2009年11月 8日 (日)

足和田山・三湖台・紅葉台

11月8日(日)

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山の会、山行。

東海自然遊歩道の「足和田山(五湖台)」

バス停1本木から登山道に入り、足和田山(五湖台)、三湖台、紅葉台、氷穴、風穴のコース。紅葉台を下りてから、氷穴、風穴へ向かうときは、樹海を通る。

五湖台(足和田山山頂)、紅葉台の富士もそれぞれ見事ですが、なんと言っても三湖台の富士。大きく、美しく、迫力があります。逆光のため、写真はちょいと残念というところ。

1枚目は五湖台、2枚目が三湖台、3枚目は紅葉台です。

紅葉は麓に移っています。

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紅葉は麓の方に移っていました。

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樹海です。

車でくる人は紅葉台に登って、展望台で富士を見て帰る人が多い。でも、それではもったいない。紅葉台からは3-4歳の子供でも行ける距離に三湖台があり、そこからの景色を見なくては・・・。富士も樹海も、その他の山々も、三湖台からの眺望が圧巻です。

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2009年11月 7日 (土)

清里

11月7日(土)

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こぶし福祉会親の会の日帰り旅行に参加。清里へ行きました。

最初の写真は萌木の村オルゴ-ル館の前。

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萌木の村は、案外広くて、中にはさまざまな家や小屋があり、食堂や売店がありました。

私が興味を持ったのは、木の枝で作った動物などを展示販売している小屋でした。それにしても、結構いい値段で売ってますなあ。

村は。落葉松が取り囲み、その落葉松は紅葉しています。

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但し光りの加減か、特別美しいというほどの紅葉ではありませんでした。落葉松の写真はありません。

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美し森に登る。標高は1500メートルを超えていたけれど、正確には覚えていない。頂上まで、バス駐車場から、標高差100メートルくらい有るのかな。

清里を巡っていると、所々で八ヶ岳が見事な姿を現します。

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富士も肉眼ではかすかに見えるのですが、私のカメラでは写らないと思いました。天気がよいのはなによりでしたが、暖かすぎて、空は水蒸気を含み、まるで春のようです。

本当は、今日、立冬なんですよね。この陽気で冬だといわれてもネエ。

旅行は天気が1番大切。富士がくっきり見えなかったくらいは仕方がないでしょう。

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2009年11月 6日 (金)

レインコート

11月6日(金)

狭山台胃腸科外科へ。血圧の定期検診。

特養Sへ。今日は3F訪問。

以前使っていた山用のレインコートは、水が漏るようになったので、今年、新しいものに買い換えた。その新しいレインコートに穴があいちゃった。洗濯するときに、どこかに引っかけたらしい。幸い足首に近い方で、スパッツで隠れる位置である。取りあえず、幅の広いビニールテープを貼り付ける。これで暫く様子を見る。

前のレインコートは10年以上使っていると思うけれども、破れはしなかったなあ。

明日は精障者の家族会主催のバス旅行で清里へ。

明後日は山の会の仕立てたバスで大和田山の予定。

ブログは書くつもりでいるけれど、ひょっとすると休むかも。

2日間、天気は良いらしい。何処へ行くのも、天気が1番。

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2009年11月 5日 (木)

生まれ変わって契る・5

11月五日(木)

御伽婢子・128

生まれ変わって契る・5

前回までのあらすじ 豊田孫吉と懇ろになった女は、幽霊で、二人は前世で打ち首になった間柄だった。女は豊田が恋しくて、あの世から現れ、豊田と結ばれた。女は豊田に前世の出来事を語り、人の運命を語る。

女は続けて言う。

「私の冥土の暇はあと1年で終わります。天の定めには逆らえません」

その1年が過ぎた。女は気分が悪くなって床に伏せていた。豊田は医者よ薬よと手を尽くしたが、女は薬も受け付けない。

女は豊田の手を取り、

「昔共に打ち首になって100年以上過ぎました。このたびあなたと夫婦になりましたが、私はもう冥土に帰らなければなりません。思いは尽くしたのだから、悲しまないでください」

