友達が、何の前触れもなく、学校に姿を見せなくなることもありました。空襲で亡くなるのです。疎開していく友達もたくさんいました。残っている子どもたちも、近いうちに学童疎開になるという話です。

 お母さんはみち子に、疎開の相談をしました。

「お父さんは兵隊に行ってしまったし、このままだと、みち子は学童疎開に行くようになるし、家中が離ればなれになるわね」

「そんなの、嫌だわ」

「山梨の伯父さんを知っているでしょう。あの伯父さんがね、来ても良いって言うの。みち子はどう思う?」

 お父さんが兵隊にとられてからというもの、お母さんは何でもみち子に相談します。お母さんは末っ子です。山梨の伯父さんは一番上の兄さんで、富士山の裾野で開拓をしているのです。荒れ地や林を切り開いて、畑を作っています。伯父さんは、背は低いけれども、がっちりと肩幅の広い人です。お母さんは痩せて背が高いので、兄妹でも随分違うんだなあと思っていました。

 去年は、開拓地で採れた野菜と、ヤマブドウで作ったという葡萄酒を持ってきてくれました。お父さんと葡萄酒を飲みながら、何かしきりに話し、大声で、

「アハハハ」

 と笑っていました。

「あ、伯父さん、のどちんこが見えた」

 みち子が冗談を言うと、

「女の子がそんなことを言ってはいけない。アハハハ」

 と、また笑いました。

「お母さん、あの伯父さんなら、私好きよ」

「でも、開拓地だから、生活は苦しいのよ」

「苦しくても、東京にいるより安心なんでしょう?」

「そうね、お父さんが帰ってくるまで、伯父さんのところへ行きましょう」

 みち子たちがそんな話をした晩にも、空襲がありました。焼夷弾が、これまでになく近くに落ちているような気がします。みち子とお母さんは、びっくりして、布団をかぶって逃げました。

 でも、その日の空襲では、みち子の家のあたりは無事でした。みち子たちが帰ってくると、警防団の人たちに、

「あんな空襲で逃げるなんて、臆病者だ」

 と、笑われました。

 それから2、3日して、また空襲がありました。焼夷弾がどんどん落とされます。家の近くまで迫ってきているようです。でも、今逃げたら、また臆病者だと笑われるかも知れません。じっと辛抱していました。

 けれども、攻撃はますます近くなってきます。どうにもたまらなくなって、みち子は、もう逃げてもいいかどうか隣組の班長さんの家に、聞きに行きました。ところが、驚いたことに、班長さんたちはもう逃げたあとでした。そればかりではありません。警防団の人も含めて、隣組の人は、だれ一人残っている気配がありません。

 みち子が青くなって帰ってくると、さすがにお母さんは、逃げる用意をして、玄関でみち子を待っていました。二人は、防空ずきんの上から布団を被り、まだ火の回っていない方へ向けて走り出しました。

 みち子たちは、上野の山を目指して逃げました。あちらからも、こちらからも、上野の山に向かって逃げる人たちがいました。

 逃げる途中で、何人かの人が並んでいました。見るとポンプの井戸があって、男の人が二人で、バケツに水をくみ、先頭の人にかけてやっていました。みち子たちも列に並んで、水をかけてもらいました。

「私とお母さんに、もっと水をかけてください」

 と、みち子が言うと、バケツの小父さんが、ギロリとした目でみち子を睨みました。

「みんな並んでるんだぞ。一人に1っぱいだけだ! もう火が回ってくる、速く逃げろ!」

 それから先は、何処をどう走って、上野の山まで逃げたのか、何も思い出せません。上野の山で何回か寝たような気がします。上野の山にいるうちに、何か食べたのでしょうか。それさえも覚えていませんでした。ただ、いつまでも、いつまでも家々が燃え続け、不気味な赤い空を見ていたことだけを覚えています。

 気がつくと、あたり一面が焼け野原でした。

 みち子たちは、もとの家の方に帰ることにしました。けれども、建物がみんな燃えてしまった街では、方角がよく分かりません。

 帰る途中、道ばたのあちこちに、逃げ遅れて焼け死んだ人が倒れていました。赤ん坊をおんぶしたまま倒れている人もいました。防空壕の中で死んだ人が、担架で運び出されていました。担架に乗せられた人の首が、胴体から離れて、道に転がり落ちるのも見ました。

 家の近くまで行っても、本当に家のあったところは、なかなか分かりませんでした。

「お母さん、あの木、久保田さんの家の松の木みたい」

 焼けただれた松の木を見つけて、みち子たちは、やっと自分の家のあったところが分かりました。

 男手のある家の人たちは、焼け残った板やトタン板をあつめて、掘っ立て小屋を作っていました。焼け残ったのは、コンクリート造りの公園の便所くらいで、そこに陣取った人たちもいました。

 みち子たちは何もできず、ただぼんやりと座っていました。けれども、容赦なく夜は近づいてきます。仕方なく、玄関のあったところの土台石に沿って土を盛り上げて、お母さんとみち子がやっと寝られるだけの窪みを作りました。二人はそこに横になり、拾ってきたトタン板で、近所の人に蓋をしてもらいました。トタン板が風で飛ばされないように、石の重しもしてもらいました。

 逃げるときに被っていた布団は、どこでなくしたのか、もう持ってはいませんでした。防空頭巾を枕にして、地べたに寝たのです。けれども、疲れていたので、ぐっすり眠りました。朝になると、トタン板を下からどんどん突きます。すると、近くの人が気付いて、石の重しを取り、トタン板の屋根を外してくれます。

 こうして何日か過ごしました。ある日、役所から、お父さんが戦死したという知らせが届きました。お母さんが、遺骨の入った箱をもらってきました。その箱があまり軽いので、なかを開けてみると、「御霊」と書かれた紙が入っていただけでした。

 その晩、遺骨の箱を枕元に起き、トタン板をかぶせてもらったあとで、お母さんがみち子の手を握りながら言いました。

「私は信じない。お父さんが本当に死んだのなら、遺骨があるはずだもの。紙切れなんて、私は信じない」

「そうよ。お父さんが死ぬはずないわ。みち子がお嫁に行くときは、すばらしい琴を作ってあげる、って、お父さんはいつも言ってたもの。私の琴を作る前に、死ぬはずはないわ」

 みち子は本気でそう思いました。だから二人は、お父さんが死んだなどとは、信じないことにしました。

 つぎの日、山梨の伯父さんが訪ねてきました。

「やあ、二人とも無事でよかった。本当によかった」

 での、お父さんの遺骨の箱を見ると、びっくりして口をつぐみました。そして、リュックサックを背負ったまま、手を合わせました。

「おれのところは、田んぼはないんだ。米は陸稲だ。量も穫れない。なけなしの米で作ってきたんだ。食えよ」

 伯父さんはリュックからお握りを出して、二人に渡しました。みち子はそのお握りを、指に付いた飯粒まで、全部食べました。家の焼け跡を見たときにも、お父さんの遺骨の箱を見たときにも流れなかった涙が、あとから、あとから、あふれ出るのでした。

                                             つづく

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