「もう少しここに残ることは出来ないのか?」

   名ごりをも惜しまでいそぐ心こそ

      別れにまさるつらさ成りけれ

と詠んで、女は壁に向かって伏せ、息絶えた。豊田は泣き叫んだが、その甲斐もない。豊田は、

   残り香になにしみにけん小夜衣

     忘れぬ妻と思いしものを

と詠み、野辺の送りをした。その棺があまりに軽いので開けてみると、衣だけ有って、屍はなかった。

豊田は出家して、四国、九州を回巡ったのち、中国に渡る。その後のことは誰も知らない。

                          終わり

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なじみの俳句

11月5日(木)

精障者授産施設リバーサイドへ。

今読んでいる本のせいで、

「え、あれは俳句だったの?」

と言うのが幾つかある。たとえば、

  夕涼みよくぞ男に生まれける   榎本其角

そういえば五七五ですね。季語もあるし。

  化け物の正体見たり枯れ尾花  横井也有

なるほどねえ。これも俳句だわ。

  この塀に小便するな管理人   ぼんくらカエル

さすがにこれは俳句ではない。でも、五七五というのは調子が良いから、格言やスローガンなどになりやすいんだろうねこんな看板、無意識のうちに作りそうだ。

次は、俳句と知ってはいたが、誰の作か知らなかったもの。

  行水の捨て所なし虫の声   鬼貫

  雪の朝二の字二の字の下駄のあと  田捨女

  これはこれはとばかり花の吉野山   貞室

  梅一輪一輪ほどの暖かさ   其角

  鐘ひとつ売れぬ日はなし江戸の春   其角

  我がものと思えば軽し笠の上(雪)   其角

さすが其角、芭蕉の高弟だけあって、「夕涼み」の句を含め、俳句に興味のない人でも知っているような句を、幾つも作ってますね。

以上は、良いか悪いかは別にして、なじみの俳句です。

おもしろいのは路通。乞食坊主だっだのを芭蕉に拾われて弟子になり、やがて還俗する。

  いねいねと人にいはれて年の暮   路通

乞食のころ、「あっちへ行け」「あっちへ行け」なんて言われていたんですね。

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2009年11月 4日 (水)

生まれ変わって契る・4

11月4日(水)

御伽婢子・127

生まれ変わって契る・4

前回までのあらすじ豊田孫吉が契った女は、実は幽霊であった。2人は前世で、共に打ち首にあった中で、まだあの世にいる女は孫吉が恋しくて、幽霊になって出てきたのであった。女は前世の主人大友左衛門佐について、いろいろ語っている。

あるとき左衛門佐は塩焼きの浦に命令して、塩は全部自分で買い取り、他に売ることを禁じた。

   さなぎだに辛きおきめを左衛門が

       国の塩やきにがりはてけり

左衛門の掟が厳しくて塩焼き達が困っていると落書きがあった。左衛門佐は怒って、塩焼き司3人を砂浜で磔にした。

百姓に対しては、銭米を貸し付けて、高い利子を取った。かりる必要のない者にも、無理に貸し付けて、領民を苦しめ、利子を付けて返せない者には、妻子を売ってでも返させた。

誰かが落首を詠んだ。

    無理にかす利銭の米の数よりも

        こぼす涙はいとどおほとも

名字の大友にかけての落首に、左右衛門は大いに怒った。百姓にこんな歌が出来るはずがない、金持ちの仕業に違いない、と、勝手に決めて、城下の金持ち10数人を国から追い出した。そしてその財宝を自分の者にした。

左衛門佐が父の法事を行った際、国中の僧が集められたが、1人の僧が遅れてきた。ぼろをまとい、いかにも貧しげな僧だったので、人々は門の中にも入れず、余り物の食を与えた。

食事ののち、その僧は自分の鉢を膳の上に伏せたまま立ち去った。その鉢をどけようとしたが、誰がやっても、重くてびくともしない。不思議なので左衛門佐に知らせると、左右衛門自身がやってきてその鉢を持ち上げると、今度は軽く持ち上がった。そして中から2首の歌が出てきた。

   花ちりて梢につけるくだ物の

        今幾つかありて落ちんとすらむ

   我人につらき恨みをおほ友の

        家の風こそ吹きよわりかれ

花が散って梢についた果物も、もう落ちるばかりですよ。人々を辛い目に遭わせた大友家の風も、もういくらもふきませんよ、こんなことをしていたら、大友家は滅びますという歌なのだが、左衛門佐は気にもとめなかった。それまで通り欲深く、人を殺すことをくり返した。しかしそれから2年もしないうちに大友家は滅び、自身は死んでしまった。

何事も天の定めとはいいながら、人の道に背けば、報いは必ずくるものである。

                      続く

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秩父ミューズパーク

10月4日(水)

いちょうという木は神社や寺院などに大木が多い。黄葉の季節には、1本で見事な美しさを見せる。

秩父ミューズパークに行ってきました。全長4キロくらいの遊歩道のいちょうが見頃という情報があったからです。ここのいちょうはまだ樹齢が若いので、神社や寺院などの見事さはない。その代わり、長い道筋に見頃ないちょう並木が続いているのが魅力。

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臆面もなく、まず下手なスケッチから生きましょう。

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どういう訳か(と言うより、あまり考えずに写真を撮ったため)両側の並木が見えるように撮った写真は、全部逆光でした。

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これは、もう少しましでしょうか

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これは冬桜。何本も咲いていますが、いちょうに負けています。こんな花も咲いていました。Imgp2264               

そして紅葉も。

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最後に、お笑い。車中スケッチ。

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2009年11月 3日 (火)

生まれ変わって契る・3

11月3日(火)

御伽婢子・126

生まれ変わって契る・3

前回までのあらすじ 豊田孫吉は家の前を通った女とわりない仲になったが、女の話に依れば、孫吉は前世で、その女と共に打ち首になったのだという。女は孫吉が恋しくて、幽霊になって出てきたのだという。

前世からの縁だと知って孫吉は、ますます女が可愛くなった。

「誰にはばかることもないではないか、あんたも夜に来て朝に帰るということはやめにして、おおっぴらに、夫婦としてすごそう」

孫吉は相手が幽霊だと知っても、少しも怖いとは思わなかった。前世の縁が愛しくて、ひたすら女を愛した。

女は孫吉に碁を教え、孫吉は近辺では誰もかなうものがないほどの碁打ちになった。

女はまた、良く前世の話しをした。まるで目の前にそのありさまを見るように話すのである。

二人を打ち首にした主人の左衛門佐は、血も涙もない男で、こんなこともあった。

あるとき、左衛門佐がお付きの女房達を連れた、川の畔で遊んでいた。すると川向こうをで、美男子が二人で遊んでいる。

「あら、素敵な殿方ねえ」

などと女達は噂した。

「お前たちの中に、あのような男を夫にしたい者はいるか」

と左衛門佐が聞いたところ、一人の女が顔を赤くして、もじもじしていた。

その少し後、女房達が集まっているところに左衛門佐が来て、

「この前の男に贈り物がある。これを見なさい」

と言って蓋をした新しい桶を持ってこさせた。女房達が蓋を開けてみると、この前顔を赤くしてもじもじしていた女が、首を切られて入れられていた。

                        続く

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俳家奇人談・続俳家奇人談

11月3日(火)

文化祭に出品した絵の撤収。

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これが今回の私の絵です。これは日光白根山ですが頂上ではありません。上の方にぼんやり浮かんでいるのは男体山。

65歳で俳句を始めて、しばらくの間気になったのは、俳句と川柳の違いでした。いろんな説があるんです。切れのあるなしで決めるとか季語のあるなしだとか、人事が川柳で自然詠が俳句だとか、穿ちのあるのが川柳でないのが俳句だとかね。

現実の作品を見ると、川柳のような俳句もあるし、俳句のような川柳もある。だから私は、大変乱暴な結論に達した。つまり、作者が川柳と思って詠んだら川柳で、俳句と思って詠んだら俳句だ、と言うものだ。これでは客観的な違いはないことになってしまうけれど、私にはその違いが発見できなかったということである。

なんでそれが気になったかと言えば、私は誘われて俳句の会に入ったけれど、性格は川柳向きかもしれないと思っていたからである。

こんなことは、以前もブログに書いた。なぜまた書いたのかと言えば、今読んでいる本のせいである。

今、2冊の本を平行して読んでいる。1冊は、竹内玄玄坊著『俳家奇人談・俗俳家奇人談』(岩波文庫)、もう1冊は、池田弥三郎著『俳句。俳人物語』(古典文学全集・ポプラ社)である。

竹内玄玄坊というのは詳しいことは分からないようだが、盲目の出家で、1800年頃亡くなった人らしい。『俳家奇人談・続俳家奇人談』は、俳句の始まりごろの宗祇(1421-1502)から江戸中期(1740年ころ)までの俳人について書いたものである。同書は、俳人の奇行や情報については間違いもあるようで、私は当時の俳人がどんな俳句を書いたのかに興味があって読んでいる。

江戸時代の俳人については、私は芭蕉の句集を読んだ程度である。蕪村や一茶の句を幾つか知ってはいるが、その句集は読んでいない。俳句をやっている以上は、いつかは読まなくてはいけないだろうと思っている。それに、『柳多留』の選集みたいなのも読みたいな。『俳家奇行談・続俳家奇行談』は、江戸時代の俳句を知る、手軽な1冊とでも言うような意味で読んでいるのである。

池田弥三郎の『俳句。俳人物語』は、少年少女向きに書かれたものである。少年少女向きと言っても、池田弥三郎のことだもの、ごまかしなんか無いわけで、俳句の歴史を通観できるようになっている。

本というのも、種類によって、早く読めるものと、なかなか進まないものとがあるが、今読んでいるのは、後者の方。読み始めて10日ぐらい経つが・まだ半分にも達しない。小説1冊くらいなら、1日で読み上げることくらいはあるのだが、こっちの方は、少し時間がかかりそう。

江戸時代の俳人は、談林派に限らず、川柳みたいな俳句を沢山詠んでいますね。底が浅いと言われようが、私はそっちの方だから、これからもおとぼけ俳句で行きたいものです。

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2009年11月 2日 (月)

生まれ変わって契る・2

11月2日(月)

御伽婢子・125

生まれ変わって契る・2

前回のあらすじ 肥前の国の豊田孫吉は、行きずりの女性と親しくなり、夜ごとに逢う瀬を重ねているが、女は身分を明かさない。ある夜、女は自分が異界のものであることを知らせ、孫吉とは深い因縁があるのだという。

以下は女の語りである。

昔、この松浦に、大友左衛門佐と言う大名がいた。私は歌が上手くて、碁が強かった。そのため左衛門佐に召されて、側に仕えたが、やがて寵愛されるようになったの。

その頃あなたは大友の小姓だったわ。とてもいい男で、私は心を奪われてしまったのよ。それでね、ある日の夕方、

   よそながら目には懸かれど雨雲の

        へだつる中にふるなみだかな

と書いて、あなたの袂に入れたの。そしたらあなたは、次の晩、

   よそにのみ嶺の白雪きえかへり

        たえずこころにふるなみだ哉

と書いて、私の袂に入れてくれたわ。

私たちは歳も同じだっだし、同じ所に住んで、思い思われていたのに、まわりの目が厳しくて、抱いてもらうことも出来なかったわ。そのうち仲間達に、私たちが思い思われていることが知られて、左衛門佐に言いつけられてしまったの。私たちは縛られて、松浦川のところに引きずられて、打ち首になってしまったんだわ。

あなたはまた人間に生まれてきたけれども、私はまだあの世にいるの。だけどあなたが恋しくて、幽霊になってあなたと結ばれたの。

昔のことを思うと、私は今でも、悲しくて涙が止まらなくなるわ。

女の話を聞いて、孫吉もまた悲しくなり、涙が出た。

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